番外編:幽霊6
あの夜から二晩、衛兵がタイザム卿の執務室前で番をしていた間は何も起こらなかったらしい。
バウアーも夜は長椅子で仮眠を取り、昼間は青白い顔のまま溜まった仕事を片付けているようだ。
アリエスは午後の陽光がかすかに差し込む資料室で、とある日記を読み返していた。
「――よお、相変わらず陰気臭い部屋だな」
「あなたの頭の中にぴったりでしょう?」
「人の頭の中を覗くなよ」
「正解でした?」
悪趣味なアリエスとジークのやり取りを気にしたようすもなく、ヘンリーはにこにこしている。
それからさっそくアリエスの手にある開いたままの日記に目を止めた。
「死者を蘇らせる秘密の書物って、日記のことだったんですね」
「亡くなった方の日記を読めば、色々とわかるでしょう? 面白かったですよ」
「そういえば、バウアーにも日記がどうのって訊いてたが、シャルル・タイザムが日記をつけていたと、何で知ってたんだ? しかも、バウアーとのあのやり取りでよく在処がわかったな」
なるほどといった様子のヘンリーに頷けば、ジークが今さらな質問をしてきた。
アリエスは迷いもせずにあっさり答える。
「日記については以前から知っていました。それなのに法務局の押収品の中にないことから、別の場所に移されたんだと気にはなっていたんです。日記の所在についてはバウアーさんから、タイザム卿が『家族に申し訳ない』と言っていたと聞いたので、弟さんのモーリス・タイザム騎士の部屋だろうと予想しました」
「待ってくれ。簡潔に話してくれるのはありがたいが、わけがわからん。突っ込みどころが多すぎる!」
ジークが大げさに頭を抱えてみせると、ヘンリーもうんうんと頷いた。
わざと明言することを避けていたアリエスは顔をしかめたが、今さらだろう。
これみよがしに大きなため息を吐いて、懇切丁寧に説明することにした。
「タイザム卿の執務室には以前入ったことがあります。そのとき、日記が書架に並んでいることに驚きました。たいていの人は日記なんて隠しておくものですが、自宅の部屋でもなく、執務室の書架に置いているということは、『見てくれ』ということなのだろうと。残念ながら時間がなかったためにタイザム卿の希望に沿うことはできませんでしたが、いつかは……と思っていました」
「いや、まさか日記を他人が読むなんて考えもしなかっただけかもしれないだろ?」
「あら、タイザム卿はそんなにおめでたい頭の持ち主なんですか?」
「ですが、彼が横領に加担した証拠書類に隠蔽の跡はほとんどありませんでした。バウアーを庇うためかと思っていましたが、そうでないなら発覚するとは思っていなかったのかも……。やはり意外とおめでたい方なのかもしれませんよ?」
「確かに……」
「そこで納得するのかよ」
日記の件はともかく、横領についてはそうかもしれない。
ヘンリーの言葉に素直に納得したアリエスに、変わらずジークが突っ込む。
とはいえ、人事局補佐の執務室に入ったことは突っ込まないらしい。
「タイザム卿が亡くなった後、そういえばと思い出して日記を探しに執務室に入りましたが見つからず、法務局に押収されているのだと探してみましたが、やはりありませんでした」
「おい、ヘンリー。局内に気軽に侵入されるなよ」
「気軽ではないはずなのですが、善処します」
「ヘンリーさん、ほどほどにお願いしますね」
「善処します」
「そこは対処しろよ」
呆れたようなジークの突っ込みに、ヘンリーは苦笑で応えた。
先日も侵入されたばかりなのだが、当のアリエスが庇う。
「あら、法務局は王族専用棟の次に入り込むのが難しい場所だと思いますよ。今回の幽霊騒動がなければ、わざわざ法務局にはお邪魔しませんでしたから」
「まさか、王族専用棟にまで入り込んだのか?」
「さすがにあそこは無理でしょう。興味もありませんので、挑戦しようとも思いません」
「……興味ないのか?」
「私の人生には何の関係もありませんから。他の方々からの秘密で十分楽しめております」
「いつか刺されるぞ」
「そのときには犯人を逃がさないように善処します」
「善処するのはそこじゃないだろ」
アリエスとジークのやり取りを聞いていたヘンリーが噴き出す。
そのままヘンリーは肩まで揺らして笑った。
「本当にお二人って……」
言いかけて、ヘンリーはアリエスとジークの冷ややかな視線に気付いてやめた。
気を取り直すように一つ咳ばらいをすると、またいつもの笑顔に戻る。
「日記についてはわかりました。それでもやはり、どうしてモーリス・タイザム騎士の部屋にあると、あれだけの言葉でおわかりになったのか、教えていただけますか?」
「……それに関しては、ただの勘です。タイザム卿は『家族に申し訳ない』と言っていたそうですけど、集めた噂からどう考えても彼がそのように殊勝なことを言うはずがないと。きっと、悔いるふりをしながら、家族仲を壊してやるつもりで弟に日記を読ませようとしているのではないかと思ったのです。その勘は当たりましたね」
白々しく改まったヘンリーの質問にも、アリエスは素直に答えた。
すると、ヘンリーはさらに質問を重ねる。
「ちなみに、どうやって騎士宿舎の部屋に入られたのですか?」
「もちろん、掃除をするためです」
「清々しいほどに悪びれないな」
「掃除はちゃんとしましたし、誰にも迷惑はかけていませんもの」
アリエスの言葉にジークもヘンリーも笑ったが、その目は真剣だった。
法務局以外にも警備を厳重にされては困るので、アリエスはさらに付け加えておく。
「今、モーリス・タイザム騎士は父親に従って謹慎中ですから。部屋が無人なことはわかっていたので入れたのです」
「言い訳にもなってないぞ。メイドに扮しようが無人だろうが、普通は入れないからな。だがまあ、もうこれ以上突っ込んでいても終わらない。とりあえず日記について教えてくれ」
散々話を遮ったあなたがそれを言うのかという視線をアリエスに向けられても、ジークに気にした様子はない。
お互い図太くなければここにはいられなかったことを思えば責める気にはなれず、アリエスは小さく肩をすくめて日記をジークに差し出したのだった。




