番外編:幽霊1
お久しぶりです。
今回は番外編ですので、本編には関係ありません。たぶん。
時系列的には横領事件の後、40話と41話の間くらいの話です。
また10日ほど毎日更新いたしますので、ご興味のある方はよろしくお願いいたします!
「アリエス様、幽霊の話はもうお聞きになりました!?」
朝食を運んできたユッタはうきうきしている。
新しい噂を仕入れたようだが、アリエスにとってはあまり興味のある内容ではなかった。
「また幽霊塔に出たの?」
幽霊塔というのはハーブ園の奥、森の入口にある古い時代の物見塔のことである。
今は危険だと立入禁止になっているのだが、よくある心霊体験が数多く語られる場所として有名なのだ。
ちなみにアリエスは暇があればこっそり入り込んで探索していた。
それというのも、密談密会に運がよければ遭遇できる場所だからだ。
「それが、なんと! 執務棟に出たらしいです! しかも男性だったとか!」
「あら、珍しいわね」
幽霊とされるのはたいてい女性だ。
件の幽霊塔で今まで噂になったのは、女のすすり泣く声が聞こえる、髪を振り乱したメイドがぼんやり立っていた、などといったありきたりのものだった。
幽霊塔でなら、密会目的の男性が見られただけとも思えるが、執務棟となると話は違ってくる。
「どうやら政務官の幽霊らしいです。ぶつぶつ呟きながら何かを探していたそうですよ」
「その幽霊に頭部はあるのかしら? まあ、話ができるのだからあるわよね……」
アリエスは問いかけながら、結局自分で答えを口にした。
するとユッタが目を輝かせる。
「どうして頭があるかどうか気にされるのですか? 何かわかったのですか!?」
「いいえ。単純に男性の幽霊が何かを探していると聞いて〝首なし騎士〟を連想したからよ。でも政務官ならそもそも違うわね」
ユッタの質問にアリエスは淡々と答え、ため息を吐いた。
くだらない話に乗ってしまった自分に苛立つ。
「誰が言い出したのかは知らないけれど、ちょっとお粗末ね。執務棟なら夜中でも誰かしらはいるし、衛兵の見回りもあるでしょう? 幽霊の出番はないと思うわ」
特に最近は、カスペル前侯爵を首謀者とした横領事件が発覚したところで、皆がその後始末に追われているのだ。
執務棟のあらゆる部屋の明かりが夜遅くまで灯っている。
「ですが、どうやら出たのは例の部屋らしいんです!」
「あの政務官が服毒自殺した部屋のこと?」
「はい! きっと自殺した政務官の幽霊ですよ! 秘密がどうとか、正義がどうとか、その政務官が自殺する前の言葉をぶつぶつ言っていたそうですから!」
「……それで、顔は誰も見ていないの?」
「え? 幽霊に顔があるんですか?」
「さあ、それは知らないわ。だけど、その政務官なら顔見知りも多かったでしょう? 衛兵たちは何をしているのかしらね。幽霊が出たなら出たで、ちゃんと取り締まらないと」
アリエスは大真面目に衛兵たちを責めたのだが、ユッタは冗談だと思ったらしい。
くすくす笑いながら食事の用意を終えて、部屋から出ていった。
その後、廊下から笑い声が聞こえたので、どうやらアリエスの言葉を使用人仲間に伝えたのだろう。
だがアリエスは気にせずに食事を始めた。
それでも、頭の中は幽霊話について考えていた。
はっきり言って、アリエスは幽霊など信じていない。
そんなものがいれば、アリエスより先の妻二人を殺したと噂されるボレックだけでなく、ハリストフ伯爵家は恨みを持った幽霊だらけだったはずだ。
さっさとボレックを呪い殺してくれていればよかったのにと思いつつ、アリエスは固いパンをちぎって口に入れた。
(役立たずの幽霊はどうでもいいけれど、ここの衛兵たちの役立たずぶりは本当に問題ね)
アリエスがまだ知らなかったということは、昨晩の出来事なのだろう。
問題はいつ目撃されたかではなく、どこで目撃されたか、だ。
例の部屋とは、ユッタに訊いたとおり、服毒自殺した政務官の執務室である。
その政務官は財務ではなく、人事局の人事官だった。
要するに、財務局や他の政務官たちの人事や昇給を決める立場にいたのだ。
しかも伯爵家出身の彼――タイザム卿は長官に次ぐ立場である補佐であったらしい。
タイザム卿は法務官たちが執務室の関係書類を捜索している立会中に、皆の前で毒を飲んで自殺を図り死亡した。
あの査問会から五日後のことで、当時の王宮内はさらに大騒ぎになったのだ。
アリエスも興味を持って、何の毒を飲んだのかとタイザム卿について色々と調べた。
なかなか面白いこともわかったが、それはそれ。
アリエスの大切な給金は手元に戻ってきたのだから後はどうでもよかった。
あの事件以来、例の部屋は使用されていないらしい。
証拠物件は押さえたので法務官にはもう用はなく、人事局も後始末に追われてまだ次の補佐官が決まっていないのだ。
その部屋で幽霊が目撃された、というのだから不自然である。
アリエスは食事を終えて資料室に行くと、さっそくメイド姿になって例の部屋に向かった。
部屋の前には何人もの政務官がおり、ひそひそと囁き合っているが、扉は開いていない。
アリエスのように適当な用事を作って廊下を行き交う使用人たちもいる。
しかし、耳を澄ましても部屋の中に誰かがいる様子はなかった。
「……で、誰が幽霊を見たんだ?」
「やっぱりバウアーか?」
「いや、バウアーは隣の部屋で寝ていて騒ぎにも気付かなかったらしい。衛兵に起こされて、タイザム卿の幽霊の話を聞かされたら倒れたらしいぞ。それで今日は家に帰されたそうだ」
「それも仕方ないか。タイザム卿の後始末を全部させられて……何日家に帰ってなかったんだ?」
「おそらくあの事件以来だろう」
「そりゃ、ひでえ」
政務官たちの噂話を耳にしながらアリエスが通りすぎようとしたとき、目の前に会いたくもない人物が現れた。
急ぎ踵を返したアリエスの肩に手が触れる。
「触らないでいただけます?」
「すまない。見えていないのかと思ったんだ」
「見たくないものは見なかったことにしてますので」
「てことは、俺のことは見えてんだな?」
「心配なさらなくても、あなたは生きていますよ。それに私は幽霊を信じていません」
「それなのに見に来たのか?」
アリエスが冷ややかな視線を向けても、ジークはにやにや笑うだけ。
今日一番の大きなため息を吐いたアリエスは少し進むと、とある扉を開けてジークを押し込んだ。
「ずいぶん大胆なお誘いだな」
「知りたいことがあるの」
「今のところ、決まった相手はいない。もちろん妻もいない。それに――」
「今は立入禁止のはずのあの部屋の鍵が、なぜ昨晩は開いていたの?」
執務棟の廊下にあるアルコーブは物置部屋になっていることが多い。
当然アリエスはすべて確認済みで、この物置部屋がほとんど忘れられていることを知っていた。
だからこそ、ジークを押し込んで問いただしているのだ。
ジークならアリエスの知りたいことはすでに把握しているはずである。
「少しくらい冗談に付き合えよ」
「面白ければね。それで?」
「鍵はかかっているはずだった。幽霊を見たというやつは、開いていないはずの扉が開いていたから中を覗き込んだらしい。そして幽霊を見たと驚いて急ぎ同僚たちの許に戻ると『タイザム卿の幽霊が出た!』と騒ぎ立てた。だが同僚たちが確認にいったときには扉は閉まり鍵もかかっていたそうだ。それで、徹夜続きで疲れていたんだろうと結論が出たわけだ」
「でも大騒ぎになって、今朝には王宮内に広まったってわけね」
「そのようだな」
「鍵を管理者以外に持っている可能性は?」
「ない。……はずだがな」
ジークはきっぱり答えたものの、自信なさげな言葉を付け加えた。
その後に確認するようなジークの沈黙に、アリエスは肩をすくめるだけ。
扉の隙間からしか光の届かない暗い部屋の中でも十分に伝わっただろう。
アリエスは外の様子を窺い、そっと扉を開いた。
そのままジークを残して扉を閉め、さっさと歩き始めた。
たとえアリエスとジークの姿を誰かに見られていたとしても、メイドと衛兵の逢引くらいにしか思われないのはわかっているが、できるだけ誰かの記憶に残りたくない。
それなのに、ジークはアリエスについてくる。
「資料室はそっちじゃないぞ?」
「そうですね」
「どこに行くんだ?」
「……」
これもまた、衛兵がメイドを口説いているようにしか見えないだろう。
しかし、アリエスはとにかく目立ちたくなかった。
特にこの先の目的の場所に入り込むには、ジークは邪魔でしかない。
そのことをわかっていて、付きまとうジークの思惑もわかっている。
「わかりました。夕方にしてください」
「ようやく気持ちが通じて嬉しいよ」
その言葉が聞こえたらしく、すれ違いざまに従僕らしい男が振り向く。
アリエスはその気配を感じながらもまっすぐ前を向いていた。




