70.建国記念日
皆様、いつもありがとうございます。
たくさんの感想をいただき、とても嬉しく思っております。
個別に返信ができず申し訳ありません。本当に励まされ、やる気が出ております。
ので、調子に乗ってまた1週間ほど更新いたします。
よろしくお願いいたします。
「アリエス、今日は何かあるの?」
「はい、殿下。今日は建国記念のパーティーがあるのですよ」
「けんこくきねん? そのパーティーはぼくにかんけいある?」
「残念ながら、パーティーは夜に催されますから殿下は私と一緒にお留守番です」
「そっか……。でも、アリエスがいるなら別にいいよ。なんだかみんなが楽しそうにしているから、何かなと思っただけだから」
「そうですね。女官や侍女たちも出席する者は多いですからね。殿下も来年からはお昼に行われる建国記念の式典には出席されることになりますよ」
「しきてん?」
「ええ。そのときになりましたら、またお教えいたしますね」
「わかった」
素直に頷いたリクハルドは、昼食に意識を戻して食べ始めた。
朝から王宮内が浮かれているのが伝わったのだろう。
だがその疑問も全てを理解しないまでも解決したためか、もう興味を失くしたようだった。
王宮内が騒がしいのは皆が浮かれているからだけではない。
一人で今夜のパーティーに出席すると思われていた国王が、マルケス夫人に同伴を申し込んだことであれこれ推測する噂が飛び交っているのだ。
王妃が亡くなってからずっと自粛されていたパーティーに、主催者側の国王がパートナーを伴う意味は明らかに思えた。
以前から一部では――影響力の強い地位にある男性たちから、マルケス夫人を後妻にという声は上がっていた。
しかし、いくら正統な後継者であるリクハルドがいようとも、男爵未亡人である夫人では不相応だとの声も多かったのだ。
その代表である先代カスペル侯爵が失脚したことによって、反対派の声は小さくなっていた。
とはいえ、まさか本当に国王がマルケス夫人を建国記念パーティーの同伴者に選ぶとは誰も予想していなかった。
当の本人でさえ、了承したものの戸惑っているらしい。
(今までどれだけアピールしてもその気にならなかった国王が、いきなり誘ってきたんだから、戸惑うというより警戒しているでしょうね)
ほとんどの者が、やはり陛下はマルケス夫人に惹かれていたのだ、と噂している。
ただ亡くなった王妃の正式な喪が明けるまで、と決めていたのではないかと。
たった一日で、王宮の勢力図が大きく変わった。
だがそれは単純な者たちだけ。
おそらくテブラン公爵とその忠実な部下たちは、国王の真意を探ろうと動き始めるはずだった。
さらに運が良ければイレーン・マルケスに指示を与えているポルドロフ側の人物が見えてくるかもしれない。
その件に関してはジークが対処するだろうと、アリエスは静観していた。
できればその後に掴んだ情報を教えてほしいが、それを期待するのは愚かだろう。
ただ、アリエスの三つ目の願いに対する答えはまだ聞いていない。
叶えてくれるのか、そうでないか決めるのはまだ先でいいと言ってある。
あのときの会話を思い出し、アリエスはふっと微笑んだ。
『――対価は?』
『国王陛下と殿下の心の安寧です』
『たったそれだけのために、多くの血を流し、多くの恨みを買えというのか?』
『為政者は――力ある者は大なり小なり、常に恨みを買うものでしょう? そして敬愛を得ることもできます』
あっさり答えたアリエスに、ジークは嫌みったらしく片眉を上げてみせた。
納得させるだけの理由が足りないことはアリエスもわかっていた。
『皆、自分の暮らしさえ守られるなら、たとえそれが信任を得るための見せかけ――偽りだとしても、かまわないのです』
『ポルドロフ王国の民がそれほど圧政に苦しんでいるなんて聞いていないが?』
『そうですね。領主によって地域差はあるようですが、特に可もなく不可もなくだと思います。民は目の前の暮らし以外を知りませんから』
『だが、戦争となれば――自分たちの土地が侵略者に荒らされれば許しはしないだろう。しかも血が流されれば余計に』
嫌悪の表情さえ浮かべるジークを見て、アリエスはふっと微笑んだ。
しかし、今度はジークの気持ちも揺るがなかったようだった。
「――アリエス、何が面白いの?」
「ローコーの活躍がとても素晴らしいからです」
「うん。ぼくもそう思う。大きくなったら、ぼくもローコーみたいに、悪いやつが悪いことをできないようにするんだ!」
「それは楽しみですね」
昼食を終えたリクハルドは夜早めに眠れるように、いつもより早い時間にお昼寝のためにベッドに入っていた。
そうでなければ、アリエスの大好きな覗き見ができない。
(メルシア様とあの王太子の婚約が確定しているから、当分は殿下に危険はないでしょうけど……)
どんなに強い権力や武力、毒に対する耐性を持とうとも、絶対に勝てない敵が〝油断〟である。
ただ人は油断を克服することができない。
アリエスもボレックに屋敷を追い出されたときは、すっかり油断していたのだ。
今さら罵られようが殴られようがかまわなかったが、離縁をされるとは思っていなかった。
いくら子どもができなくても、まだ時間はあると思っていたために準備が甘かったことが悔やまれる。
だからといって、常に気を張っていてはいつか壊れてしまうだろう。
(ほんと、面倒くさいわよね)
これからは好き勝手に、面倒くさいことは避けて自由に生きようと思っていた。
今ならまだ間に合う。
それでも、アリエスはリクハルドに出会ってしまったのだ。
(私の計画が台無しだわ……)
アリエスは大きくため息を吐いたが、眠りに落ちたリクハルドの頬にかかった髪を払う手は優しかった。
そのままゆっくりと小さな頭を撫でる。
幼い弟妹の世話をしながら、将来は自分の子どもたちの世話をすることを夢見ていたアリエスはもういない。
ボレックと結婚してしばらく後、自分が子どもを身ごもり産むことに恐怖を感じるようになっていた。
子どもは嫌い。
自分勝手で、うるさくて、すぐ泣いて、自分では何もできないのに傲慢。
こちらが手を尽くしても納得せず、さらに求めてくる。
だから子どもは嫌い。
アリエスはこの六年、呪文のように唱えていた言葉を思い出していた。
エルスに確認したように、人は大切ものがあると弱くなる。
しかし、それがたった一つだけなら――。
そこまで考えて、アリエスは目の前のリクハルド以外に思い浮かんだ顔を打ち消した。
面倒くさいことは嫌いなのだ。
だがアリエスはそれ以上に面白いことを知ってしまった。
大嫌いな人たちの楽しみを邪魔し、欲したものを奪い取ることの喜びを。
か弱く力なく何もできなかった六年前には考えもしなかったこと。
(ずいぶん汚れてしまったわね……)
アリエスは再びリクハルドの頭を撫でようとして、手を止めた。
今さら自分がリクハルドに触れる資格がないなど思いはしない。
何の後悔もしていなければ、今の生き方には誇りさえある。
リクハルドにはこのまま素直に育ってほしいとも思っていないのだ。
それでは王になる前に潰れてしまうだろう。
もしくは便利な傀儡となるか。
(手っ取り早いのは、私が殿下を裏切ればいいのよね。十歳……十二歳くらいが一番傷つき、自分の無力さを呪うかしら……)
アリエスは老侯の日記を置いて立ち上がると、自室へ入ってそっと扉を閉めた。
廊下からかすかに聞こえた足音の正体――フロリスが急ぎながらも静かに部屋へ入ってくる。
リクハルドが昼寝中だということを知っているため、フロリスは配慮しているのだ。
それだけ気が利くところをアリエスは気に入っているのだが、そんなフロリスが資料室の仕事を抜けてまでやってきた理由が気になった。
「何があったの?」
「それが、先ほどユッタさんが資料室までやってこられて、アリエス様を急いでお呼びしてほしいと」
「その理由は聞いた?」
「はい。どうやら西翼棟で騒ぎが起きているそうです」
「西翼棟で?」
「はい」
西翼棟は国内の貴族たちが王宮に滞在するための部屋がある棟である。
また東翼棟は国外からの賓客や、国内でもかなり上位の貴族用の部屋が並んでいる。
両棟とも今夜のパーティーのために満室であり、使用人たちは大忙しだろう。
その中で騒ぎなどよくあることだった。
「さすがにそれは女官長に任せるべきよ」
今はあまり余計なことに首を突っ込まないほうがいい。
下手に目立てばそれだけ警戒される。
騒ぎの内容は気になるが、それは後で知ればいいとのアリエスの判断を、フロリスが口にした言葉は覆した。
「それが……騒ぎが起きているのは、クローヤル伯爵未亡人のお部屋だそうです」




