67.申し込み
そして夕刻。
リクハルドを他の女官に任せ、エルスにもこっそり頼んで夕食までには戻るからと、アリエスは女官姿のまま待ち合わせの場所へと向かった。
南庭園を入ってすぐにある噴水前はいつもの待ち合わせ場所だ。
彼はまだ来ていなかったので、近くのベンチへと座って待つ。
「すまない、待たせてしまって」
「いいえ。それほど待ってはいないわ、ロレンゾ。それよりも、何かと忙しい時期なのに、急に呼び出してごめんなさい」
「いや、私も話があったんだ。それで、今回はどんな事件が起きたんだ?」
「……そうね。いつものように歩きながら話しましょうか」
ロレンゾの勤務時間は常に把握している。
だから先ほど勤務が終わったことも知っており、この時間を指定したのだ。
ロレンゾもアリエスに呼び出されるのは特別な理由があるとわかっているのだが、今日は特に王宮内が騒がしいことから何か事件が起こったと察しているのだろう。
ただ内容を知らないのは、皆がロレンゾに遠慮して話していないからのようだ。
しかし、アリエスから教える前にロレンゾの話を先にすませておきたかった。
「私の用件より先に、あなたの話を聞きたいわ」
「ああ、いや……。うん。その、今度の夜会だが、一緒に出席してくれないか?」
今度の夜会――毎年恒例の王宮で催される建国記念の夜会なのだが、王妃が亡くなったためにここ数年は中止されていた。
それが今年から再開されることになったのだ。
その夜会に一緒に出席するということは、二人の関係がいよいよ公になる。――特別な関係は今もないが。
「――ロレンゾ、ごめんなさい。私にあなたのパートナーは務まらないわ。それに、きっと王宮内の空気を感じて殿下が興奮されるでしょうから、お傍に控えていたいの」
「殿下がライバルとなられるのなら、引くしかないな。今回は警備もないし、アリーチェと出席するよ」
断られることは想定していたのだろう。
ロレンゾはあっさり答えて、笑顔を見せた。
だがすぐに真剣な表情になる。
「それで、火急の用件というのは?」
「実はね、あなたのお父様の……愛人だったロイヤさんが出産されたそうなの」
「赤子をか!?」
「まあ、普通はそうね」
驚くことは予想していたので、アリエスは淡々と答えた。
動揺のあまり当然のことを訊いてしまったロレンゾは顔を赤くして、そのまま黙り込む。
様々な葛藤をしているのだろうなと思って、アリエスは隣を歩きながら静かに待った。
「その……父は知っているのだろうか?」
「噂では、ロイヤさんは何度も手紙を送ったそうです」
「それで父は……?」
「あなたが知らないということは、そういうことなのでしょう」
「そうだろうな……」
わかってはいたのだろうが、訊かずにはいられなかったらしい。
アリエスの返答を聞いたロレンゾはがっくりと肩を落とした。
先代カスペル侯爵はロイヤを見捨てたのだ。
だが、ロレンゾは一度もロイヤの父親を疑わなかった。
甘いとは思うが、それがロレンゾの良さである。……今のところは。
「今、彼女がどこにいるかわかるか?」
「知ってどうするのです?」
「もちろん、私が彼女と結婚して責任を取る。それから書類に手を加えて私の子にすれば――」
「無駄です」
本当にどこまでも甘い。
アリエスは一度深く息を吐き出すと、まっすぐにロレンゾを見つめた。
「今回のことはあまりに知られています。今さらあなたとロイヤさんが夫婦となったとしても、産まれた子は一生〝庶子〟と陰で蔑まれるでしょう」
「それではいったいどうすれば……。その子は私の血を分けた弟妹なんだぞ!?」
「弟君ですよ」
「それならなおさら――」
「なおさら、あなたの息子にはできません。女の子だったのならまだカスペル侯爵令嬢という華々しい身分を手に入れることができます。ですが男の子ですから、必然的に次代のカスペル侯爵となってしまいます」
「私の弟なのだから、何もおかしなことはないだろう? 母親の身分だって問題ない!」
「彼女が罪人でなく、あの醜聞もなければね」
ロレンゾは不満げにアリエスを睨みつけた。
それは以前、イレーン・マルケスとの関係を暴露したときと同じ鋭い視線で、アリエスは嬉しくなった。
だがロレンゾは敵ではない。これからも味方でいてくれなければならないのだ。
「噂を馬鹿にしてはいけません。しかも庶子となると、社交界の面々だけでなく、使用人たちにまで馬鹿にされる可能性があるのです」
「しかし、このまま放っておくわけにはいかない!」
「もちろんです。何の罪もない赤子が可哀想ですもの」
「アリエス殿……」
アリエスが同情を込めて言えば、ロレンゾはようやく落ち着いてきたようだった。
普段は感情を見せないアリエスの態度に感動さえしているようで、相変わらずちょろい。
「ロイヤさんの行方は私が調べますから、あなたはその身分を使って、罪人である彼女を親子で保護する手続きを行ってください。それから先々代侯爵がお使いになっていた別邸がおありでしょう? これからの対応が決まるまでは、そちらで過ごしてもらってはどうでしょうか? 別邸についてはフロリスにお願いして、準備を整えてもらえるよう伝えてもらいますから」
「わ、わかった」
「それではできるだけ早いほうがいいので、これで失礼いたします。部屋まで送ってくださる必要はありません。またロイヤさんの居場所がわかり次第連絡いたします」
南庭園を出て王宮の入口近くまで来たアリエスの言葉に、ロレンゾはぎこちなく頷いた。
普段なら絶対に部屋まで送ると言い張るのだが、素直にその場を去って行くロレンゾに満足して、アリエスはスキップしそうな勢いで部屋に戻った。
フロリスにはもうすでに別邸の執事宛てに手紙を書いてくれるように頼んでいるので、今頃はもう出しているだろう。
「おかえり、アリエス!」
「ただいま戻りました、殿下」
王太子の部屋に入った途端、嬉しそうにリクハルドが飛びついてきた。
その姿は可愛いが、アリエスにとっては危惧することでもあった。
最近のリクハルドは特にアリエスに依存しすぎている。
(これからのためにも、やっぱりもう一人は信頼できる女官が必要ね……)
理想を上げればきりがないが、最優先すべきはテブラン公爵に対抗まではできなくても、気圧されないでいられるかだ。
そのような人物は、はっきり言っていない。
(でも一人だけ……いえ、でも……やっぱり……意外と……)
その言動には苛々させられるが、それはアリエスが相手をしなければならないからだ。
意外と敏いところもあり、時にどきりとさせられる。
実はわざと能天気な――無邪気なふりをしているのかと疑ったこともあるが、観察した結果、ただの天然ものと判断した。
美味しそうに食事をするリクハルドを見守りながら、この場にいる姿を想像する。
リクハルドの身辺に気をつけるのはアリエス以外にエルスもおり、愛情と責任感はこれから入れ替える予定の女官たちに任せればいいのだ。
(さて、これから予想外の異動に、王宮内の人たちは何が起こっているのかと混乱するでしょうね)
一度は否定したが、きっと彼女なら――アリーチェならリクハルドと上手くやれるだろう。
むしろリクハルドがしっかりしてくれるかもしれない。
政争は面倒ではあるが、それよりも面白い目標を持ってしまった。
先ほど、期待していた返事が書かれた手紙も届いたところである。
アリエスの計画は始まったばかり。
だがこの計画――目標には何より肝心な協力者が必要なのだ。
今回の醜聞も、夕方にアリエスとロレンゾが会っていたことも耳に入っているだろう。
とすれば今夜あたり、訪ねてくるはずである。
アリエスは珍しくその時を楽しみに待ったのだった。




