53.姉妹
「わあ! この焼き菓子、すごく美味しい~! さすが王宮ね。使用人用の焼き菓子まで美味しいなんて」
「……そうですね。アリーチェ様にそのようにおっしゃっていただけるなんて、料理人も喜ぶでしょう」
アリエスのことをさらりと〝使用人〟と言うことに、アリーチェの無意識に染みついた階級意識がわかる。
たとえ伯爵家出身でも女官は王の使用人なのだ。
「ところで、アリーチェ様とテブラン公爵令嬢のメルシア様がお手紙のやり取りをされるほどに親しい仲だとは存じませんでした。メルシア様のことは『お姉様』とお呼びになるのですね?」
「嫉妬ですか~?」
「天地がひっくり返ってもあり得ません」
「ええ~。アリエス様が『お姉様』と呼ぶことを許してくださるなら、私たちの仲間に入れてあげますよ~」
「全身全霊をもって辞退させていただきます」
アリーチェの言葉に淡々と答えながら、アリエスは別のことに考えを巡らせていた。
テブラン公爵令嬢のメルシアもなかなかの策士らしい。
口の軽いアリーチェなら、あっという間に王宮中に広まるだろう。
しかもカスペル侯爵令嬢から語られた話なら信憑性は高いと思われるはずである。
「もお~。アリエス様は本当に冷たいんだから。でもそこがいいんですよね~」
「では、そのお口も凍ってしまえばよろしいのに」
「やーだー、アリエス様ってば面白いです~! やっぱり私のお姉様がメルシア様じゃなくて、アリエス様だったらよかったのに~」
「……メルシア様のことを慕われていらっしゃるのでしょう?」
「ええ~。そんなことないですよ~。あの方はとっても意地悪だから苦手なんです~。だから、嫌みで『お姉様』って呼んでるんですよ」
「それではますます『お姉様』は遠慮したいですね」
思っていたよりもアリーチェは無邪気ではないかもしれない。
嫌みなど使えるのかと意外に思ったアリエスだったが、アリーチェの口からはさらに驚きの言葉が飛び出した。
「アリエス様のことは本当にお姉様になっていただきたいです~。ねえ、お兄様とご結婚なさったら――」
「悪魔と天使が手を繋いで踊ることよりあり得ません」
「なあんだ。つまんない。あの堅物のお兄様にもついに春が来たのに片想いなんですね~」
「春はあまりに陽気がよくて頭がぼうっとしますからね」
「それはわかります~。いっつも眠いですよね。まあ、私は季節関係ないんですけど~。だからメルシア様にも『ぼんやりした顔ね』って言われたんですよ? 酷いと思いません? 同じような顔なのに~」
「同じようなお顔? お二人は似ていらっしゃるのですか?」
「そうなんです~。私が十二歳になってすぐに、まだお元気だった王妃様がお茶会に招いてくださって~。そのとき王妃様が『メルシアとアリーチェは本当の姉妹のようにそっくりね』って、おっしゃったんです~。メルシア様は怒っていらっしゃったけど、王妃様はやっぱりご存じだったんですね~。私とメルシア様が母親違いの姉妹だって」
アリエスは久しぶりに素で驚いた。
だが瞬時に次の対応を頭の中で計算する。
こんなに面白い情報はないが、あまり勢いよく食いついてアリーチェにもったいぶられても面倒くさい。
無関心なふりをするのも下手をすると必要な情報を逃してしまう。
ここは模範的な大人のように振る舞うと決めた。
「アリーチェ様、いったいそのようなことを誰から聞いたのです? きっとお二人が似ていらっしゃることを面白おかしく噂する者がいたのですね」
「違いますよ~。メルシア様のことは知らないですけれど、我が家では公然の秘密ですもん。私がムランド伯爵の娘だって。お兄様も知っているわ」
「……どなたからそれを聞かれたのですか?」
「最初に聞いたのはメイドたちの噂だったかな~? それでお母様に訊いたら『そうよ』ってあっさり答えてくれたの。お父様も知っていらっしゃるらしいけど、もともと私には無関心だったし、初めて声をかけてくださったのも、少し前の陛下との縁談のときなんですよ。『お前を必ず王妃にしてやるからな』って、もうびっくりしすぎて~。『余計なお世話です』って言えなかったんです~」
「そうですか。それは残念でしたね」
アリエスがあっさり答えると、アリーチェは噴き出した。
つい先ほどもマニエル夫人に笑われたばかりで、アリエスには何がそんなにおかしいのかわからなかった。
「アリエス様って本当に面白いですよね~。こういう話をすると、たいていは同情したふりでもっと聞き出そうとしたり、可哀そうだって言って勝手に悲しんだりするのに~」
「いえ、それはアリーチェ様の勘違いです。私はとても興味津々ですし、もっとお話を聞きたいと思っておりますよ。メルシア様のことも気になりますし」
「ええ~。アリエス様は私のことよりメルシアお姉様のことが気になるんですか~?」
「そうですね。メルシア様にはお会いしたことがありませんので、興味はあります。それに亡くなった王妃様も他意なくお言葉にされただけだったのではと思いましたので。テブラン公爵家とムランド伯爵家なら過去にご縁があって姻戚関係にあってもおかしくはないでしょう?」
「そうかもしれないですけど~。王妃様とメルシアお姉様は仲があまりよくなかったみたいですもん。だから絶対に意地悪で言ったんだと思います~」
アリーチェの言葉に、アリエスは沈黙で答えた。
子供というのは存外敏感で場の空気を正確に読み取る。
どうやら亡くなった王妃の性格も難ありだったようだ。
面白そうなことがありすぎてアリエスの胸は高鳴ったが、今はメルシアが近々王都にやってくることの意味に集中しなければならなかった。
どうやってこのおしゃべりな口を閉じさせておくべきかとアリーチェを見る。
「……公然の秘密というわりに、私は初めて聞きましたわ。それにメルシア様のことも噂にはなっておりませんよね?」
「だって、こればっかりは~テブラン公爵と私のお父様……今は落ちぶれちゃったけど、次期カスペル侯爵を敵には回せないじゃないですか~。特にテブラン公爵は怖いから~」
「アリーチェ様でも怖いものはあるのですね?」
「ええ~。それはもちろんありますよ~」
アリーチェはあまり賢くはないが、本能で危険を察知するタイプらしい。
ただ今回のテブラン公爵令嬢の縁談の話は本人が――メルシアが広めてくれることを望んでいるので、アリーチェの口を閉じさせておくのは至難の業だろう。
(テブラン公爵令嬢も噂を利用するつもりとはねえ……)
アリーチェが怖いものを次々挙げていく中、アリエスはまったく聞かずにどうするべきかを考え結論を出した。
そしてアリーチェの話が途切れるのを待つ。
「……アリーチェ様の怖いものはわかりましたが、メルシア様にはあるのでしょうか?」
「ええ~? またメルシアお姉様のことですか~?」
「だって、ポルドロフ王国の王太子殿下はとても恐ろしい方ですもの。それに……」
「それに?」
「実は、ここだけの話なのですが……」
アリエスは声を潜め、アリーチェに顔を近づけて話し始めた。
口を閉ざすことができないのなら、大いに開いてもらえばいい。
噂には噂で対抗するのだ。
そして噂に信憑性を持たせるには嘘と真実を上手に織り交ぜ、多く広めるには人々の興味を引く話題――少々ショッキングな内容にする。
「――というわけだから、本当にメルシア様がポルドロフの王太子殿下に嫁がれるのならお気の毒だわ……。でもこの話は絶対に内緒にしてくださいね。このことはあの国では禁句ですから、口にした者はどんな目に遭うか……」
そう言って、アリエスは震えてみせた。
アリーチェは何度も頷きながらも、その顔は興奮に輝いている。
どうやら上手く乗ってくれたらしい。
アリエスはアリーチェから包みを受け取ると「絶対に内緒でお願いします」と念を押して見送った。
それから包みを開ける前に机に向かい、急ぎハリストフ伯爵家の執事ヤーコフに手紙を書いた。
どうせならポルドロフ王国にも噂を広めてしまえばいいのだ。
やるべきことをやったアリエスは満足して、アリーチェから受け取った包みを開いた。




