41.訪問者
「アリエス様~。聞いてください~」
「……アリーチェ様、今日はどうされたのですか?」
「アリーチェって呼んでくださいって何度も言ってるのに~。だから私はお姉様って呼んでいいですか?」
「嫌です。それでアリーチェ様、何の御用でしょうか?」
「アリエス様は冷たいです~。でもそれがいいのよね~」
アリエスは思いっきりため息を吐いて、抱きついてこようとするアリーチェを遠ざけた。
あの事件――横領事件以来、なぜかアリエスはロレンゾの妹のアリーチェに懐かれている。
ロレンゾの父親であるカスペル侯爵は爵位をロレンゾに譲ると同時に蟄居を命じられ、今は侯爵領にある別館で生活しているらしい。
裁きが甘いという意見もあったが、横領金については被害者に全額返還され、贈賄についても実質的な問題はなかったので、その程度で許されたのだ。
むしろ賄賂に関する記録簿が手に入ったことが、法務局に――国王にとっては大きいので減罰されたと言ってもよい。
実行犯であるロイヤや財務官たちは懲罰として、辺境の地で重労働を課せられることになった。
またカスペル侯爵家としては、ロレンゾが自ら父親の罪を暴いたことと、被害者への補償を行ったことで(賄賂を受け取った者たちはもちろん上乗せして返還することになった)不問に処せられた。
そして今はロレンゾが爵位を継いだのだが、相変わらず近衛騎士として活躍している。――のだが、あの事件の翌日、資料室にアリエスを訪ねてきたアリーチェになぜか気に入られてしまったのだ。
(それにしても、ロレンゾの父親もよくこの子を陛下の再婚相手に――王妃にしようなんて考えたわね……)
年齢が若いというだけでなく、考え方があまりに幼い。
純粋無垢と言えば聞こえはいいが、無知と紙一重だとアリエスは思っていた。
「アリーチェ様はこんな場所にいらっしゃらないで、もっと同年代の方と仲良くされるべきです。今頃、どこかのお宅でお茶会が開かれているでしょう?」
「たぶんそうでしょうね。でも招待されていないから~」
「招待されていない? 誰からも?」
「少しはあったかもしれないけど……。お父様のことがあってから、舞踏会の招待状もかなり減ったんです~。それに真に受けて出席しても嫌な顔をされるから」
ぷうっと頬を膨らませて不満を口にするアリーチェをアリエスは無視した。
当然の結果であり、面白くも何ともない。
「私がこんな目にあっているのもアリエス様のせいですよね?」
「はい?」
「アリエス様がお父様たちを糾弾したからです。だから私も女官として雇ってください~」
「アリーチェ様は残念な頭の巡りなのですね?」
「残念な、頭の巡り?」
「ええ。普通に出せるべき答えが迷子になっているようですね」
「出せるべき答え……? でも迷子になんてなってないです。だって私はこの資料室を最初から目指してきたんですから」
「……」
〝馬鹿〟という言葉を使わず〝お前は馬鹿か〟と伝えたかったが、この調子だと嫌みも通じないだろう。
アリエスは迷惑に思っていることを隠さずこれみよがしに大きくため息を吐いた。
「アリーチェ様への招待が減ったのはアリーチェ様のお父様のカスペル前侯爵とその共犯者たちのせいです。私はまったく関係ありません。しかも前侯爵が言うには、アリーチェ様を国王陛下に嫁がせるため、賛同者を増やそうと賄賂を贈っていたようですよ。そのせいで、アリーチェ様に良い感情をお持ちじゃない方もいらっしゃるのではないでしょうか?」
「そんなの私のせいじゃないです~。お父様が権力を得るためにしたことなんですから。私はまったく知らなかったんですよ~」
「もちろんアリーチェ様が何も知らなかったのでしたら、責任があるとは申しません。ですが人間の心はそう簡単に割り切れるものではありませんから。前侯爵たちが人々の前から姿を消した今、皆は手近なところで憎むべき対象を必要としているのです」
「ええ? ちょっと意味がわからないです~」
「そうですね」
アリーチェ相手にこれ以上言っても無駄だろうと、アリエスは話題を打ち切った。
知ろうとしなかったことを罪と言うなら罪なのだろうが、この娘にそれを求めるのは酷だろう。
先々代侯爵――元宰相が優秀な方だったというのは、アリエスもよく知っていた。
おそらくロレンゾはこれから心がけ次第で祖父に並び立つほどの人物になるのではないかと感じられる。
前侯爵は偉大な父を超えられるどころか、足元にも及ばなかったことが不幸ではあるが、娘ほどではない。
そこでふと、アリエスはある考えが浮かんだ。
「アリーチェ様のお母様は――前侯爵夫人はお元気ですか?」
前侯爵夫人は夫が断罪されると早々に離縁を申し出た。
結果、認められて今は独身に戻ったが、実家には帰らず現カスペル侯爵の母としての立場を選んだらしい。
「お母様? ええ、今は心労がどうとかって田舎で過ごしているけど、たぶん来シーズンには王都に戻ってくると思います。だって、お母様が大好きな社交を我慢できるわけないですもん」
「アリーチェ様は付き添われなかったのですね。それではお母様はお一人で? 大丈夫なのでしょうか……?」
「心配しなくても大丈夫ですよ~。ちゃんと主治医のマンベラス先生が一緒ですから」
「そう……それなら安心ね」
「ええ。何かあるたびにお母様はマンベラス先生を呼び出して診てもらってたんです~」
アリエスは納得したように頷きながら、アリーチェの髪色から顔の造形、立ち姿などをしっかりチェックした。
今わかることは、アリーチェがロレンゾにも前侯爵にもまったく似ていないということだ。
前侯爵夫人は先日までは社交界の重鎮とされ、派手好きではあったが、愛人の噂は聞いたことがない。
それでも面白そうなことを見つけたと、アリエスの心は浮かれた。
「招待状が減ったのは催しが減ったことも原因でしょうから、それほどお気になさる必要はありませんよ」
「それもそうですよね~。でもお父様からお金を受け取った人たちが何の罰も受けないなんておかしくありません?」
「確かにそうかもしれませんが、金品を受け取っただけで、特に便宜を図ったわけでもありませんからね。それも横領されたお金だとは知らなかったのですから、法務官としても罪には問いにくいのでしょう」
賄賂を受け取った側は明確な罪を犯したわけではないので、特に法の裁きを受けることはなかった。
ただ王宮に仕える者たちからの反感は買っている。
そのためもあって、貴族たちの多くは華やかな催しを自粛しているのだ。
「え~、でもずるいですよ~」
「罪には問えなくても、皆からの印象はかなり悪くなりましたし、陛下からの信用も失って、ある意味罰は受けておりますよ」
アリエスは上の空で答えながら、目的の資料があると思われる書架へと向かった。
アリーチェが生まれる前後の社交界についての記録があるとすればこのあたりだろう。
そう考えて、めぼしいものを手に取っていく。
「アリーチェ様、女官を目指されるなら少し手伝っていただけませんか?」
「私が? 何を?」
「少し調べたいことができましたので、これらにすべて目を通したいのです。ですが、一人では時間がかかってしまいますから、一緒に調べていただけたらと――」
「大変! 悪いけど、用事を思い出したわ。ごめんなさいね、手伝えなくて~」
「いいえ、ご用事があるのなら仕方ありませんもの。それではごきげんよう」
「ええ、またね!」
予想通りアリーチェはアリエスがテーブルに積み上げた本を目にして退散することにしたようだ。
これで邪魔されることなく調べものができる。
アリエスは無表情のまま上機嫌でまずは一番上の資料を手に取った。




