36.追及
この王宮に働きにやってきて半年ほどしか経っていないアリエスにできるわけがない。
それは皆がわかっていることで、ロイヤの苦しい言い逃れでしかなかった。
だがロイヤは本気でそう思っているかのように見える。
「誰もが聞いているもの。お金が大好きだって。ね? あなただって聞いたんでしょう?」
「え? えっと……はい」
ロイヤが問いかけると、戸惑った様子で侍女頭は答えた。
確かに女官長や他の女性使用人の前でアリエスはお金が大切だと宣言はしていた。
そのことについて侍女頭は認めるしかなかったが、ただそれだけだ。
しらけた空気が部屋に漂うなか、ヘンリーが呆れたようにため息を吐いた。
「賃金横領は少なくとも三年前から行われております。また他の部門でも同様です。クローヤル女史が関わることなどできないのですよ」
「だけど、あの人が入ってからこんな騒ぎになったのよ!?」
「それは気付くことができなかった我々の落ち度ですね。クローヤル女史がいらっしゃらなければ、ひょっとしてずっと……この方たちが退任するまで気付くことができなかったかもしれない。あなたはそれでよいのですか?」
「そ、そんなこと……」
本来なら自分の賃金までもが横領されていたのだから、感謝するべきではないのか?
そうヘンリーは問いかけているのだが、ロイヤは言葉を詰まらせた。
すると女官長が弁護するように口を挟む。
「このような醜聞、陛下も望んでいらっしゃらないはずでしょう? もっと内密に処理することができたはずです」
あくまでも本心から出てきたらしい女官長の言葉を聞いて、アリエスは噴き出すのをどうにか堪えた。
女官長の言い方では――ロイヤもだが、悪事を告発したアリエスのほうが悪いと思っているようだ。
しかも職場長の何人かが同調するように頷いたり「そうだ、そうだ」と呟いている。
なぜいつも善良な行いをする者を責める者が一定数いるのか、アリエスは不思議でならなかった。
ロイヤは罪悪感と曝かれたことへの怒りだろうが、女官長も職場長も今回のことには関与していないはずである。
(まあ、女官長は自分の監督責任と管理責任、あと私が嫌いだからでしょうけどね)
女官長とは初対面から合わなかった。
そういう相手は不思議といるものなので、特にアリエスは気にしていない。
合わなければ無理することなく、不必要に接しなければいいだけなのだ。
それなのに世の中にはわざわざ合わない相手に絡む人間がいるのだから本当に不思議である。
アリエスはそんなことも含めて、最近は人生を楽しんでいる。
次はどんなことが起こるのだろうと期待していると、侍女頭がアリエスを指さして叫んだ。
「そ、そうよ! あの人が正義ぶって余計なことをするから、私たちまで巻き込まれたのよ!」
「正義ぶる? 普通に正義ですけど?」
女官長の腰巾着その2と陰口を叩かれている侍女頭にも、アリエスは動じることなく冷ややかに答えた。
話がすっかり逸れてしまっているのに、ヘンリーだけでなく法務官の誰も止める気配がない。
アリエスはこの場にいる法務官の顔をじっくり見てしっかり覚えた。
あとで名前と生まれと育ちと性格と家族友人関係と弱みをきちんと探っておこうと頭の片隅に置く。
「クローヤル女史は今回の横領発覚のきっかけになってくださっただけですので、この場にお越しいただいたのです。横領には何の関与もされておりませんよ。というわけで、話を元に戻しましょう」
ヘンリーの言葉はアリエスを庇っているようで、ちくちくと嫌みが差し込まれていた。
本当にルドルフの友人――親友なのだろうかと思うほどにヘンリーは癖がある。
妹であるルドルフの妻は、話していると頭が痛くなるほど夢見るお嬢さんだった。
兄妹でこれほど違うものかと感心して、アリエスは自分たちも似たようなものかと納得する。
「先ほども申しましたが、ロイヤ殿、あなたは女性使用人の賃金横領の実行犯の一人ですね?」
「な、何を言うの!? 私は――」
「弁解はけっこうです。証拠はしっかり掴んでおりますので」
ロイヤの言葉を遮り、ヘンリーは机の上に置かれていた台帳の束を手に取った。
それは財務局の台帳と女官長や侍女頭の台帳控え、女性使用人に渡された明細の控えとあるようだ。
「この財務局の台帳から各職場長に渡される台帳控えの数字だけでも少しずつ減額されているのですが、女性使用人のものは台帳控えから各使用人への明細もまた少しずつ数字が書き換えられているのですよ。要するに財務官が横領を行った後、さらに女官長は横領を行っていたと考えられる」
「違います! 私は横領などやっておりません! 私は国王陛下から名誉あるこの職を――」
「女官長、その話は今はけっこうです。あなたを疑っているわけではありませんから」
「それならいいのよ」
「いや、よくはないだろう」
女官長の反省も何もない態度に、ぼそっとジークが突っ込む。
アリエスはうるさいわね、という気持ちを込めて後ろをちらりと睨みつけた。
ここからがいよいよ本番なのだから静かにしていてほしい。
そろそろカスペル侯爵が動くのではないかと、アリエスはそちらに視線を向けた。
(あら、まだ他人事のようね……)
〝愛しの〟ロイヤが責められているというのに、侯爵は未だに目を閉じたまま。
ロイヤは今にも倒れそうなほどで、両手で胸を掻きむしっているかのように女官服を掴んでいる。
「女性使用人の賃金は男性使用人よりもさらに少なくなっておりました。それを皆さんは男女差で納得されていたのかもしれませんが、この賃金台帳の原本をご覧になればわかるように、国王陛下は男女によって賃金に格差をつけるような方ではありません」
「いらない情報ね」
今度はアリエスが呟き、ジークは小声で笑った。
その声は幸い室内には届かなかったようだ。
実際、男女格差云々についてはここで言っても誰も関心を持っていない。
心のない王様への忠誠心を上げるには、別の機会にしたほうがよいだろう。
「この職場長が持つべき台帳の控えと各使用人に渡された明細の控え――ああ、本来財務局で保管されるべき明細の原本はありませんでした。支給額の記載もなく、ただ使用人たちの受領サインがあるだけで……おっと、話が逸れましたね、失礼。――この台帳の控えと明細の控えを見比べればよくわかるのですが、女官長をはじめとした各職場長、ロイヤ殿ご自身も台帳通りの金額ですね。他にも台帳通りの金額のままである方が散見されますが、この方たちは皆しっかり者だと有名らしい。今までより賃金が低くなればどういうことかと、疑問に思われる方たちなのでしょう。クローヤル女史は入ったばかりですから、最初から賃金を誤魔化せますね」
そこまで言うと、ヘンリーは明細の控えの一部を持ってロイヤの前まで歩いていった。
その隣に立つ女官長のきつい視線に怯んだ様子もなく、飄々として見える。
逆にロイヤは死神が現れたかのように血走った眼をヘンリーに向けていた。
「この明細の控えを見ればわかるように、女官たちの賃金はかなり大胆に引かれている。この方たちはご実家が裕福だと有名ですし、皆様あまりお金には頓着されていないのでしょう。そして一人、存在しない女官の名前があります。この女官はかなり賃金が高いようですね。ちょうど皆さんが横領されていると思われる差額分が支給されているのですから。――それで、これほどの金額を着服して、何に使われたのですか?」
「……え?」
「他の皆さんにしてもそうです。年々横領額は多くなっていっているのに、あなた方が贅沢をしている様子はない。失礼ながら財産も調べさせていただきましたが、貯め込んでもいなかった。さて、これほどの金額がどこへ消えたのでしょう?」
ロイヤはもうヘンリーの言葉の意味を理解できていないようだった。
問い返しはしたが、その目はうつろである。
ヘンリーはロイヤに背を向け、青ざめ震える財務官たちに改めて問いかけた。
そこでいきなりカスペル侯爵が立ち上がった。
「馬鹿馬鹿しい! あとは君たちだけでやってくれたまえ! 私は上官として責任は取るが、これ以上の茶番には付き合えん!」
苛立った様子で言い放つカスペル侯爵に、ロイヤをはじめとした財務官たちがすがるような視線を向けた。
そこに、今までずっと黙っていたロレンゾが声を上げる。
「お待ちください、父上――いえ、カスペル侯爵」
「……なんだ、ロレンゾ? お前までこんな茶番に立ち会う必要はないんだ」
「いいえ、私は証人として立ち会う必要があります」
「証人だと?」
「はい。あなたが犯した罪の証拠はもう提出しております。あとは息子として、証言するつもりです」




