35.告発
「侯爵です! 私はカスペル侯爵に指示されて、台帳の数字を操作したんです!」
一人の財務官が法務官の厳しい尋問に耐え切れなくなったように訴えた。
すると他の財務官の一人も涙を流し始め「私もです」と白状する。
「何を言っているんだ、お前たちは! 私があれだけ目をかけてやったのに、恩を仇で返す気か!」
勢いよく立ち上がったカスペル侯爵が二人の部下に怒鳴りつけると、財務官たちは震えあがった。
ロイヤもまた蒼白な顔で目を見開いている。
怒りに猛る侯爵の姿に穏やかで優しい気配はどこにもない。
さあ、ここからが本番だとばかりに、アリエスはわくわくしながら観戦していた。
訴えた財務官は侯爵に睨まれ一度は引くかと思われたが、ゴクリと唾を飲み下して震える体を必死に抑えて続けた。
「わ、私には病身の母がおりまして、薬代が高額で払えないことを相談すると、長官が……侯爵がおっしゃったんです。『それでは、皆から少しずつ借りてはどうか』と。はじめは何のことかわかりませんでした。ですがそれが数字を操作して皆の賃金から少しずつ着服することだと知り……」
「馬鹿なことを……。お前たちが金に目がくらんでやってしまったことに気付けなかったことは、上官である私の責任だ。しかし、その罪を私にまで負わせようとするのは間違っているぞ。どうか自分の罪を悔い、おとなしく裁きを受けるのだ」
先ほどまで平常心を失っていたように見えた侯爵は、財務官の自白を聞いて落ち着いたのか、諭すように告げた。
その猫なで声が気持ち悪く、アリエスの背に震えが走る。
ああいう物言いをする男のことはよく知っていた。
「……大丈夫か?」
「全く問題ないわ」
「そうか……」
すぐ背後に立っているジークにはアリエスの震えが伝わったようだ。
だがアリエスは冷静になり、前を向いたままジークに答えた。
ただ不愉快なことに変わりはなく、アリエスはヘンリーを見つめ、目が合うと何かを問うように首を傾げた。
ヘンリーはわかりました、とでも言うように小さく笑ってローブの中から手を出し上げる。
その動作に皆の注目が集まったところで、ヘンリーはゆっくり話し始めた。
「今さらここに集まった方々が何をおっしゃろうと、はっきり申しまして無駄です。証拠はしっかり掴んでおりますし、罪の軽減はありません」
「お、お前か! お前が台帳を盗んだのか!?」
「この若造が!」
「……事前にお伝えしては、証拠隠滅されかねませんでしたから。先に我々が把握している賃金と皆様方がお持ちになっている台帳との比較をしたかったのですよ」
ヘンリーは抗議する財務官たちを無視して、職場長たちの前へと足を進めた。
職場長たちはこれからいったいどんな罰を与えられるのだろうかと、恐怖しているように見える。
その中でひと際目立っているのがロイヤだった。
ロイヤはげっそりとした顔に目だけをきょろきょろと泳がせ、何度も侯爵に救いを求めるように視線を向けている。
そんな視線に気付きもしていないかのように、侯爵は椅子に座り直した後は腕を組んで目を閉じていた。
「発言の許可をいただきたいのですが?」
「どうぞ」
皆が恐怖に震えるなかで、女官長だけが背筋を伸ばして堂々と立っていた。
さらにはいつもと変わらない高飛車な物言いで、発言の許可を得る。
アリエスはそんな女官長を見て、さすがだなと感心した。
「先ほどから――いえ、この横領事件が発覚してから思っていたことですが、私たちは被害者ではありませんか? そちらの方たちが横領しているのはわかりましたが、改ざんされた賃金台帳を渡された私たちに罪はないでしょう? 確かに管理不足だったことは認めます。それはこれから改めますので、これで失礼してよろしいでしょうか? それこそ私たちにとっては時間の無駄ですもの」
女官長の発言に、ロイヤ以外の職場長たちが皆ほっとしている。
感謝の眼差しを職場長たちから向けられ、女官長は当然とばかりに胸を張った。
ヘンリーは困ったな、というようにちらりとアリエスを見る。
「やられたわ……」
「なかなか見所のある坊ちゃんだな」
ヘンリーはすでに女官長へ答え始めていたが、アリエスはぼそりと呟いた。
あれではまるでヘンリーがアリエスに助けを求めたように、人によっては見えただろう。
女官長とロイヤには間違いなく気付かれている。
アリエスがヘンリーを利用したように、ヘンリーもまたアリエスを利用しているのだ。
ジークは鼻歌でも歌い出しそうなほど楽しげにしていた。
カーテンと柱の陰に隠れているためか、注意しなければジークの存在は気付かれない。
アリエスは立ち位置を間違えたことに腹を立てながらも、いつかジークにもヘンリーにも報復してやろうと心に決めた。
それもまた面白いはずだ。
「――というわけで、おっしゃるとおり管理不足ではありますが、職場長たちは横領に関与していたとは今のところ思えません。――が、女官長、あなたは違います」
「何ですって!?」
「もちろん、実行犯であるロイヤ殿もね」
「そっ、そんなっ! 違うわ! 何を言っているの!?」
「ロイヤ? あなた……」
「違います、女官長! 私は何もっ、何もしておりません! あの、ダフト卿の間違いです!」
ヘンリーの告発に女官長は怒りをあらわにしたが、ロイヤに至ってはパニックに陥っていた。
その場を逃げ出そうとし、衛兵に阻まれると、疑わしげに見る女官長にすがりつく。
小劇としては面白いとも言えるが、少々安っぽい。
さて、これからどんな展開になるのかしら、とアリエスがわくわくしていると、ロイヤはふらりと体を傾け、それから立ち直りまっすぐに立った。
その様子を法務官やガスパル伯爵は冷ややかに見つめ、カスペル侯爵は未だに目を開けようとすらしない。
侯爵は意外と大物なのかもしれないとアリエスが思っていると、ロイヤはゆっくり右手を持ち上げた。
そしてアリエスを睨みつけながら指さす。
「あの人よ。あの人がお金欲しさに全部やったのよ」
ロイヤの新たな告発に、皆の注目がアリエスに集まる。
思わずアリエスは「あらあら」と呟いたが、聞こえたのはジークだけらしかった。




