33.実力不足
「クローヤル女史!」
「……部屋に入るときはノックをしてくださいません?」
「何がノックよ! あなたのせいで私がヨハンナ夫人に怒られてしまったじゃない!」
「私のせい? 何のことでしょう?」
「しらばっくれないで! あなたが夫人を責めたから! 私の管理不足だの確認不足だのと……どうしてくれるの!?」
ちょうど髪を乾かし終えた頃、血相を変えてロイヤが怒鳴り込んできた。
フロリスは怯えてブラシを取り落とし、無意識にかアリエスの後ろに隠れる。
だがアリエスは驚きもせずに淡々と応じた。
「どうにかしてほしいのは私たちのほうですけど。頂けるはずだったお給金はきちんと戻ってくるのでしょう?」
「そ、そんなこと、私にわかるわけないじゃない!」
「わからないなんて困るんですけど。せめて私たちが本来頂けるはずだったお給金の差額くらいはわかっていますよね? 法務官の方から聞かれているのでしょう?」
「そ、それは……」
「私たちの明細の控えはお持ちですよね? それと財務局の台帳を照らし合わせればわかりますものね?」
「ひ、控えは……ないわ」
今度は怯えたように答えるロイヤの姿はここ数日でずいぶんやつれている。
それは当然よね、と思いながら、アリエスは先ほど戻ってきたユッタのほうへちらりと視線を向けた。
ユッタはロイヤがアリエスの部屋に入ったことで慌てて戻ってきたようで、扉を開けたまま立ち尽くしている。
「ええ!? ロイヤさんってば、私たちの明細の控えを持っていないの!? 嘘でしょう!? じゃあ、どうやって差額分がわかるの!?」
アリエスは外に聞こえるように大きな声で驚いてみせたが、大げさすぎたらしい。
ロイヤは何かに気付いたようにはっとして、アリエスを睨みつけた。
「あなたね……あなたが控えを盗んだのね!?」
「盗んだ? まあ! なんてことをおっしゃるの!? 私が盗んだなんて……」
怒りに震えるロイヤに責められ、アリエスはまた大げさに驚き嘆いてみせた。
途端に扉から侍女の一人が駆け込んでくる。
この展開はさすがにアリエスも本気で驚いたが、どうやら侍女はロイヤに言いたいことがあるらしい。
ロイヤの前に立つと、キッと睨みつけた。
「私は実家に少しでも多く仕送りをしないといけないんです! 早く私のお金を返してください!」
「そ、そうよ! 私だって、お金が必要なんです! クローヤル女史が支給金額の違いに気付かなかったら、私たちはずっとお金を誰かに盗られてたってことですよね!? 本当はあなたが気付かないといけなかったのに!」
「そうよ、そうよ!」
いつの間にか扉の周囲に女性使用人たちが集まって、侍女の声に賛同し始めた。
ロイヤはその声に怯んで一歩後退する。
そこでアリエスが立ち上がると、ロイヤは「ひっ!」と声を漏らして壁際まで逃げた。
しかしアリエスはロイヤを無視して侍女へと歩み寄り、優しく声をかけた。
「心配しなくてもきっと陛下直属の法務官の方たちが解決してくださるわ。だから私たちは安心して待ちましょう。ね?」
「は、はい……」
侍女は目を潤ませてアリエスを見上げ、ほっとしたように微笑んで頷いた。
口調こそ優しいが、アリエスはにこりとも笑っていない。
だが廊下からもわっと嬉しそうな歓声が上がる。
しかも皆が口々に「さすがクローヤル女史!」「やはりなんてお優しい方なんだ」と褒め称えていた。
アリエスの言葉は国王と法務官たちに丸投げしているだけなのだが誰も気付いていないらしい。
おそらくアリエスの名前を利用したヘンリーにもこの話は伝わるだろう。
(プレッシャーになればいいのよ)
ヘンリーたちならきちんと解決はできるだろうが、皆への補償をしっかり行わなければ使用人たちの心が離れてしまうのは間違いなかった。
国王に心がないと恐れられるのは大した問題ではないが、国王への忠誠心が――愛国心が民からなくなってしまえば国は脆くなる。
(まあ、それも問題なさそうだけどね……)
財務局に法務官たちが立ち入り監査を行った日、国王陛下の名の下にカスペル侯爵の屋敷も捜索が行われたらしい。
その後、ヘンリーがロレンゾに接触したことは知っていたので、侯爵が横領に関わっていた証拠は手に入れたはずだ。
それをどう使って裁くのかが、今回の見所だろう。
アリエスがわくわくしてきたところで、水を差す声が割り込んだ。
「あなたは取り返しのつかないことをしたのよ! 今までとは格が違う人を敵に回したんだから!」
「まあ! ロイヤさんは今回の首謀者が〝格が違う人〟だとご存じなの? だとしたら、早く法務局に訴えたほうがいいんじゃないかしら? でないと、ロイヤさんまで共犯だと思われてしまうわ! もしくは実行犯だってね」
ロイヤはアリエスの言葉で自分が何を言ったのか理解したらしく、みるみる顔色が悪くなっていった。
それからふらふらと出口へと歩いていったが、皆は触れるのを恐れるかのようにさっと道を開ける。
しかし、ロイヤは扉に手をつくと、アリエスへ振り返り再び睨みつけた。
「覚えていなさいよ。きっとあなたを後悔させてやるわ!」
「それはあなたの力で?」
「……え?」
「だから、私を後悔させるのはロイヤさんの力でなのかを知りたいの。まさか女官長やその〝格が違う人〟の力を借りるわけじゃないのよね? それじゃあ今までと何も変わらないもの」
まるで心配しているようで馬鹿にしたアリエスの言葉に、ユッタがぷっと噴き出した。
他にもくすくす笑う声が聞こえる。
「い、今にみてなさい!」
ロイヤは顔を真っ赤にして怒鳴ると、扉を叩きつけるように閉めて去っていった。
青くなったり赤くなったり忙しい人ね、とアリエスは思いながら、遠ざかる足音を聞いていた。




