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26.趣味

 

「ジーク、こっちよ」


 アリエスは背の高い生垣の陰から、のんびり歩いてきたジークを手招きした。

 ジークは気乗りしない様子でやってくる。


「ほんと、あなたの仕事って暇なのね」

「誘っておいて、その言い草はないだろ?」

「別に誘ったわけじゃないわ。ただ私の予定を伝えただけよ」

「よく言うよ」


 ふんっと鼻で笑ったジークは、アリエスが本を持っていることに気付いた。

 これではまるで天気が良いので外で読書を楽しむように見える。


「読書か?」

「時間は有効活用しないと」


 誰かに見られたときに、言い訳にも活用できるなと思いつつ、ジークはアリエスの後に続いた。

 アリエスはしばらく進むと足を止め、振り返って人差し指を唇に当てる。


「ここから先は静かにしてね」

「何だよ、また覗きか?」

「それ以外に何があるっていうの? 花には興味ないの」

「いっそ清々しいな」


 ジークは小さく笑ってから、了解したとばかりに頷いた。

 その仕草を見届けて、アリエスはまた歩き始める。

 しばらくして道を逸れ、生垣の間の狭い空間をくぐり抜け、スカートを摘まんで中腰で進んだ。

 よくこんな場所を見つけたな、とジークが思っていると、ぼそぼそと話し声が聞こえてきた。

 目の前には庭師の作業場らしい小さな小屋があり、ここは裏手のようだ。


「ああ、イレーン。どれだけあなたに触れたかったか……」

「私もよ、ロレンゾ。このひと月、あなたの姿を見ながら話すこともできないなんてつらかったわ」


 恋人たちの逢引き場所として使われている小屋は粗末なもので、もうすぐやってくる冬には隙間風が入るだろう。

 要するに壁板に隙間がいくつもあるのだ。

 当然、声もよく聞こえる。

 二人の名前を聞いて眉を寄せるジークに、アリエスは特等席を譲った。

 それからアリエスは少し離れた場所に腰を下ろし、本を広げた。


「――だから、あなたの可愛い声が聞きたいの」

「ああ……こんな、耐えられないよ」

「それならまず服を脱ぎなさい」

「はい」


 ロレンゾと呼ばれた男は切なげな声を出し、イレーンに懇願している。

 イレーンの冷ややかな命令にも素直に返事をして従ったようだ。

 衣擦れの音だけでなく、カチャカチャと剣や剣帯を外す音がする。


「まあ、相変わらず粗末なものね。クローヤル女史の言う〝まち針〟も同然ね」

「うっ!」


 ロレンゾのうめき声が聞こえ、ジークが同情するように顔をしかめる。

 しかし、アリエスは小屋の中で何が行われているのかわかっていたので、本から顔を上げることはなかった。

 この二人の逢引きは何度か見ているが、パターンがいつも一緒なのだ。

 よく飽きないわね、とアリエスは思ったが、それがまたいいのだろう。

 言葉攻めが好きらしいロレンゾに今回はアリエスの言葉まで使われてしまったが、それもまた面白い。

 アリエスは本の内容を頭に入れながら、さらに二人の会話を耳に入れていた。

 ジークは覗くことに飽きたのか、壁板に背を預けてぼんやり空を眺めている。


「――なあ、あんたはいったいどれだけの逢引き現場を見てるんだ?」

「そうね……。暇さえあれば、逢引きに使えそうな場所を探しているわね」

「覗くために?」

「もちろん」


 イレーンとロレンゾが濃密で少々変態的な時間を過ごして引き上げていってから、ジークがぽつりとつぶやくように訊ねた。

 その問いにアリエスは悪びれもせずに答える。


「悪趣味すぎないか?」

「誰かに迷惑をかけているわけじゃないもの。まあ、覗かれる人たちは自業自得ってことで。だって面白いでしょう? 閨での〝愛〟の言葉を真に受けるのは愚かだと言うけれど、交わされる会話はとても意味あるものだと思うわ。人間関係もよくわかるし、その人の本性もわかったりするもの」

「……今回のことは、俺にイレーン・マルケス夫人の本性を見せるためか? それとも、清廉潔白だと褒めたロレンゾ・カスペルの本性を知らせるためか?」

「あら、違うわ。マルケス夫人のあれはほんの一部分でしかないし、カスペル騎士の清廉潔白さは何も変わらないでしょう? 今日の午後は非番のはずだし、ちょっと被虐趣味なだけで任務に影響を及ぼしたことは私の知る限りないと思うわ」

「アリエス……お前は騎士たちの非番まで把握しているのかよ」


 呆れたというように、ジークは呟いた。

 アリエスがあの二人の逢引きの日時がわかったのも、ロレンゾの非番を把握しているからなのだ。

 もちろんイレーンの予定もある程度把握している。

 アリエスは小さく肩を竦めた。


「私には考えないといけない膨大な議案や、面会しなければいけない要人はいないから。ただただ自分のために頭も時間も使えばいいだけだもの」

「それならいっそのこと、密偵にでもなったらどうだ?」

「嫌よ。これはただ好きでやっていることなの。仕事にしたら途端に息苦しくなってしまうわ。この国はそんなに人手不足なの?」

「そうだなあ。優秀な人材はなかなかいないな。アリエスならもうすでに知っていると思うが、ポルドロフ王国の動向が少しばかり怪しいからな。そっちに人手を割かなければならないんだよ」


 アリエスは小さく首を傾げただけで、何も答えなかった。

 ポルドロフ王国内には数年前からとある問題があったが、ここ最近になって大きくなり表面化してしまっている。

 だがそれをわざわざジークに――この国の人間に教えようとは思わなかった。

 今のところアリエスの生活を脅かすものではないので静観しているのだ。


「外に目を向けるのも大切だけれど、まずは内側じゃないかしら? 内側を盤石なものにしておけば、外側で何が起ころうと揺らぐことはないでしょう?」

「……ハリストフ伯爵は見る目がないな。あんたを手放すなんて愚か者の極みだろ?」

「愚かだということに否定はしないわ。彼は真実の愛を見つけたらしいから」

「ああ、それは残念だったな」


 心から同情しているようなジークの呟きに、アリエスは疑わしげな視線を向けた。

 いったいどちらに向けた同情か、アリエスにはわからなかったのだ。


「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。人手不足だからな。また面白いことがあったら教えてくれ」

「それならあなたも教えてね」

「交換条件か?」

「何事にも対価は必要でしょう? あなたには二度助けられているから、これで貸し借りはなしよ」

「あんなのは助けたうちに入らないが、借りを作るのが嫌なんだな? わかった。一昨日と今日とで貸し借りなしだ」


 そう言って立ち上がったジークはふと動きを止める。

 本にまた視線を戻そうとしたアリエスはどうしたのかと顔を上げた。


「悪い。もう一つだけ教えてくれ」

「何かしら?」

「マルケス夫人のあれがほんの一部分なら、他に何があるんだ?」

「……その情報はとても高いわよ?」

「頼む」

「わかったわ。そうね、彼女は日替わりで……というのは少し大げさだけど、それくらいお相手がいるみたい。しかもその相手それぞれに対応を変えているの。正直に言って、彼女は天才ね。おそらく王妃様となるだけの才覚はある、と私は思うわ」

「――わかった。ありがとう。何か礼を考えておくよ」

「ええ、お願い」


 真剣な表情でお礼を口にして、ジークは去っていった。

 アリエスはその背を見送ることなく、再び本に視線を落とした。




 いつもありがとうございます。

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 ぜ~んぶ合わせてよろしくお願いいたします(*^▽^*)/

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