18.専属メイド
「やっぱりおかしいわね……」
誰もいない資料室で、アリエスは比較的新しい本に目を通しながら呟いた。
カーテンは明かりを取り入れるために少し開かれている。
そのおかげで資料室はいつもよりかなり明るかった。
小さなテーブルの上に本を積み上げ、椅子に座ったアリエスは、そこでふと顔を上げて眉を寄せる。
(この音は……)
資料室は普段はあまり人の行き来がない場所にあるので、とても静かで廊下の足音さえも響く。
しかもこの床を傷つけるかのような歩き方をする足音は女官長のもの。
女官の服を着ていてよかった。
アリエスは自分の幸運に感謝しながら、カーテンを引いて本を整理するふりを始めた。
「クローヤル女史、いるのですか?」
「――はい、ここに」
慌てて隠れた書架の間から本を抱えて顔を出すと、女官長は蔑みの表情でアリエスを見た。
続いて入ってきた女官長補佐のロイヤは忌々しそうにアリエスを睨みつける。
室内はランタンの明かりだけで薄暗い。
しばらく無言でアリエスを観察していた女官長に対し、アリエスは気長に待った。
「先ほどの騒ぎにまたあなたは関わっていたそうね」
「先ほどの騒ぎとは?」
「しらばっくれないで。ドロタが殺されたことよ」
「メイド長さんが殺されたことには関わっておりません」
「当たり前です!」
女官長は苛々しながら資料室の閲覧コーナーを行ったり来たりしている。
ここの床も傷むわね、などと足元を見ていたアリエスを女官長は誤解したらしい。
俯いて殊勝に反省していると思ったのか、わずかに声音を和らげる。
「まあ、今回のことはよくやったと褒めてあげてもいいわ。あの男にはドロタも散々苦しめられて……まさか最期まであんなことになるなんて思いもしなかったけれど、あのままではあの男は犯した罪を償いもせず、のうのうと生きていたでしょうから。ドロタのお金をせしめてね!」
怒りが収まらなかったのか、女官長はドンっと床を踏み鳴らした。
アリエスは気の毒な床を見つめながら、そういえば女官長とメイド長は仲が良かったことを思い出した。
ロイヤは扉の手前に立ったまま動かない。
まるで資料室に足を踏み入れるのが汚らわしいというように、視線だけ動かしていた。
アリエスはロイヤの反応を内心で面白がりながら態度には出さず、遠慮しているかのようにゆっくり顔を上げた。
「それで、いったいどんなご用でしょうか?」
女官長がただヤコテの愚痴だのを言いに来たとは思えない。
さっさと用件を済ませて帰ってほしくて、アリエスは先を促した。
不快そうに女官長は顔をしかめたが、すぐに唇の端をにぃっと上げて笑う。
「あなたはよくやってくれたわ。だからご褒美をあげようと思ったのよ」
「……ご褒美ですか? そのようなお気遣いは無用ですのに。お気持ちだけありがたく頂戴いたします」
嫌な予感しかしない申し出に、アリエスはすぐさま辞退した。
だが、女官長は首を振る。
「遠慮はいらないのよ。あなたは常々ここで資料整理を頑張ってくれているのだもの。だからあなた専属のメイドを用意したわ」
「私にはすでにユッタがおりますから。専属ではありませんが、今のままで十分でございます」
「……そう。謙虚なことはいいことだけれど、もう決めたのよ。あなたの専属メイドはフロリスよ」
やはりただの嫌がらせだった。
アリエスはフロリスの姿を頭に思い浮かべ、ため息を呑み込んだ。
ロイヤは初耳だったのか、驚いた様子で女官長を見ている。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。それではフロリスを本日より、私専属のメイドとさせていただきます」
「じゃ、せいぜい可愛がってあげてちょうだい」
本を抱えたままアリエスが頭を下げると、女官長は満足げに頷いて踵を返した。
ロイヤとともに嫌な足音を再び響かせながら。
(フロリスねえ……)
アリエスは抱えていた本をテーブルに置いて座ると、椅子に背を預けて考えた。
名前は知らなかったが、ここ最近のメイド長のいじめのターゲットにされている新入りの噂は聞いていた。
入って半年になるが、掃除も洗濯も調理補助もダメ。
きちんと隅まで掃除はできず、洗濯物のシミも取れず、料理を運ぶと何かにぶつかりこぼしてお皿を割る。
昨日も綺麗になった洗濯物をひっくり返していた。
ついには煙突掃除を命じられたそうだが、なぜクビにしなかったのかと疑問に思う。
(そもそも、なぜそんな子が王宮のメイドになれたのかしら……?)
王宮で働くのなら下働きの者たちまで必ずしっかりとした紹介状がいる。
しかも下働きではなく、メイドとして雇われたのなら紹介者がそれなりの立場の者だったのだろう。
使えなかったのならクビにすればいいはずだが、それをしなかったのは紹介者の顔を立てるためなのだ。
それなのに煙突掃除を命じるなど、手っ取り早く厄介払いをするために、自分から辞めさせるように仕向けたのかもしれない。
(それで、結局は私の専属メイドとすることで厄介払いしたわけね)
アリエスはさっと立ち上がると、本をそのままに資料室を後にした。
そして通りすがりにメイドを見つけると、フロリスに部屋にくるようにとの伝言を託す。
部屋に戻ると、ちょうどユッタが掃除をしてくれていた。
「アリエス様! 今日のご活躍も伺いました! メイド長がヤコテさんに殺されたのに、あの悪党はフロリスのせいにしようとしたとか! それをアリエス様が暴かれたのでしょう!?」
「……私は事実を言ったまでよ。だけど事実が真実とは限らないわ」
「え? どういうことですか?」
「ううん。何でもないの。それよりユッタ、今日からはもう私の世話はそんなに必要ないわ」
「そんな……私ではご不満でしたか?」
アリエスの姿を目にした途端、ユッタは顔を輝かせて今朝の事件のことを語った。
やはりメイド長が亡くなったことは悲しんでいないらしい。
アリエスは何も考えずに呟き、慌てて話題を変えた。
するとユッタはショックを受けて一気に目に涙をためる。
面倒だなと感じつつ、ユッタに世話になったのは確かなので、アリエスは言葉を選んで話し始めた。
「あなたにはここに来てからずっとお世話になりっぱなしで、とても感謝しているの。ユッタがいなかったら、とても心細かったと思う。だけど私に専属メイドが決まったのよ」
「わ、私こそ、アリエス様にお仕えすることは楽しいです。それ以上に大恩ある方で……」
「もうそのことは忘れて。つらいことまで思い出してしまうでしょう? それに、私も寂しいわ。今度の専属メイドは女官長の采配で、フロリスに決まったの」
「フロリスなんて、厄介者を押し付けられただけじゃないですか!」
「……ユッタには申し訳ないんだけど、これからも時間のあるときは私のためにフロリスを助けてあげてほしいの」
「もちろんです!」
ユッタの怒りに満ちた訴えを否定も肯定もせず、アリエスはただ自分の願いを口にした。
予想通りユッタからは了承の言葉が返ってくる。
第一段階が上手くいったことに安堵しつつ、次の段階に進むべく準備を始めた。




