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86.頼み事

 

 いつもより早めにフロリスのふりをして王族専用棟から出たアリエスは、予想以上の収穫に満足していた。

 そして資料室へといったん戻ったとき、ジークがやってきた。


「王宮内はずいぶんな騒ぎですのに、あなたはまた暇なんですか?」

「お互い様だろ? それで、収穫はあったのか?」

「ジークはどうでした?」


 アリエスもジークも質問を質問で返すだけで、答えを口にしない。

 ジークは降参とばかりに両手を上げ、窓際にある椅子に座った。

 どうやら居座る気らしいと、アリエスはため息を吐きつつ向かいに座って本の修繕を始める。


「まあ、落ちぶれたとはいえ、カスペル前侯爵夫人はつい最近までこの王宮内で一番の権勢を振るっていたからな。良くも悪くも皆の記憶に残っているようだ」


 ジークはそれらしく話したが、仕入れた情報については結局触れていない。

 ひょっとして単なる癖なのかもしれないと気づいて、アリエスはジークを観察するように見た。

 おそらく幼い頃から、発言一つに大きな重みを持つ立場であるのだと、厳しく躾けられたのだろう。

 そのために何事も明言することを避け、できるだけ相手から発言させ、情報を引き出すように誘導しているのだ。

 要するに、こういうときにはずばり訊いたほうが早い。


「ところで、ラリーと繋がっていたのは、誰ですか?」

「ずいぶん話が変わるな」

「それほどでもないと思います」


 アリエスは無表情のまま、茶化して言うジークの答えを待った。

 すると、ジークは小さくため息を吐く。


「悪かったよ。昨日は言い忘れただけだ。ラリー・マンベラスはベルランド公国の貧しい家庭で生まれた。そして、彼の才能に気づいた町の医師が養子として迎え、ポルドロフ王国に留学させた。養父の希望通り医学を学んだが、薬草学に魅入られたようで国に帰ることはなく、そのままポルドロフで研究を続け、そこで出会ったのがハームトン公爵というわけだ」

「先日の建国記念パーティーに来賓として来ていましたね。王太子とメルシア様との婚約の仲介をしたのもハームトン公爵だとか」

「ああ。納得したか?」

「ラリーは多くの方の支援を受けて成長したのね。それで、ベルランド公国のご家族はお元気なのかしら」

「……調べとくよ」


 アリエスがラリー・マンベラスの周囲で不審死した者が多いのではないかと暗に問うと、ジークはすぐに察した。

 他人の心には疎いが、言葉の機微には敏いようだ。

 アリエスはつまらない意地を張るのをやめ、素直に先の問いに答え始めた。


「ポルドロフ王国はハームトン公爵派とセルディ侯爵派に分かれています。今までは均衡を保っていたのですが、ここ最近急にハームトン公爵派が力をつけている理由が少しだけわかった気がします」

「セルディ侯爵派の中には不審な死に方をした者が多そうだな」

「私があの国で暮らしていた間で……四名ほどでしょうか? ただ、当初はそこまでポルドロフ王国内の情勢について関心がありませんでしたので、正確ではありません」


 結婚当初は夫であるハリストフの暴力に耐えるだけで精一杯だった。

 それなのに姑であるハリストフ伯爵未亡人は、社交の場にアリエスが出るよう強要したのだ。

 そこで笑いものにされ、涙を堪えて会場から抜け出し、休憩用などに解放されている図書室や応接間の陰に隠れていたアリエスは、様々な密会に遭遇することになったのだった。


(あれが私の人生の転換点よね……)


 最初は他人の秘密を知ってしまったことが怖かった。

 だが、アリエスを馬鹿にする者たちの秘密を知ってしまうと、笑われてもどうでもよくなり、次第に娯楽へと変わっていったのだ。

 そして自ら秘密を集めるようになった。


「しかし、不審死というほどではないが、ハームトン派の関係者たちも何人か死んでいるよな?」

「別に毒だけが暗殺の手段ではありませんからね。まあ、どちらも強硬派に違いはありませんので、どちらの派閥が優勢になろうとこの国が安泰になるわけではありません」

「勘弁してほしいものだな。だが、何だってポルドロフの者たちはそんなに過激なのかとの疑問は、ハリストフ伯爵家のことを知って納得したよ」

「そうですね。ハームトン公爵家は王家の血統ですし、セルディ侯爵家には七代前に王女が降嫁しておりますから。その方については特筆されるようことはなかったようですが、王家の血が流れていることに違いはありません。そしておそらく、ポルドロフの狙いはメルシア様に男児はもちろん、女児を産ませてリクハルド殿下に嫁がせることだと思います」

「その頃には、俺は生きてないだろうな」

「そうですね」

「否定しろとは言わないが、せめて励ましてくれ」


 ため息交じりのジークの言葉を、アリエスは容赦なく肯定した。

 そんなアリエスに苦情を言いながら笑っていたジークだが、ふと真顔に戻る。


「ポルドロフの王女との縁談は以前もあった」


 初めて聞く話に、アリエスは珍しく驚きを顔に出した。

 しかし、考えてみれば当然なのだ。

 確かにポルドロフの現国王には二人の娘がおり、一人はベルランド公国へ、もう一人はまた別の国へと嫁いでいる。

 王女たちの年齢を考えると、その縁談は六、七年ほど前だろう。

 その頃のアリエスは政治になど興味を示す余裕もなかった。


「それで、先々代カスペル侯爵――前宰相様はテブラン公爵令嬢との結婚を進められたのですね」

「先代国王が亡くなってからまだ情勢不安のあるこの国に、ポルドロフの者を公に入れるわけにはいかなかったからな」


 すでに内部には侵入を許していても、公の立場をポルドロフの者に与えるわけにはいかなかったのだ。

 ましてや王妃になどさせられるわけがない。

 そこで叛意の可能性があってもまだ国内の者――テブラン公爵のほうがよいと考えたのだろう。

 当然、テブラン公爵の大きすぎる野心がポルドロフに利用されるだろうことは、前宰相も読んでいたはずだ。

 それでも、この国の情勢を立て直すまでの時間稼ぎにはなった。

 だからこそ、前宰相は病に蝕まれながらも無理をしてその座についていたのだ。


「なあ、一つ頼みがある」

「対価が必要です」


 変わらずぶれないアリエスの返答に、ジークは声を出して笑う。

 だが、その目は怖いほどに真剣で、アリエスは警戒した。


「対価は……そうだな。これから俺が得るすべての情報でどうだ?」

「さあ、どうでしょう? あなたはずいぶん忘れっぽいようですから、今一つ信用できませんね」

「では、前払いで一つ」

「受けるかどうかはお約束しませんが、遠慮なくどうぞ」


 アリエスがずうずうしく促すと、再びジークは笑った。

 ジークにとって、アリエスとだけが本音で向き合える気がする。

 だから本当ならば、頼み事などしたくなかった。


「イレーン・マルケスについての報告が届いた。イレーンの出自について、真偽は不明。マルケス男爵はイレーンと結婚してから約半年後に()()()()で亡くなったらしい。男爵はテブラン公爵と繋がりが強かったが捨て駒でもあったようだ。ちなみに、男爵の前妻もイレーンと出会う一年ほど前に()()()()で亡くなっている」

「……芸がありませんね」


 ジークから伝えられた情報に、アリエスはぼそりと呟いて考え込んだ。

 イレーン・マルケス男爵未亡人とラリー・マンベラス医師が繋がっていたことに、今さら驚きはない。

 ただ、ラリーがそこまで同じ毒にこだわる理由がわからなかった。


「私なら……いろいろ試してみたくなるものだけど……」

「考えが声に出てるぞ」

「あら、失礼」


 ジークに突っ込まれて、アリエスは悪びれもせずに一応の謝罪の言葉を口にした。

 ラリーが使用した毒については、精度を高めるために実験を繰り返しているとも考えられる。

 しかし、ポルドロフでのセルディ侯爵派の者たちの不審死は、心臓発作ばかりでないのは確かだった。

 もちろん全員がラリーによって殺されたわけではないだろう。

 それでも好奇心をくすぐられる程度には、価値ある情報だった。

 これを前払いにもってくるジークの巧妙さが悔しくもある。

 だがジークは得意げになっているわけでもなく、じっとアリエスの返事を待っていた。


「……とても魅力的な取引ではありますけど、やはりまずは条件を――その頼みとやらを聞いてみないと、お答えできません」

「ま、それは当然だな」


 前払いしたのだからと不満を口にするでもなく、ジークはあっさり認めた。

 そしてまっすぐにアリエスを見つめて言い放つ。


「アリエス、俺のために死んでくれ」


 予想はしていたが予想外の言葉に、アリエスはかすかに笑ったのだった。



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