85.訃報
皆様、お久しぶりです。また金曜まで更新しますので、よろしくお願いいたします。
「え~やっぱり帰らないとダメですかあ?」
「そうですね。たとえ気乗りしなくても、特に信念があるわけでないのなら慣例に従っておいたほうがよいでしょう。お母様の葬儀に参列しないと、何を言われるかわかったものではないですから。面倒事は避けられるなら避けるに限ります」
カスペル前侯爵夫人が亡くなったと訃報が届いた翌朝。
母親の死を聞いたアリーチェは涙を見せることもなく、領地へ帰ることを渋っていた。
アリエスがそんなアリーチェを諭すように言うと、アリーチェが不思議そうに首を傾げる。
「アリエス様は私のことを責めないのですかあ?」
「何か責められるようなことをしでかしたのですか? でしたら、何をしたのか今すぐ白状してください」
「違いますよ~」
アリエスが特に表情を変えず悪事の告白を促すと、アリーチェはあくびをしながら答えた。
寝ていたところを無理に起こしたので、まだ眠いのだろう。
寝衣にガウンを羽織っただけのアリーチェは、ガウンのリボンを指でくるくるしている。
「だってぇ、お母様が亡くなったって聞いても、全然悲しくないですし涙も出ません。面倒だなあって思うくらいなんです~」
「ええ、それで?」
「それだけなんですけど~。でも、普通は母親が亡くなったんだから、悲しまないとおかしいって言われるじゃないですか~」
「なぜ私がアリーチェ様の感情にまで指図しなければならないのです? 感情はどうでもよいので、葬儀に参列なさってください。面倒なのはわかりますが、参列なさらなければさらに面倒ですよ。さあ、急いでご準備なさってください。お兄様のカスペル侯爵はお先に発たれたようですので、お一人での帰郷となりますが、護衛もおりますし問題ないでしょう」
親子の情がないとか、死に対して不謹慎だとか言う者は多いので、アリーチェの言い分はわかる。
だが、アリエスは他人の感情にまで口出しをしてくる者のほうが嫌いだった。
誰が何を感じていようと実害がなければどうでもいいはずなのに世間というものは煩い。
アリーチェが『普通』を持ち出してアリエスに責められないのか気にしているのも、おそらく自分が母親の死を悲しんでいないことを気にしているのだろう。
「だから私、アリエス様のことが大好きです~」
「それはどうも」
「だからあ、一緒に帰りませんかあ?」
「……無理ですね」
正直なところ、魅力的な誘いだが受けるわけにはいかない。
侯爵領での葬儀に参列するとなると往復で五日はかかるため、そんなにもリクハルドの傍を離れるわけにはいかなかった。
「じゃあ、殿下も一緒にどうですかあ?」
「無理ですね」
「え~」
アリエスは「馬鹿ですか?」と言いたいのを我慢して、今度はきっぱり言い切った。
この国唯一の直系王位継承者であるリクハルドをそんなに気軽に王宮から連れ出せるわけがない。
せめて十歳にはならないと、リクハルドは王宮から出ることも許されないだろう。
場合によっては、成人するまで無理かもしれない。
そこでふと、現国王も唯一の王子であったことを思い出した。
過去の日誌を読む限り、王太子時代には何度かあった公務での外出は、即位してからは一度もないのだ。
狩りにですら出かけていない。
もちろん内密での外出はあるのかもしれないが、そこまではさすがにアリエスも把握していなかった。
(ポルドロフ王国では国王も王太子もよく外出していたけれど、あれはねえ……)
アリエスはポルドロフ国王と王太子のことを思い出し、気分が悪くなった。
気持ちを切り替えるように小さく息を吐き、ぐずぐずするアリーチェをもう一度促す。
「とにかく、荷物は今急ぎ準備させていますので、アリーチェ様もお支度ください。それでは道中お気をつけて」
「これでお別れなんですか~? 見送ってほしいです~」
「また一年後にお会いできるのを楽しみにしております」
「え~! どうして一年なんですか~?」
あまりにも呑気なアリーチェの言葉に、アリエスは頭が痛くなりそうだった。
アリエスは右手でこめかみを揉みながら、未だに支度をしようとしないアリーチェに言い聞かせる。
「服喪期間があるからですよ、アリーチェ様。先ほども申した通り、慣例には従っておいたほうが面倒がなくてよいのです。特にテブラン公爵やメルシア様が三年近くも喪に服しておられたのですから、世間はきっと比べるでしょう。まあ、ご領地でパーティー三昧さえしなければ何をしようとご自由ですから、羽を伸ばしてこられたらどうですか?」
アリエスがそう言うと、アリーチェはくすくす笑う。
「やっぱりアリエス様から離れるのはつらいです~。慰めの言葉もなくてぇ、こんなに面白いことを言ってくれるなんて~」
「お元気になったようで何よりです。それでは、私も忙しいので、これで失礼します」
「え~」
いつまでも相手にしているわけにもいかず、アリエスは不満げなアリーチェを残して踵を返した。
もちろん見送るつもりもない。
自室に戻ったアリエスはリクハルドが起きるまでの間、これからのことを考えた。
昨夜ジークに告げたように、おそらくラリー・マンベラスはカスペル前侯爵夫人の葬儀に現れるだろう。
もしくは、参列はしないまでも、一度は前侯爵夫人の死体を確認するのではないかと予想している。
スズランの匂いの香袋を使ったのもミスではなく、故意的なのだ。
少しずつ痕跡を残して、誰かが自分の存在を気づくのを待っていたとしか思えない。
わざわざアリエスに近づいたのは、知られていることを恐れたのではなく、単に試したのだ。
(好奇心旺盛なうえに、ずいぶん顕示欲が強いようね……)
おかげでこの国は助かったと言ってもいいだろう。
もしラリーが間諜に徹していれば、アリエスが出戻るまでにこの国は乗っ取られていたはずだ。
(……いえ、そもそも本当に間諜なのかしら?)
ジークは調べた結果、ポルドロフに繋がったと言っていたが、ラリーのような扱いの難しい人物を使うなど自分の首を絞めるようなものだ。
もし本当に間諜として雇われているなら、主人はその本性を知らないのだろう。
(きちんとジークに確認しなければいけないわね……)
そこまで考えて、アリエスは気づいた。
ジークはアリエスに報告しろと言っておきながら、自分はすべてを話していないのだ。
アリエスがポルドロフ王国の人間に詳しいと知っていながら、ラリーが繋がっている人物については口にしなかった。
そのことについては、アリエスもうっかりしていたとしか言えない。
思っていたよりも、カスペル前侯爵夫人が殺されたことで動揺していたようだ。
(アリーチェ様も後からくるかもしれないわね……)
アリエスの場合は悲しみよりも驚きといった衝撃だが、アリーチェの場合は感情が追いついていないだけかもしれない。――もちろん、そのまま特に何も感じないかもしれないが。
そうこうしているうちに、王宮内が騒がしくなっている。
アリエスがいる王族専用棟にまでざわつきが伝わってくるということは、政務官たちが騒いでいるのだろう。
おそらくカスペル前侯爵夫人の死が広がり始めたのだ。
今日はきっと多くの噂話の収穫がありそうだと楽しみにしながら、アリエスはリクハルドを起こしに寝室へと向かった。
いつもありがとうございます。
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