視察と言う名の、社会見学
「あんたの特技は?」
相変わらず、華やかな顔に似合わずぞんざいな物言いだ。私はアズリエルさんから招かれ、エヴァニ公爵家ーーアズリエルさんの家の庭で、お茶を頂いている。話題は至極まじめに、私の今後についてだ。
「うーん。特技はこれといってないですね」
即答する私に大きなため息を漏らすアズリエルさん。壮絶なほどの美人にため息をつかれるとなぜかちょっと傷つく気がする。
「じゃあ。お国では何してたのよ。伯爵令嬢として何かやってたでしょ!」
ものすごい迫力に気圧されてしまいそうだ。うう、この人結構気が短い。
「……一応、教会で慈善活動をしていました。シスターのお手伝いとか、あとは病人の看護をお手伝いとかですね」
「それだ」
紅茶のカップに備え付けられたスプーンをピ、とこちらに差し向けてくる。少し紅茶の雫が飛んできたような気がしないでもない。
「あなた、今度城下の教会に行ってきなさいよ。とりあえずそこからね」
「私一人で、ですか?」
アズリエルさんが考え込む。顎に手を当て流し目で思案する姿は、まるで彫像みたい。ぼうっと見とれていると、すぐに彼女は上を向いた。
「さすがに女性一人では危ないわね。適当な奴一人見繕っておくわ。明日あたり、一度城下の教会に顔出してきなさいよ」
「はい。そうしてみます」
私がお土産に持ってきたペンネさん特製のクッキーを頬張りながら、彼女は満足そうに頷いた。
次の日の正午。皇宮の広間ではアクセルさんが私をものすごく嫌そうな目で、文字通り見下していた。
「なんで俺があんたの付き添いなんだ」
「そんなの知りません」
ぷい、と顔を背けると頭上からがしりと頭頂を骨格ごと掴まれる。
「ちょ、なにするのよ!」
「生意気な態度とるからだ」
ぎりり、とお互いを睨みつつ、距離をとる。やっぱりこの人はどうにも合わない。元から嫌われているようなので、合わないのも当たり前かもしれないけれど。
「ち。さっさと行きますよ!」
さっさと門外に歩き出す背中を追いかける。
それにしても足が速くてついて行きづらい!ルーク様よりもどうみたって小柄なのに、どうしてこんなに歩く速さが違うのだろう。ルーク様とはもっと、ゆったり歩けているのに。そんな風に心の中で文句を並べているうちに、ルーク様がいつも私の歩幅に合わせてくれていることに思い至った。苛々していた胸がふわっと軽くなったよう。こんな嬉しいことに今まで気が付かなかったなんて。
知らず、顔面が緩む。私の心中を知ってか知らずかアクセルさんが大分遠く、坂の下から声をかけてきた。
「さっさと来てくれませんかねー!貴重な時間が勿体ないんですがー!」
ぐ、ムカつく。思わず下町言葉で悪態をついてしまう。いけない、私は淑女。伯爵令嬢、侯爵夫人。言い聞かせて心を落ち着けながら、早足で石畳の上を追いかけた。
「到着だ」
皇宮に向けてゆるやかな上り坂になっている大通りの途中に、その教会はあった。神自身を祀る神殿は皇宮の敷地内にあり、そこへは許された一部の人間か成年などの区切りを迎えた人々にしか出入りを許されない。そんなこの国の人々にとって、神を分祀された教会はより身近な存在であり生活圏の一部だった。それは同じ神を信仰する祖国マリベルシアも同じでーー神殿自体は王宮になかったけれどーーこちらに嫁ぐ前にはよく慈善活動として教会に顔を出していた。
「ようこそおいで下さいました」
大きな扉の前で白い装束で身を包んだ年老いたシスターが教会の入り口で出迎えてくれた。早々に教会の中に招かれ、一室で説明を受ける。どうやらマリベルシアと教会の役割・仕組みはほとんど変わらないようで、主に祈りの場所、救護所といったものだった。ひとしきりの説明が終わり、シスターがお茶のおかわりを持ってきてくれる間に、窓から裏庭を覗く。シスターの説明を聞いている途中から子供たちの笑い声が聞こえていたのでもしかしたらと思っていたけれど、予想通り子供たちが教会の裏庭で遊んでいるようだった。
「あんなにはしゃいで、かわいい」
六、七人ほどの子供が、幼い笑い声を上げながら駆け回っている。眺めていると、皆一様に白い服を着ていることに気付いた。制服かなにかだろうか?
「ここは子供たちを預かる役目も担っているのですか?」
丁度おかわりの紅茶を持って戻ってきたシスターに問うた。
「ああ、あの子たちは孤児なのです」
孤児。
「皆、両親や身寄りを失った平民の子供たちばかりです。こちらで保護し、衣食住を保証しておるのです」
シスターが窓に近寄り、優しい眼差しで子供たちを見つめながら続ける。
「しかし、それだけです。彼らの行く末はとても不安が多い。」
大きな戦火が絶えて久しいこの大陸でも、国々の小さな小競り合いや内乱はあった。その中で死者が出て、自然と孤児が生まれてしまうことは世間知らずの私でも理解できる。その彼らは満足な教育も受けられず、行き着く先は想像に難くなかった。
「この孤児の保護制度はできたばかりで、まだ穴も多い。当代の皇帝陛下が制定したが、旧体制を指示する保守派の反対にあって二の足を踏んでいる部分だ」
アクセルさんが真面目な顔をして割り込んできた話は、聞き流せない内容だった。
「旧体制って?」
「前皇帝時代の様々な習慣、つまり一部の上位貴族たちが押し進めてきた、貴族有利の社会体制のことだ。以前のこの国では平民孤児の人身売買が公的に、平然と行われていた。買うのは主にこの国の貴族か、他国への売られ先次第で奴隷同然の扱いを受けることもあったんだ」
あまりのことに息をのむ。アクセルさんは私を横目で見ながら続ける。
「さすがに二十年ほど前にはその悪習も世論の批判にあいはじめ、表ではなりを潜めた。だが、人身売買は大きな金が動く。それを取り仕切る貴族どもは利益を逃すまいと水面下で『事業』を続けていた。前皇帝はそれを黙認していたんだ。……そもそも貴族たちにより支配されていた前皇帝に実権などなかったという話だが」
「ひどい……話だわ」
ほの近い、今は自国の過去に息が詰まる。裏庭の子供たちを見ると、太陽に照らされた笑顔が眩しく映る。命の輝きに満ちた姿に安堵感を覚えた。
「奥様は、子供たちに興味がおありですか」
シスターから声がかかる。
興味。
興味とは違うような、この感情は何なのだろう。自分でもうまく言い表せないものが心の中で渦まいていた。
結局、あの後すぐにアクセルさんの次の用事があるとかで、私たちは教会をあとにした。アクセルさんは帰り途ずっと無表情だったけれど、傾きかけた日差しが彼の顔に影を落としていた。聞きたいことは沢山あったけれどそれが許される雰囲気でもなく、黙々と歩んだ。アクセルさんは私をディモア家まで送り届けた後、再び宮殿へ向かったらしい。
その夜、私はソファに座り、ゼクトさんから借りた『ゼクセン史』なる書物に目を通していた。分厚い本の細かい文字を追うのは結構な苦痛で、しかもお目当ての近代史は先々代の皇帝の御代までの記載で閉じられていた。ため息をつき天井を見上げると、ちょうどアリサが出来立てのお茶をカップに注ぎながら、しとやかに訪ねてきた。
「一生懸命に、何をお調べですか?」
「この国の近代ーー先代の皇帝時代のことを」
アリサが少しだけ目を見開き、笑う。
「それって、きっと旦那様に聞けば早いと思います」
うーん。それをしてしまえば早いのは確かにわかるのだけれど。
「もの知らずで出来の悪い妻だって思われたくない」
「それこそ、直接聞いた方が旦那様も喜ばれますよ。というか、少しでもレイニス様をおそばに置いておきたいのが本音でしょうから、そこの扉を開けて差しあげて下さいな」
ルーク様との部屋を隔てる扉を指し満面の笑顔を浮かべるアリサを横目に、分厚い本をソファの隅に追いやる。
確かに、ルーク様はそう思っているかもしれない。ノックをしようと扉の前に立ったところで、目の前からノックの音が響いた。反射的にカチャリと扉を開けると、当たり前ではあるけれどルーク様が立っていた。
「今日は反応がいやに早いね、少し驚いた」
「ちょうど、そちらに行こうと思って、いた……ので……」
目線を足下に逸らし、ついつい言葉が尻すぼみになってしまう。というのも、夜着を着たルーク様は昼間と違って少し気怠そうで、それでいて色気がある。まともに直視できるのは眠る直前くらいだ。目前の彼も色気だだ漏れ状態なので、私の心臓は早鐘を打ち、喉は潤いを忘れ声も小さくなってしまう。夜の彼にはいつになったら慣れるのだろうか。……もしかしたら死ぬまで慣れないのではなかろうか。
そんな私の心情を知ってか知らずか、彼は余裕のある所作で私の腰を抱き、自身の部屋に向かい入れる。扉が閉められる直前にちら、と後ろを見ると、アリサがふるふると笑いをこらえて手を振っていた。……あの子、私で楽しんでない?




