続・お仕事見学
ルーク様の執務室にお邪魔するようになって、今日でちょうど一週間目になる。お弁当を届けて一緒に食べて、その後は執務室で書類整理やお茶の準備をする。業務が早く終わる日は一緒に帰り、そうでなければ一足先に屋敷へ戻る。仕事の邪魔になるだろうと皇宮へ行くのを遠慮すると、ルーク様はあからさまに沈んだ顔つきに変わり、その度にゼクトさんが助け舟を出した。それで結局、一週間皆勤で通っているのである。
一週間も執務室にいると、どんな人たちがルーク様の周りを取り巻いているのかだいたいが把握できるようになる。アクセルさんその他の文官さんたちは常に執務室に出入りするので、すでに顔見知りとなり、二、三言葉を交わすこともしばしばあった。そんな中で、一日一回はアズリエルさんが執務室に来るのに気がついた。貴族令嬢のアズリエルさんが宰相執務室に出入りするってどういうことなんだろうと疑問に思い、休憩時間にルーク様に聞いてみた。
「ああ、アズは皇帝付きの秘書官の仕事もしているんだよ」
けろり、という表情で言うルーク様。そういえば、執務室に出入りする彼女は必ず大量の書類を持っていたような。
「女性だてらに国政に参加できるなんてすごい……」
素直に感心し、呟く。皇帝陛下付きともなれば、超一流の政治知識と頭の回転が必要になるだろうことは想像がつく。あれだけ美人で、はっきりものが言えて、その上才媛だなんて。
「この国では近年、女性の活躍が目覚ましいね。アズはその中でも代表格かな」
あの身分であの待遇だと誤解ややっかみも多いけどね、と付け加えるルーク様の目は、少し陰を落としていた。エヴァニ公爵家の令嬢ともなれば皇帝の外戚にあたるので、縁故での秘書官抜擢だと騒ぐ人たちも多いのだとか。
「でも、実力はあるのでしょう?」
「もちろん。レオはーー陛下は、私情で人事を荒らすようなことはしないよ。アズは有能だ」
陛下のことをレオ、って呼んだ。親しげな様子にどきりとしつつ、私は自分のあり方について不安を覚えた。
ルーク様の妻だということでここに出入りしているけれど、やっていることは誰でもできることだ。第一、役に立っているとも思えない。私は旦那様と一緒にいられることで幸せだけれど、これって本当に正しいことなのだろうか。
もっとディモア侯爵家の夫人としてできることがあるのではないかーー
そう思いながら考えていると、執務室の扉がちゃりと開く音がした。声から察するに、ちょうど噂のアズリエルさんが訪れたようだ。衝立て越しに入り口をのぞくと、今日も美しく着飾った彼女が、例によって多くの書類の束を抱えていた。
「アズリエルさん、こんにちは」
「あら、あなた今日もいるのね。暇なのだったらこっちの手伝いでもしなさいよね」
響く声は物語に出てくる人魚の姫君を彷彿とさせるのに物言いはぞんざいで、その落差に笑ってしまう。
「なによ」
じと、とこちらをねめつける彼女に駆け寄り、書類を受け取る。ぐ、案外重い。その重さから解放された彼女はぷらぷらと腕を振り、机で書類に目を通していたルーク様に近寄る。
「ちょっと。あんた奥さん好きも大概にしなさいよね。職場にまで連れ込んで。この子だって戸惑っているじゃない」
うう、やはり言われてしまった。というか、私の心内までお見通しとは。
「レインがいた方が仕事の効率が上がる。離れていると気になって仕事にならん」
ぼそり、とルーク様が返す。えええ。そうだったの?思わず顔が熱くなる。
「莫迦か。あんた、自分の嫁が周りにどんな風に言われてもいいって?放っといたら傷つくのはこの子よ」
アズリエルさんが言い放つさまに、ルーク様の手がぴた、と止まり私たちの方を見上げる。
「……誰が言ってるんだ」
「そういうことを言ってるんじゃない。新婚ボケか、この愚か者」
散々な言い様に冷や汗が伝う気がする。視線を感じチラリと横を見ると、執務室と繋がった下官用の部屋からアクセルさんが青筋立てつつもアズリエルさんの言葉にうんうん頷いていた。怒るか同意するか、どちらかにして下さい……。一方、ルーク様も明らかな不機嫌顔でがたりと椅子から腰を上げる。まさに一触即発、原因は間違いなく私。本格的に背筋が冷たい気がしてきた。ここはひとつ、びしっと言わなければ。
「あ、の。私もこの状況はどうかと思っていました」
部屋中の視線が集まる。ここで怖じ気づいてはだめ。
「……なので、アズリエルさんに宮廷での淑女の有りようを指南していただきたいんですが!」
まぁ、つい口走った訳ではなくて、数日前から考えていたことなので、これはむしろいい機会だった。……ルーク様が若干残念そうな表情をしているのは心苦しいけれど右に流すことにする。
「もちろんよくてよ。都合が付いたら直接使いをそちらに寄越すから。」
にこり、と天使の微笑みを繰り出すアズリエルさん。その神々しいまでの微笑みを直射で当てられるのは眩しいです。
執務室の机上に置いてあった「未決済」の書類の束を取り上げ、軽い足取りで出て行くアズリエルさんを見送る。バタン、と扉が閉まった途端、ルーク様が再びどす、と椅子に座った。
「勝手なことを。随分なことを言ってくれるやがるなアズのじゃじゃ馬め」
ルーク様の周囲から冷気が漂っている気がする。心なしか言葉使いも荒い。物陰からアクセルさんがこちらを覗き、勝ち誇った顔で私に向かって「おこらせたな」と嫌味たらしく口だけをぱくぱくと動かしていた。大きなお世話である。
「アクセル、明日から北の辺境軍本部の予算管理に回そうか」
零下をまとったまま言い放たれる宰相閣下の言葉に青くなるアクセルさん。この人も大概不器用だな、と少し同情した。
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「あの、怒ってますか」
深夜、ベッドの中でルーク様に問う。すでに私は彼の腕の中で、かすかな石鹸の香りを楽しみながら眠りにつくまでの時間を持て余していた。
「昼間のこと?」
日中、アズリエルさんとの一件で明らかに機嫌を損なったであろう彼は、その後はいつも通り淡々と仕事をこなしていた。若干室温が低い気はしたけれど。一緒に屋敷に帰る頃にはのほほんとした笑みの、すっかり普段と同じ彼だった。
「怒ってない。むしろ、その方がレインのためになると思う」
意外な答えに目を丸くする。
「それに独占欲全開なのも格好がつかない」
自嘲するように笑う彼に、胸が摘まされるような気分になる。
「私も、ルーク様の傍にいたいです。でも、立派な侯爵夫人になるにはそれじゃだめなんです」
一瞬間を置いて、おもむろに私を抱きしめるルーク様。
「レインがかわいいことばかり言うから身が持たないよ」
「な」
ぎゅぅ、と腕に込められる力で幸福を感じる。
もしかして、この人ってものすごく過保護?
赤面しつつ、私は彼の懐に潜り込んだ。




