お仕事見学
『レインは運命って信じる?』
草原の中央、薄桃色の花の中。おねえちゃんはシロツメクサの冠を細い指で器用に編みながら、私に聞いてきた。
『うーん。よくわかんない』
おねえちゃんはときどきむずかしいことを言ってくる。私は首を傾げながら、なかなか上手につながらない冠未満のシロツメクサの塊を宙に投げた。代わりにお姉ちゃんの後ろに回り、肩まで伸びる髪の毛を束ねる作業に入る。
『おねえちゃんの髪はさらさらだね』
『レイン、何度も言うけどいいかげんにそうやって呼ぶのやめてくれないかな?』
苦笑しながら冠を編み続ける彼女の髪は、先月父様が買いつけてきた黒毛馬のしっぽみたいにしゃらしゃらと手の中でうねる。感触が心地よいので弄んでいると、薄桃色の冠が私の頭の上に乗せられた。
『どうぞ、お姫様』
微笑むおねえちゃんにとびきりの笑顔で抱きついて、薄桃色の花の中で私たちはじゃれ合った。
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翌朝私が目を開けると、すでにルーク様の姿はベッドになかった。がばりと起き上がった拍子に簡単に羽織っていただけの夜着がはだけてきたので、慌てて胸元の布地を合わせる。中央の紐を結んでいると、胸の間にある大きな傷跡が目に入る。昨夜、ルーク様はこの傷をみても何も言わなかった。代わりに今までで一番きつく、強く抱きしめてくれた。私がこの傷で生死の境をさまよったことは伯父様から伝えられていたのだろうけれど、それでも傷を見た瞬間の彼の痛ましそうな表情に、もう痛まないはずの傷がちくりと疼いた気がした。
あの熱も、声も、眼差しも。全てが愛しくて切なかった。苦しくて早く終わってしまえと思うのに、いつまでも終わらないでほしいとも願った。
思い出すうちに顔が火照ってきたので、頭を枕に何度も叩き付けて回想を追い出した。
夜着が再び解けないように整えて、ベッドを降りる。時計を確認すると、時刻はもう十時を回ろうとしていた。
ルーク様はもう皇宮で仕事をしている時間だ。自分のだらしなさにため息をつきながら自室へ戻り着替える。
仕度を終えて食堂へ向かう途中、篭一杯の洗濯物を抱えたアリサと鉢合わせた。
「レイニス様、おはようございます!」
「おはよう、アリサ」
はちきれんばかりの笑顔に、つられて笑顔で返す。
「お元気になられてよかったです」
そう、アリサにも心配をかけてしまったんだった。謝らなければ。
「一昨日はごめんなさい。もう大丈夫なの」
アリサはぶんぶんとかぶりを振り、二、三枚すでに洗い終わったのであろうシャツを取り落とす。ちょっとちょっと。
「謝らないでください。でも、もしよろしければ今度からは話してくださると嬉しいです。……そうした方が楽になることもあるでしょうし」
すっかりお見通しだったことに苦笑しつつ、シャツを拾ってアリサの持つ篭の中に戻す。
「ありがとう、その時はよろしくお願いね」
彼女が勢いよく頷いた拍子にドササと篭の中身が溢れて、若干の哀愁を漂わせながら再び洗い場に向かう背中を見送った後、私は食堂で遅い朝食にありついた。
ペンネさん特製のきのこ粥とトマトジュレの乗ったサラダを味わいながら、ゼクトさんに今朝の様子を聞くと、やはりルーク様はすでに仕事に向かった後だった。昨日に続いて今日も見送れなかったなんて。肩を落とす私に、ゼクトさんが髭を撫で付けながら近づき、こっそりと耳打ちしてきた。
「旦那様は、今朝は大層なご機嫌でございました。レイニス様を無理に起こさないようにとのお達しでしたので、気にしてはおられないでしょう」
昨夜のことを思い出して再び顔に朱が上るのを感じたけれど、食卓に頭を叩き付けるわけにもいかないのでこらえる。
「それで、旦那様から伝言があるのですが」
え、と目を見開く。なんだろう、ルーク様から伝言なんて初めてだ。
「レイニス様さえよければ皇宮に来るといい、とのことでした」
私は残りの朝食ーーふわふわのスクランブルエッグとカットフルーツを急いで片付け、外出の準備に取りかかった。
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皇宮につくころには昼の十二時をまわっていた。せっかくだから、とペンネさんがお弁当を用意してくれたので、左手には少し大きめの篭。一昨日来たときと同じように正門をくぐり、広いホールを抜けて動く階段を上がる。ごそごそと篭の中を探し、ゼクトさんからもらった小さな地図を取り出して目的の宰相執務室を目指す。なだらかに弧を描く廊下を進むと、すぐそこの扉から出てくる鮮やかな金色が目に入った。
「あら、レイニスじゃない」
アズリエルさんだ。今日も藤色のドレスがよく似合っている。
「昨日はどうもありがとうございました」
「本当よね。私に足を運ばせるなんて、滅多にできないことなんだから!」
アズリエルさんは私より頭半分ほど高い位置からまさに見下ろすように言い放つ。でもその表情は、少し悪戯めいていて憎めない。
「以後気をつけます」
がちゃり、と彼女が出てきた扉が再び開く。中から出てきたのはアクセルさん。
「執務室の周りでは静かに……って、ルークさんの嫁さんだ」
次いで椅子の足が床と摩擦する音が聞こえたかと思うと、アクセルさんを押しのけてルーク様が現れた。そっか、ここが執務室だったのね。ルーク様を見ると、つい頬が緩んでしまう。それはルーク様も同じようで、柔らかな笑顔で執務室に招き入れてくれた。
「ちょうど昼休憩の時間だから、中に入っていくといい」
部屋の片隅にあるソファを示し、座らせられる。ふかふかの座張りに腰を沈めながら、持っていた篭をルーク様に渡した。
「お昼ご飯、ペンネさんから預かって来ました」
「いいね、一緒に食べようか」
はい、と頷き篭の中身をテーブルの上に取り出していると、横から視線を感じた。
「……あの、アクセルさんもご一緒にどうですか」
水色の頭が無言でふい、と明後日の方向を向きながら、同じテーブルを囲んだ。
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「おいしい!」
アクセルさんが入れてくれた紅茶は、豊かな香りとわずかな渋み、それでいてまろやかな口当たりで最高に美味しかった。
「アクセルはお茶入れるのうまいよね」
「いやぁ……自分はまだまだです!……あんたには今日は特別だぞ。本当に今日だけだからな!」
ルーク様には愛想良くしているのに、私にはなぜかこちらを睨みつける勢いだ。その口が半分以上食べたお弁当、誰が持ってきたと思っているのだろう。
「じゃ、アクセルは邪魔だからあっちで書類に判子押す業務に戻れ」
「ええっ」
ああ、表情が零下を下回っていますルーク様。アクセルさんもそんなにショックを受けることないでしょう。
渋々といった様子でデスクに戻っていくアクセルさんを尻目に、ルーク様は打って変わって笑顔になった。
「来てくれたんだね」
「屋敷では、特にやることもないので」
苦笑し答える。そう、はっきり言って日中は暇だ。新妻なので、屋敷の中を取り仕切るにもなにも判らない。そもそも、その辺りは外国に出向しているお養母さまの舵取りで進んでいるので、下手に手出ししたくない所なのである。
「俺に会いたくなったとか、そういうのじゃなくて?」
若干目を細めてこちらを伺う彼は、反則だ。見事なまでの図星にみるみる顔が熱くなっていくのが判る。
「……そう、ですけど」
ちら、とルーク様の方に目を向けると、扉の陰から書類をぐしゃぐしゃに持ったアクセルさんが下唇を噛んで恨めしそうにこちらをにらんでいるのが見えた。
……ルーク様、こんな職場で大丈夫かしら。政治のセの字もわからない小娘ではあるけれど、一抹の不安を覚えた。
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「アクセルはあれで優秀なんだよ」
帰り途ーーといっても五分程度だけれどーーにルーク様が教えてくれた。アクセルさんはああ見えて非常に政務官としての技能に優れていて、ルーク様の右腕なんだそうだ。
「……ちょっと、性格が特徴的だけど」
私は苦笑で返す。いえいえ、ちょっとどころか大分です、とは言えない。午後いっぱい政務室でルーク様のお仕事ぶりを見ていたけれど、アクセルさんのルーク様好きは、わかりやすすぎるくらいだった。私は書類整理のお手伝いをしながらの見学だったけれど、
アクセルさんは突き刺さるかのような目線を送ってきていた。……あまり関わらないようにしようと思ったのは、言うまでもない。
それにしても、宰相業務をするルーク様は普段知っている姿とは違った様子で、なんだか別の人を見ているようだった。きりりとした顔で、膨大な量の業務を淡々とこなしながら部下に指示を出す。その間は私のことなんて目に入っていなくて、休憩時間にふと目が合うと、いつものようにふっと笑ってくれる。
優しくて、かっこよくて、その上仕事のできる旦那様なんて、どこまで私を惚れさせる気なの。ニヤニヤと思い出しながら歩いていると、先を歩いていたルーク様が急に振り返った。
「よかったら、明日も来るといい」
ちょうど夕陽が反射して表情がよく見えなかったけれど、なんとなく、ルーク様の顔が赤い気がした。
アクセルは小姑根性丸出し。




