幼い頃の夢
『おねえちゃん、はやく、こっちだよ!』
一面に広がる青々とした草原。ところどころにシロツメクサが咲き綻んでいるほかはなにもない開けた場所。小さなわたしは息を弾ませ、その中を走り風をいっぱいに受ける。先週与えられたばかりのスカートが汚れてしまったけれど、気にしない。母様に怒られるのは目に見えているけれど、いいの。今このときは、この瞬間にしか楽しめないんだから。
はぁはぁと息をつき、目的の場所に着く。シロツメクサの密生地だ。ここに生えているシロツメクサは、他よりも桃色かかっていて可愛らしい。わたしの最近のお気に入りの場所だった。後ろを振り向くと、後からついて来ていたおねえちゃんが息を切らせながら到着したようで、すかさず私を抱きすくめる。
『レインを、見失うかと、思った』
おねえちゃんの豊かな長い黒髪が、私の目の前に一束、二束零れてくる。あはは、と笑い合い、私たちは
「レイン、朝だよ」
ぱち
「おはよう」
一瞬理解できずに、数回瞬きをする。目の前にルーク様がいる。
「お、はようございます?」
そうか、昨日は一緒のベッドで寝たんだった。余りの近さに動揺して身じろぎすると、頭と首の間くらいに暖かい感触を感じる。ルーク様の腕だ。もしかして、昨晩からずっと腕枕してくれていたのだろうか。想像し、少しむず痒い気持ちになる。
「よく眠れた?」
長い指で、少し乱れているのであろう私の髪を梳きながら囁いてくる。
「……なつかしい、夢を見ました」
小さい頃の草原の夢。もう名前も思い出せないけれど、確か、小さな私が慕っていた親戚のお姉さんと遊んでいた頃の夢。あの日見た花の色も、吹き抜ける風の匂いも、踏みしめた草の感触も、夢の中ではおぼろげになっている。あの当時はまだ母様も父様も生きていて、毎日が幸せに満ち溢れていたように思う。
「起こしては悪かったかな」
「ううん、もう朝だもの。ルーク様は今日もお仕事でしょう?」
頭を振り、甘い追想を終える。彼はほんの少しだけ眉を寄せて、少し拗ねたような表情になっていた。まだ眠たいのか、涼しげな目元は柔らかさを含んでいる。
見つめ合っていたら、ふっと彼の顔が近づいて、ちゅ、と額にキスを受ける。ああ、また不意打ち。
「本当は、ずっとこうしていたいんだけど」
呟き、もぞもぞとベッドから抜け出す。
私の方からきっかけを作ったのに、腕が離れた首元が、少し寂しい気がした。
起きた後、ルーク様は名残惜しそうに扉越しの自室に戻り、私は大きなベッドの上に取り残された。こうしていると、昨夜の彼を思い出す。熱を帯びたあの眼差しに、心臓を射抜かれるかと思った。あるいはもう射抜かれたも同然なのかもしれない。首元に手を当てると跳ねる鼓動を感じる。こんなことでこれから先、身が持つのだろうか。伴侶となったのだから、近い将来に夫婦の営みが必要になるのは当たり前のことなんだけれど。想像し、柔らかなベッドに突っ伏した。
しばらくするとアリサが訪室してきて、一通り朝の準備を手伝ってくれた。ベッドに顔を埋めながらばふばふと羽毛布団を叩く私をどう思ったのかは知らないけれど、先ほどから若干ニヤつきながら作業をしているのが気になる。いやいや、あなたが思うようなことは起きませんでしたよー。いたたまれないので本当のことを告げたいが、当主のベッド事情などというデリケートな話題に関して下手なことは言えないので、黙っておくことにする。
「さて、レイン様。本日はゆっくりとされてくださいね」
アリサがいつもの人のいい笑顔で教えてくれたのは、本日の予定。曰く、今日は一日中予定が入っていないので、好きに過ごしていいとのこと。確かに、ここ数日ほとんど休みなく移動したり、緊張の連続だったから、一日丸ごとの休暇はありがたかった。
といっても、何をしようか。正直、ゼクセンのことを何も知らない私が外に出ても、無用なトラブルを招く気がしてならない。かといって不器用な私は、部屋に閉じこもって裁縫や編み物の類いをする気にもならなかった。
「時間があってもすることがないわ」
ため息をつく私に、アリサが提案してきた。
「この屋敷の中をいろいろと探検してみてはいかがでしょう?使用人たちも、レイン様にお会いしたくてうずうずしているんですよ」
なるほど。うん、悪くない。これから暮らす屋敷と、お世話になる人たちを知るのは大切なことだものね。
ひとしきり準備を終えてから、出勤するルーク様をこっそり(恥ずかしいんだもの)見送り、一人私は探検に出た。
レインは超絶不器用設定です。
自分で三つ編み編めないレベル。




