プロローグ
お前は恵み。天から注ぐ恵み。
―お前はレイン、恵みの雨。暑い夏の、陽炎が湧き立つ茹だるような昼下がりに一時だけ降る、さわやかな雨。西方の、乾いた大地に潤いを与える、命をつなぐ豊かな源―
夜のパロワ伯爵家のリビングは、幸せで溢れていた。母が自作の歌を歌い、幼い私はやや舌足らずな言葉で、遅れて歌を紡ぐ。その様子に、父が蕩けるような優しい眼差しを向ける。
私は温かな母の胸に埋まり、今日出会った沢山の素敵なこと―――大通りの商家の軒先にツバメが巣をかけた。裏庭の芍薬が蕾を綻ばせた―――そのようなことを、次から次へと両親に話す。私の栗色の髪を梳く母の指先は、今にも折れそうに細く、しかししなやかに温かかった。
両親は10年前、私が8歳の頃にこの世を去った。家に忍び込んだ物盗りに襲われたときに、私をかばい亡くなったのだとういう。その当時のことを私はあまり覚えていない。私自身、胸から下腹にかけて大きな傷を負い、意識不明の状態が続いたらしい。意識を取り戻してから、幼い私は両親がこの世にいないことを理解できず、叔父様を相手によく癇癪を起した。事件の後は優しい叔父夫婦に何不自由なく育てられ、今でもこうして伯爵家令嬢としていられることは幸いなのだと思う。
さて、伯爵家の家督を継いだ叔父夫婦に娘として引き取られた私は、貴族の子女としての教養を一通り叩き込まれた。怪我を負ったときに世話になった医師のつながりから、教会病院で慈善活動をしたりして、伯爵家令嬢としての責務を果たそうと取り組んだりもした。
そして1年前には叔母念願の社交会デビューを果たし、いよいよ縁談もこよう、と言われていたのだけど、まったくそのような兆しはなかった。むしろ夜会ではなにやら男性たちは遠巻きに私を見る始末。強盗に襲われた時の胸の傷をいっているのか、「キズもの」と噂されているのは数か月前に知った。今更そんな風に言われて傷つくわけでもないのだけれど、自然、夜会からは足が遠のいていった。
このまま独身、いっそ経験を生かして教会のシスターにでもなってやろうか、なんて思っていた。
そう、あの話が来るまでは。




