番外編:「そうだ、京都、行こう」4
【大阪18時半-2】
「今野」
聞きなれた声に振り返る。
「金子さん」
「すげーな。お前」
そうですね。とも、そんな事無いですよ。とも答えず、曖昧に笑みを浮かべる。
正直なところ「面倒くさい」としか思えない。
かつての上司とのトラブルがまだ記憶に新しく、というかそのせいで今ここにいるので、女性からキャーキャー言われても嬉しいとも思えない。
単に珍獣のような扱いなだけであることも、重々わかっている。
それに何よりも、大切な彼女の懸念材料になるようなことは、一切排除したい。
間違いなく『シン』の事は彼女の中で大きな傷になっている。
夢に見ただけで体調を崩すほどに。
彼女が僕に対して信頼をしていないわけではない。
けれど、何かのキッカケで疑いを持たれた瞬間、彼女の心が再び崩れてしまうかもしれない。
余計ないざこざで、傷つけたくない。
離れていても噂が彼女の耳に入る可能性がある以上、笑顔の仮面を被り続けて、距離は一定以上保つのが一番だ。
「金子さんは最後までいらっしゃるんですか?」
「あー、まあ」
面倒だ。
顔にそう書いてある。
愛妻家な上司は、急遽出席が決まったこの集まりから、出来る事なら帰りたいと内心では思っているのが透けて見える。
いや、隠そうともしていない。
「一次会はな」
「19時に僕が出る時に、一緒に出ます?」
「一応なー。上のご機嫌伺いもせんと」
大規模プロジェクトの実質上のリーダーであるが故に、こういう場も大切だということだろう。
逆に金子さんが残ってくれるから、僕が自由になる部分もある。
「ありがとうございます」
肩を軽く叩いて、金子さんはその場を離れていった。
「今野さん」
一人になったところで、すかさずPTの派遣さんが声を掛けてくる。
「今日は向こうに帰らないんですか?」
ひそっと声を潜めて聞いてくる。別に隠しているわけではないのに。
向こうというのは、彼女の住む首都圏を指している。
「こっちに来るんです。だから挨拶だけしたら抜けますよ」
くすくすっと派遣さんは笑った。
「ですよね。本当は向こうに行くはずだったんですよね」
「そうですね。たまには、こっちに来てもらうことにしました」
「今野さんばかり移動だと大変ですもんね」
ちくりと毒を吐かれたのは気のせいではないだろう。
表立ってはアピールしてくるわけでもないし、こちらの事情に明るいが、たまにこうやって彼女を貶めるような発言がある。
そんな風に彼女を悪く言ったって、僕の中の彼女の立ち位置が変わるはずもないのに。
けど、そうやって彼女を悪く言えば、自分のポジションが変わると思っているのだろう。
溜息の代わりに、意識的に笑顔を作り直す。
「僕のワガママです。どうしてもこっちで見せたいものがあったので」
「えー。そうなんですか?」
期待通りの答えが返ってこなかったことに、派遣さんは表情を曇らせる。
不満げな問いに肯定の返事を返して、もっと奥へと進む。
19時までにめぼしい上司に挨拶をしておかなくてはいけない。
金子さんはその為に、課長に頼まれてこの場に僕を呼んだのだから。
が、その道は険しい。
「今野さん」
「今野くん」
「今野」
様々な人たちに呼び止められる。
あまり飲み会に参加していなかったのも、珍獣扱いされる一端になってしまったのかもしれない。
必ず「珍しい」という言葉が枕詞のようについてくる。
飲み会は大体金曜に行われる事が多いので、向こうに帰ることが多く、参加しないのが常になっている。
色々声を掛けてもらうのはありがたいが、今日はちょっと勘弁して欲しい。
さっさと帰らないと、優実との約束の時間に間に合わない。
「お疲れさまです。飲んでますか?」
同じセクションだけど、PTとは関係の無い業務をしている島崎さんに声を掛けられる。
島崎さんと一緒にいるのは、経理の田野さんと、島崎さんの同期の飯坂さん。
比較的、今まで声を掛けてきた人たちよりは話しやすい感じの人たちだ。
「友美。今野さん手ぶらだよ」
田野さんが島崎さんを呼ぶ声に、一瞬ぴくっと体が反応してしまう。
優実とゆみ。
名前が似ているせいだ。
「いいえ。この後予定があるので」
アルコールを手渡してくれようとするのを固辞すると、田野さんが目の色を輝かせる。
今まで足止めしてきた人たちとは間逆の反応だ。
「彼女でしょ」
そのものズバリの質問に、苦笑いしてしまう。
田野さんは良くも悪くもざっくばらんな人だ。
「そうですよ。だから見逃してくださいね」
かつて「可愛い可愛い」と言われた笑みを返す。
こう言えばこれ以上突っ込まれないだろうという打算もあり。
酒の肴に自分のプライベートを提供するつもりは無い。
ああ、でも逆に少しネタ提供しておけば、この面倒くさい状況が緩和されるのかもしれない。
「付き合い長いんですか?」
いつもなら曖昧に誤魔化す類の飯坂さんの問いに答えることにする。
「そうでもないですよ」
「へー。そうなんですか」
目を輝かせて田野さんが食いついてくる。
「彼女、東京の人ですよね」
「そうですね」
正確には違うけれど、肯定しておく。
「どんな人なんですか?」
島崎さんの問いに、迷い無く答える。
「可愛いですよ」
彼女を形容する言葉として、最適なのはそれしかなかったし、それ以外浮かばなかった。




