番外編:「そうだ、京都、行こう」3
【大阪18時半】
ざわついていた室内が一瞬シーンとなり、次の瞬間爆発的にざわめきが大きくなった。
一部では黄色い悲鳴まで上がっている。
入口に背を向けていたからわからなかったけれど、答えはすぐにわかった。
「今野さん」
その名前があちこちで囁かれたからだ。
同期と話していたのを中断して、二人で入口のほうを振り返る。
人の良さそうな笑顔をプロジェクトチームの他のメンバーに向けている。
「どこのアイドルかって感じね」
同期は呆れたように声を上げる。
既婚者でもある彼女は、マーケの中では異色と言ってもいいくらい、今野さんには興味が無い。
マーケの経理業務を担当している彼女は今野さんと話す機会も多いけれど、本当に顔色一つ変えない。
「あれは望みないと思うけどね」
溜息交じりに呟く声が、冷ややかに心に響く。
「どうして?」
標準語でしか話さない彼女に釣られて、自然と標準語になってしまう。
なるべく本心が出ないように尋ねたけれど、同期がじーっとわたしを見てくる。
「何も知らないの?」
「何が?」
「同じセクションなのに?」
「PT(プロジェクトチームの略)とは関わってないから」
確かにマーケティング部●●課▲担当の課は同じだけれど、プロジェクトは独立していて、ただ隣の隣の担当という程度でしかない。
業務上の関わりが無いし、課は同じでも一緒にミーティングをするような事も無い。
「友美って仕事出来るのに、情報収集能力低いよね」
「そうかな?」
「世間に疎いというか。別にそれが悪いって言うんじゃないよ」
フォローするかのように付け加えられた言葉に苦笑する。
セクションも違う彼女の掴んでいる情報をわたしが知らないのは、そういう事になるかもしれない。
けど、この部屋の大半の女子社員だって掴んでいない。
今野さんのプライベートはどちらかというと、ベールに包まれている。
「直接聞いたわけじゃないから詳しくしらないけど、彼女いるらしいよ」
「へー。そうなんだ」
極力感情を出さないようにしたけれど、顔が強張ってしまったかもしれない。
その反応に気が付いているはずなのに、彼女はそれについては言及しない。
「気になるなら、本人に聞いてみたら? 折角同じセクションなんだから」
「無理無理無理無理! そんなの絶対無理!」
セクションは同じでも、挨拶くらいしかしたことないし。
あの笑顔を直視するのだって難しいのに。
彼女いますか? なんて直球過ぎて聞けない。
ポンっと彼女に背中を叩かれる。
「まあ。そのうちわかるよ」
何でそのうちわかるのだろう。
聞こうと思ったところで、他の同期に声をかけられる。
「何の話?」
「今野さん話」
「ああ」
やってきた同期は入口傍で話しこんでいる今野さんに目を向ける。
「すごいよねー。今野さん効果。さっきの悲鳴とかさ」
「本当に」
同期二人が入口のほうを見ながら話しているのを聞くに徹する。
視線は自然と今野さんへと向かう。
本当にカッコイイ。
芸能人とかで誰に似てるとかわからないけど、童顔っぽい感じだけれど、幼い感じじゃなくって、中性的っぽいけど、仕草とかは男の人で。
「本当に目の保養に良いわー。眼福眼福」
後から来た同期が言うのを聞いて、ぷっと笑いがこぼれる。
「そこまで?」
「あれは目の保養用よー。実際に狙うとか、ナイナイ」
顔に掛かる髪を耳に掛けながら言うのを聞いて、そんなもんかなとも思う。
でもあの笑顔が自分だけに向けられたら、とも思ってしまう。
ただ、正気でいられる自信は無い。
ちらっと経理の同期がこちらを見た気がして彼女のほうを向くけど、彼女もまた今野さんを見ている。
「入口で捕まって、終わるまでに部長のところまで辿りつけないんじゃないの?」
後から来た同期がそう言いながら笑うのを、経理の彼女が笑う。
「それは無いな。笑顔でニコニコしているだけじゃないもん。あの人」
「そうなの?」
聞き返すと「うん」と返ってくる。
「ああ見えて、自分の主張通すの上手い人だからね」
一体彼女は今野さんのどんなところを見て、そう言っているんだろう。
そう考えてみると、実はあんまり今野さんのことって知らないのかもしれない。
毎日のように笑顔を見たりしているけれど、それ以上あまり知らないというか。
あれ? 他の表情が思い当たらない。
いつもニコニコ人当たりのいい笑顔だけど、一体普段はどんな表情で仕事しているんだろう。
机が一人ずつパーテーションで区切られているし、仕事で関わることもないから、本当に知らない。
表面的な部分しか知らなかったんだ。
今更ながらにそんな事に気が付いた。




