14:馬鹿と過保護は紙一重・1
「ゆう」
四月に入って最初の金曜日。
レイトショーを見ようときた映画館で突然声を掛けられる。
稜也くんと同時に振り返ると、あからさまに不愉快そうな顔をした裕人が腕組みをして立っている。
「ヒロト」
思わず出た声に、稜也くんが「ああ」と呟く。
「優実の弟の?」
「うん。そう」
返答に得心がいったようで、にっこりといつもどおりの笑顔を浮かべる。
対照的に裕人はものすごーく仏頂面だ。
「絶対にこの映画見るはずだと思って張ってたら、思ったとおりだ」
「張ってた?」
「ああ。ゆうの事だから見るならレイトショーに決まってるし、職場や家から近い映画館はここだし、レイトショーで見るなら休み前の金曜日を選ぶに決まってる」
淡々と言う裕人だけれど、明らかに虫の居所が悪いというか、不機嫌というか……。
「最近付き合いが悪いのは、こういう事だったんだ。美乃里が彼氏が出来たからに違いないっていうから張ってみたら」
はあっと溜息を吐き出した裕人が、まさに舐めるように上から下まで稜也くんを見る。
あからさまに感じの悪い裕人のことなど気にせず、稜也くんは対外用笑顔のままニコニコとしている。
よりにもよって一番面倒なヤツに見つかるとは。
「ミノリって?」
「……妹。前に話さなかった? 三人兄弟で下に弟と妹がいるって。これが弟のヒロトで、妹がミノリ。ヒロ、まさかミイと一緒?」
嫌な予感がして裕人に聞くと、裕人は当たり前といわんばかりに首を縦に振る。
ああっ。なんて事。
裕人は自他共に認める面倒くさいシスコンだし、美乃里は絶対に面白がってついてきたに決まってる。
思わず頭を抱えて溜息を吐き出すわたしの事など、稜也くんも裕人も気にしていないようだ。
「はじめまして。同じ職場で働いている今野です」
営業マンとして培っているスキルを思う存分生かしきった挨拶に、裕人はふんっと鼻を鳴らす。
「同僚ねえ。ふーん」
「こらっ。ヒロっ。失礼でしょっ」
咎めるわたしの事などどこ吹く風で、裕人は無駄な長身を屈めるようにして頭を下げるというよりは睨みつけるような感じで稜也くんと視線を合わす。
「あんた、ゆうの何? ただの同僚?」
普段よりも何倍も低い声で言う裕人の声には、隠しようのない不快感が籠められている。
実の弟じゃなかったら、目付きの悪さと相まって正直怖いくらい。
「……いいの?」
稜也くんは本当の事を言っていいのかと確認するようにわたしに聞いてくる。
誤魔化しようが無いということは、手を繋いでいる時点で確定なので、首を縦に振る。
すると、何故か黒いほうの笑みを稜也くんが浮かべる。
このタイミングで何故!?
「残念ながらただの同僚では無いですね。お姉さんとお付き合いをさせて頂いてます」
にっこりと稜也くんが微笑んだのと同時に、「うわぁ」という浮ついた声をあげた美乃里が近付いてくる。
「おねえ、本当に彼氏できたんだっ。てっきり干物になると思ってたのに、超意外ーっ。しかもイケメーンっ」
苦笑を零した稜也くんが小声で「妹?」と聞いてくるので、うんと頷き返す。
「なるほど。だからあの鹿島さんのテンションを受け流せるんだ」
納得いったという感じで笑みを漏らした稜也くんは、さっき裕人にしたのと同じ自己紹介を美乃里にもする。
美乃里はニコニコと人懐っこい笑みを浮かべて「はじめまして」なんて答えている。
ああ。なんかもう、最悪なパターンかもしれない。
「おねえっ。何で彼氏隠してたのっ。ミイに教えてくれないなんて酷いっ。ヒロ兄に隠しているのは正解だけれど、無駄に鼻のきくおにいが気がつかないわけないじゃないの。事前に教えてくれてたら、隠す手伝いしてあげたのに」
「ミイがヒロを焚きつけたんでしょ。もー。何で余計な事言ったのよ」
あの石川さんに姉をよろしく頼むなんて言っちゃうアホでシスコンすぎる弟の裕人にだけは、面倒だから隠し通していたかったのに。
「無駄だよ。おにい、学校の先輩って人から色々聞いてたよ。こないだも電話で最近おねえが一緒に映画見に行ってくれないって零してたし」
思わず頭を抱えてしまった。
学校の先輩って石川さんでしょ。
仕事中に妙にニヤニヤ笑われていたのは、ヒロのシスコンが発動していたせいなのね。
きっと楽しんでたんだろう。いつかヒロにバレて面倒が引き起こされる事を。
「何で石川さんに探りいれてんのよ」
裕人を睨み付けたが、裕人はふんっと鼻で笑うと「当たり前だ。馬鹿」と意味のわからない事を言う。
何が当たり前だったいうのよ。裕人の基準がさっぱりわからない。
「ところで今野さんはー、おねえのどこが気に入ったんですか? この人、仏頂面で妙にテンション低くて、口数少なくって、掴みどころが無くて、一緒にいても盛り上がりに欠けません?」
実の姉を捕まえてその言い草は。でも否定できない。
確かに実家にいた時も口数は少なかったし、あまり喜怒哀楽の激しいほうではなかったけれど。
それを初対面でまだ挨拶しか交わしていない相手に聞くなんて、怖いもの知らず過ぎる、妹ながら。
「ミイ、そういう事は……」
くすくすっと稜也くんが笑い声を上げたのを、裕人は仏頂面のまま、美乃里は不思議そうに見つめる。
「そんな事無いですよ。でもどこが気に入ったのかは秘密です」
人差し指を口の前で立てた稜也くんに、「けっ」と感じの悪い反応をヒロが見せる。
「おにいっ、失礼にもほどがあるっ」
バシっと思いっきり美乃里が裕人の頭を叩き、ついでとばかりに裕人の足を踏みつける。
「おにいはおねえが誰と付き合っても気に入らないんでしょっ。もー、ホントうざい」
「いってーぞ、ごらっ」
ガっと美乃里を睨んだ裕人だけれど、美乃里に対してもシスコン発動している裕人は文句を言う以上の抵抗を見せない。
「おにい超うざい。そうやって余計な事してると、おねえに嫌われるよ。おねえ、きっとおにいと映画見に行くのだって言い出せなかっただけで、ずっと嫌だったんじゃないの?」
「ええっ」
思いっきり驚いた声を上げた裕人ががばっとわたしの両肩を掴んでくる。
「ゆうっ。俺のことがそんなに嫌いだったのかっ」
「……言ってないでしょ、そんな事。それより映画始まっちゃうからまた今度ね」
淡々と返すと、何故かほっとした顔で裕人が肩から手を離す。
「また今度か。良かった」
「……マジでおにいうざい」
溜息を吐き出した美乃里のことなど気にしない様子で、ほくほくと目の前に映画のチケットをひらひらさせる。
「ゆう、一緒に映画見よう」
「おにい馬鹿でしょ。おねえ、ごめんね。気にせず今野さんと映画見てきてね」
言うなりギリギリと美乃里が裕人の耳を捻り上げる。
苦悶の表情を浮かべる裕人と、ニッコリ笑って手を振る美乃里に手を振り、反対の稜也くんと繋がっているほうの手をぎゅっと引っ張る。
「行こう」
「いいの?」
「あれに付き合ってたら映画見られなくなるから」
淡々と答えると、稜也くんが笑い声を堪えるかのように肩を揺らす。
「なるほど。こうやって優実が出来上がったわけだ」
何に納得したのかわからなくて首を傾げると、くくくっと堪えきれない笑みが稜也くんから零れていく。
どういう意味なのか聞き返したけれど、笑い上戸のスイッチが入ってしまったようで、とても問いただせる雰囲気ではない。
さっきチラっと見たけれど、裕人と美乃里が見る為に持っていた映画はわたしたちが見るものとは違ったようで、その後二人に会うことなく、落ち着いて映画を見ることが出来た。
翌朝、携帯電話が鳴る。
まだ早朝といってもいい時間で、誰だろうと思って携帯の画面を見ると、相手はヒロト。
こんなに早い時間に掛けてくるって事は、何かあったのかな。
携帯の通話ボタンを押して、隣でまだ眠っている稜也くんを起こさないように、ベッドから降りてキッチンへと向かう。
「どうしたの、こんな時間に」
「今日は彼氏とデートか」
「……開口一番それ?」
「彼氏連れて実家に来い。じゃあな」
用件だけ言うと電話を切ってしまったようで、ツーツーという機械音だけが耳に届く。
何考えてるんだろう、裕人。
それに実家に稜也くん連れていくなんて。どうしよう。




