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竜と獣医は急がない  作者: 蒼空チョコ
第二章

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とある死霊術師の復讐

 受け継ぎ、積み上げてきたものが、あの日、破壊された。


 卑怯にも不意打ちで混成体が破壊され、生来の肉体に戻ると共にその事実の愕然とした。

 それから我に返るなり、すぐ現場に向かった。


 だが、時すでに遅いことは遠方からでも明らかだった。幾度かの破壊の後、妙な馬に跨ったあの怨敵が屋敷から逃げ出し、手の届かない所へ逃げていく。


「あ、ああああ……。ふっ、ふざけおってぇ……。我が血族の叡智っ……、死霊術師の術理の全てをこんな形で踏みにじるなどっ……!?」


 建物の崩落と共に、ハルアジス自身も崩れ落ちていた。

 怨嗟と共に睨み、目に焼き付けた。その姿も、魔素の色も忘れはしない。

 この一か月間、泥を啜るような思いをして生き残ってきたハルアジスは毎夜のように、光景と屈辱を思い出す。


 五大祖が率いる派閥の人数からすれば一割どころか、五分にも満たない少数だ。

 上げる成果の質も数も他の派閥に比べれば粗末で、すぐに飲まれて消えてしまう。


 今も昔もそんな状態だったから、ハルアジスが先代から引き継ぐまでも辛く苦しい毎日だった。生来の身でクラスⅣまで上り詰めているのも、それだけの成果を残せなければ家督を継ぐことさえ許されなかったからだ。


『結果を残せ。さもなければ貴様は腐肉に群がるウジ虫にも劣る』


 先代のなじりによって倒れ伏していた時、よくこんな言葉を吐かれると共に踏みつけられたものだった。

 ああ、全くもって死霊術師とは栄光には程遠い。

 五大祖やあまねく人間に認め、崇められるために命を削ってクラスⅥの魔法を組み立てた。喚び出した異界の魂をもって、神域の逸品を完成させる間近だった。


 ――だというのに、あの惨状だ。

 少数でも評価されるだけのことをやりくりし、何とか存続してきただけの組織。

 その弱みを他の当主が見逃すはずもない。あるものないものをひっ被せて、五大祖の面汚しとでも非難し、根こそぎ奪い尽くしてくることだろう。


 残っていれば、野盗に襲われる老爺とも言うべき末路になるしかなかったはずだ。

 それを見越したからこそ、ハルアジスはあの日、怨敵を追うことも、自らの家を建て直すこともなく落ち延びた。


 全ては、怨敵に復讐するためだ。

 あの杖を奪い去った黄竜。そして、カドと名乗るにわか死霊術師。


 この二つに復讐をするためならば手段は選ばない。

 残る全てを悪魔に売り渡しても、もはや止められなかった。

 そうと覚悟をすれば話は早い。自分に群がろうとする存在のことならばもうずっと前から知っていた。


 ハルアジスは服の内から小瓶を取り出すと、それを地面に垂らす。

 零れ落ちた真っ黒な液体はぐにゅぐにゅと胎動すると、鏡のような形状を取って浮き上がった。


 その鏡面が映し出すのは、ハルアジスの姿ではない。全く別の風景――上品な家財が揃った屋敷のひと部屋だった。


「おや……?」


 ちょうど身支度を整えていた様子の男が鏡面に視線を合わせる。

 紳士然としながらその実、どこまでも腹黒い錬金術師。通称、黄金卿とも言われる男だ。

 彼は優雅な身振りでお辞儀をしてくる。どこまでも余裕を見せたその態度は、敢えて見せつけてくるかのようで非常に腹立たしい。


「これはこれはハルアジス殿。そこは……巨大樹の森ですか。ふむ、森林浴とはいえ、ご機嫌は麗しくないご様子」


 一つ一つ視線を移した黄金卿は、くちゃくちゃとハルアジスが咀嚼しているものを目にすると、敢えてなじっても来なくなった。


 食らっているのは、殺した人間や幻想種の肉だ。

 クラスⅤを始めとした敵とまともにやりあうには自前の魔力だけでは足りない。こうして生の肉体からも得ておかねば消費に追いつかないのだ。


「申し訳ありません。こちらも用が差し迫っておりまして、手短に。どのような御用向きでしょう?」

「貴様が加工した〈剥片〉は全てあの小僧の細工で無用の長物となった! そのような粗悪品を掴ませたのだ。当然、代替物を寄越すのが筋であろう!?」

「そのようなことが?」


 どのような仕組みかは知れないが、〈剥片〉のみを尽く殺す毒を魔法で生成してくるのだ。

 それを説明してみると、黄金卿は残念そうに首を振る。


「なるほど。相手はかなりやり手のようですね。しかしハルアジス殿。こちらはあなたが支払った対価に見合う品を納品したまで。加工した〈剥片〉、獣肉人形フレッシュゴーレムに特製のホムンクルスまで複数体お送りしました。それはあなた様の使い方に問題があっただけだと言えるでしょう。別の品を欲するならば、お代の提示を。尤も、あなたにはもう隠し財産はないかと思われますが」

「ぐぬぅっ、貴様ぁっ……!?」


 正直なところ、このような返答だとはわかっていた。

 余裕がないからこそ連絡を持ち掛け、その状況を当然の如く見透かされたのだろう。金がない客を見る商人の目は冷たいものだ。黄金卿の対応はまさにそれである。


 隠し財産も、隠し資料もすでにあらかた渡してしまった。この男が言うとおり、こちらから提示できるものはもうない。

 言葉を続けられずに息を詰めていると、黄金卿は部屋の出入り口に目を向けた。


「では、あなた様との取引はこれまでということで。正直なところ、タイミングは良かった。冒険者の警察を自称する剣の一派が我々の動きに勘付いていたようでして。まあ、これだけの大口取引となれば見越した動きではあります。私としては、商売敵である治癒師の当主をこの際に始末できていれば儲けだったのですが、致し方ありません。欲は身を滅ぼすと言います。最後にご挨拶できて嬉しゅうございました。ハルアジス殿、良い余生をお送りくださいませ」

「ま、待てっ!」


 ハルアジスは声を上げたものの、鏡は砕け散った。通信はここまでである。

 相手は金と権力にしか目がない男だ。ユスティーナを半死半生で捕えて交渉材料にでもしていれば違ったものを引き出せたかもしれないが、対価を用意できない今となっては交渉のしようがない。

 予想通りではあったものの、またストレスを抱えることになった。


 ハルアジスは砕けんばかりに歯を噛みしめながら、巨大樹の森の集落へと向かう。


 この森の異変を嗅ぎつけ、怨敵はノコノコとやって来た。

 奴らは有名な竜と、にわかの死霊術師である。だからこそ、どの程度の知識を有するか試してやるためにいくつか仕掛けを残してきたのだ。


「……奴めは“あれら”に気付くこともなかった。つまり、死霊術師として高みにいるのはワシにほかならぬ。であれば殺してやる。我が真髄をもって、群れから引きずり出して殺してやろうぞ……!」


 爪を噛みながら歩いたハルアジスは、フリーデグントらが去った後の集落にやって来た。

 家屋に続く梯子を登り、ぐすぐすと泣き声が聞こえる方に歩いていく。


 壊れた家の中には一人の少女がいた。奴らの知識を試すためにも、わざと殺さずに残しておいたのだ。

 その少女はこちらに目を向けるや、縋ってきた。


「わたし、言いました! 言われた通り、みんなを埋めてって……! ねえ、ちゃんとしたらお父さんとお母さんを生き返してくれるんでしょう!?」


 煩わしくも縋ってくるこの娘には、クラスごとに特異な色として見える魔素を隠蔽する魔法と共に、隙あらば怨敵に投げつけろと魔法を仕込んだ道具を持たせていた。

 生憎、近寄ってこなかったためにその機会はなかったようだが、隠蔽の魔法を見破る術までは持っていない可能性は高まった。


 また、末期の怨念から魔力を生成する魔法は術者が近くにいる必要がある。

 それを知っていれば即座に周囲を探し、戦いを挑んできたことだろう。

 これらの事実から、ハルアジスは敵の力量を見定める。


「やはりあの者は死霊術師としては低俗か」

「ねえ、お願いっ。二人を――」


 思考の最中にもうるさく喚いていた少女に一瞥をくれると、腕で強く振り払った。

 冒険者としての身体能力の差もあり、小さな体はそれだけで壁に叩きつけられる。


「ならばまだまだ殺しようはある。奴めらを、苦しめ、殺してやる……」


 ぶつぶつと零しながら少女に近づいたハルアジスは腕を振り上げた。


 これからおこなうのは、小さな鬱憤晴らしである。

 五大祖も、黄金卿も、大元からいえば竜とあのにわか死霊術師も憎くて堪らない。その気持ちの一端を晴らすための行為だ。


 痛い、助けて。お父さん、お母さんなどと零す少女をひたすらに殴り、五体の輪形が変わるまで殴る。


「――生き返してくれるって、言ったのに……。うそつき……」


 そんな言葉が最期に聞こえただろうか。

 大して気にも留めなかったハルアジスは、手にたっぷりと付着した血で壁に文字を書く。


『死霊術の真髄を知らぬ愚か者。貴様に逃れ得ぬ死を齎す』


 せめて、この少女を助けられなかった後悔と恐怖に震えるがいい。

 それをもって留飲を下げてやろうと、ハルアジスは口元を歪ませる。


 その時、不意に視線を感じた。ハッとして少女の遺体に目を向ける。

 あり得るはずがない。すでに事切れ、冷たくなり始めた肉の塊だ。


「いえ、いえ、しゅぶ……」


 次に感じたのは虫の声のようにか細い何かである。


 しかし、顔面が壊れた少女では唇が動いたのかも判別できない。

 この奇妙な現象に困惑したハルアジスは、遺体の魔素を確認する。相手は魔素隠蔽の魔法すら知らないのだ。何かを仕掛けているというなら、目に見えるはずである。


 やはり、異常はない。少女の肉体は魔素を持たない物質のみで構成されている。これはただの杞憂というものだ。

 自分にそう言い聞かせようとした時、ぎょろりと少女の目だったものが動いた。


「――ウソツキ」

「なっ!?」


 人類あるまじき声がしたかと思うと、その肉体の中から無数の触手が溢れ、ハルアジスの肉体を貫いた。

 馬鹿な。あり得るはずがない。魔法がかかっていないことは確認したはずだった。


 そんな思いで頭が支配されていた時、少女の肉体を被っていたかのように、体の内から何かがずるりと滑り出してきた。


「めえー」


 それは、黒山羊である。無数の触手を蠢かせる黒山羊が、こちらを睨んでくる。


 クラスⅤの魔素を持つ敵だ。十中八九、敵の手の者だろう。

 だが、悲しいかな。手も足も出ない。硬質化した触手は全身を貫いており、声一つ漏らすこともできなかった。


 その時、背後でかたりと足音がした。


「ほら、言いましたよね。あの男は嘘つきです。人を生き返すことなんてできません。でも、僕ならもう一歩進んだことができます」

「……っ、……!!」


 聞き覚えのある声が、傍ですすり泣く何かに語りかけている。

 この体が動けば即座に襲い掛かってやった。だが、悔やんでも悔やみきれないことに、体はぴくりとも動かない。


 次の瞬間、ハルアジスの頭は黒い塊に包まれて潰されたのだった。


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