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竜と獣医は急がない  作者: 蒼空チョコ
第一章

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忌み子 Ⅰ

 天使の飛行というのは幻想種における種族的な加護の一つで、魔力を消費することによって空中でも自由な移動を可能にするらしい。

 また、翼自体が一種の防壁みたいなもので、それで体を覆うことによって身を守ったり、羽根を飛ばして攻撃なんて手段もあるという。


 と、最低限の説明をしてくれたものの、リリエの口数は相変わらず少ない。

 まあ、その気持ちもわかる。幻想種に寄生された人を殺すことになるのだ。気分は良くないだろう。


「カド君。覚えておくといいわ。この先に見えるのが第一層最後の地。第二層との境界がある獣牙峡谷。別名、ガグの黄泉路とも呼ばれているわね」


 彼女は、くいと顎で指す。

 この第一層は緑豊かな場所だった。しかしその先はおどろおどろしくも草木がほとんど見えない。魔素による光も少ないのか、薄暗く見える。


 獣の牙と名前がある通り、鋭く尖った岩峰に囲まれた谷になっていた。

 地球での地形の生まれ方とは違うのだろう。岩峰は迷路の壁じみた密度で交錯しており、その形として造形されたかのようだ。


「今回討伐する忌み子は第二層に向かった冒険者の荷運び(シェルパ)をしていた少年ね。駆け出し冒険者の下積みとしてはよくあることで、忌み子になることも多い立場なの」

「まだ実力があまりないのに、危険地帯に踏み込むからですね?」


 確認すると、肯定される。

 次のステップに進もうとする冒険者は万全を期そうと装備が多くなる。その運び役兼、戦闘のサポーターとして駆け出しを雇うのだ。


 しかしながら窮地に陥ったり、はぐれてしまった場合、駆け出しには生き残る術がない。その過程で忌み子となるという経緯が多いらしい。


「尤も、今回の子は第二層まで無事に到達したのだけれど、魔の月涙ルナドロップを攻略しきれなかったからこの末路になったそうよ」

「ルナドロップ?」

「空の島から溢れ出た魔物が地上に落ちてくる定期的な波の事ね。第二層後半の敵が溢れるから、その時期の攻略は諦めた方がいいのよ。今は頭の片隅に留めておくだけでいいわ。君がそこに挑むことになった時にでも、また調べてね」


 空に島があるそうだ。

 地球ではありえなかった常識がやはりあるらしい。

 けれど関係のない話はそこまでである。彼女は獣牙渓谷を随分遠くに見る巨大樹の森の近くに降り立った。


「この森にはツリーハウスがあって、休息地にもなっているの。危険度がそれ程高くない森だから、地上には作物が植えられていたのだけれど例の忌み子に荒らされたそうよ」

「その人って第二層に行ったんじゃなかったんですか?」

「行ったわ。そして、忌み子として授かった力で少々強くもなった。けれど異常を来たして人でなくなった辺りから故郷が恋しくなったのか、こちらに戻ってきたそうね。だからより一層に質が悪いのよ」

「ああ、そんなことをドラゴンさんも言っていました。要するに、この層で忌み子になった存在より強いんですね?」


 曰く、『各層に存在するある存在を倒して魔素を取り込めば、次の層の魔素に適応できる』だったか。

 しかも深層の質に適応するほど魔力の質が向上するため、魔素を少なからず取り込んでいる存在は全ての能力値が上昇するという。

 それをまるでクラスチェンジのようだと思ったのだ。


「そういうこと。君では勝てないわ。私が追い詰めて組み伏せるから、美味しいところは君が持っていきなさい。午前中に頑張ったご褒美よ」


 彼女が言葉にしたその時、森と正反対の方向から雄叫びが聞こえた。

 すると彼女は腰につけていたハンドアックスを手に取る。もう一つ腰につけられた大鉈といい、彼女の体躯で振るうにしては二回り以上大きいと思われる武器だ。


 けれど、その重さに参っている様子はない。

 第六層の魔力を放つ彼女なのだ。身体能力も生半可なものではないのだろう。


「君の足では走れば五分というところかしら。行くわよ」


 それだけ伝えた彼女はカドの首根っこを掴むと、凄まじい速度で飛び立った。

 口を開ければ吹きつける空気で頬が捲れそうなほどである。薄めでも目を開けるのが辛い。


「あだぁっ!?」


 そして気付けば地面に放り出されていた。

 起き上がって彼女を見やると、もう忌み子と思しきモンスターの目の前である。


 あれは、本当に元人間なのだろうか。

 まず体の大きさが三メートル近くある。しかも右腕を中心として、全身の体表に鉱石が埋まっていた。まるでゴーレムと人間の融合体である。

 つまりは、そういう幻想種に憑りつかれていたということだろうか。


 その化け物は特に大きな右腕を振りあげると、リリエに向けて叩きつけた。

 建物を倒壊させるための鉄球でも振り下ろされたかのようだ。人間がまともに受けていれば地面の染みになっていただろう。


 だが、リリエはそれを翼で受け止めていた。

 日差しを遮るように上げたその翼だけで、無数の鉱石が埋まった巨腕を受け止めたのである。まともな物理法則ではまずありえない光景だ。

 その際に受けた衝撃の凄まじさだけは、彼女の足元が沈み込み、割れた事実からわかる。


 嘘みたいだが、彼女は尋常の存在ではないのだ。


「強くなると、こういう次元になってくるってことですか」


 自分はまだ常識的な人間の領域を出ない。

 果てしなく遠いものにも思われるが、魔力の質からすればあのレベルに到達するのも無理ではないのだろう。


 動きがあった。

 渾身の一撃を、彼女が平然と受け止めたことは忌み子にとっても衝撃の事実だったのだろう。たじろぎ、一歩後退しようとした。


 その瞬間、リリエが動いた。

 叩きつけられた腕を取ると一本背負いの要領で忌み子を地面に叩きつけたのである。その威力で破砕された地面が土柱となるくらいに壮絶なものだ。

 たったそれだけでも、忌み子を昏倒せしめる一撃だっただろう。


 けれどもこれで終わりではない。

 再びしっかりと腕を掴んだ彼女はさらにもう一度投げ、忌み子をうつ伏せに叩き付ける。

 力技で無理に投げたことで、掴んでいた右腕は肩や肘の関節も、骨幹部も破壊されたのだろう。傍目で見るだけでも異様に捻じれ、開放骨折までしているのがわかった。


 呼吸の余裕さえなく倒れ伏しているその背に、リリエはつかつかと歩み寄って乗る。

 そして、左肩に向けてハンドアックスを叩きつけた。

 骨なんて優に断っている。深々と食い込んだ斧は、左肩を地面に縫い付けていた。通常の刃物と違って太さがあるため、なかなか引き抜けないだろう。


 呻く忌み子に対して容赦することなく、リリエはもう一本の大鉈を手にした。

 先程と同じくそれを振り下ろす先は骨盤である。


 大鉈は虫をピン刺しするかの如く突き立ち、忌み子を地面に縫い留めた。

 身体能力で強引に立ち上がったとしても、この傷では両腕はおろか、足もまともに使えないのは明白だ。


「躊躇わないでね、カド君。少しでもかわいそうと思うのなら、早めにトドメを刺してあげて」


 リリエはこちらを見ている。

 その迫力に気圧されはしたが、彼女の表情は戦士のそれではなかった。


「は、はいっ。わかりました……!」


 だからこそだろうか。カドはその場に居つくこともなく、すぐに動き出していた。

 忌み子の大きな背に乗り、首の後ろに触れる。

 この相手をそのまま倒してしまっては体が一気に魔素へと変じ、多くを拾いきれずに霧散させてしまうだろう。それを防ぐためにも、使うのは<魔素吸収>だ。


 血流操作と同じである。

 魔力の許容量的には格上でも、質に関しては比べるべくもない。カドが施す魔素吸収は即座に効果を現した。

 それは身を引き裂きつつ吸収するようなものなのだろう。忌み子は身じろごうとしてくる。


 だが、抵抗は無意味だ。

 左肩と骨盤はリリエの武器が深々と貫通して地面に縫い付けている。加えて手空きの彼女は右肩を踏んで押さえつけていた。

 動くのは頭と両足くらいである。


「……っ」


 化け物だ。とても人間と思える見かけではない。

 だというのに目の前で行われるせめてもの抵抗は、子供が首を振り、足をバタつかせる動作のようにも見えてしまう。


 いや、実際そうだったのだろうか。


「イ、ヤ……。ジニ……死ニ、タクナイ……!」


 化け物の野太い声と、人間の子供の声。

 その間で行き来するように移り変わる声が思いを吐き出している。


 猿真似ではないのだろう。地面にこすりつけるように振る顔には、涙の跡が見えた。

 魔素吸収の手を緩めることはない。それが必要だとはわかっているし、狼狽して魔法の制御ができないということもなかった。

 そういう意味では、実に冷徹だっただろう。


 けれどもその一方で胸の一部が酷く痛む。

 だって、そうだ。この姿はいつかの自分に重なる。

 何の救いもない苦しみは痛いほどよくわかった。なのに今度は自分がその苦しみを与えているのだ。


 竜への恩を返す必要がある。

 それに加えて、この忌み子を助けることは無理だ。

 すでに全身が化け物になっており、精神にまで異常を来たしている。医療の範疇から言えば外科でも内科でも手の出しようがない領域だろう。


 だが、本当にそうだろうか?

 一瞬の迷いが生じたカドはリリエに問いかける。


「あの……リリエさん。忌み子を人に戻すことはできないんですか?」


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