焦がれた姿 Ⅰ
カドはバジリスクに立ち向かっていった。
戦闘の技量も低い。魔術の熟練度でもバジリスクに宿るハルアジスには及ばない。唯一勝る素質を活かして泥臭く殴り合い、時間を稼いでくれていた。
それは父子の最後の時間を守るためであり、生き残るためだ。
そんな彼に対して自分はなんと言おうとしたのだろう。恨むなんてとんでもないはずなのに、酷い顔で睨み、罵倒しようとした。
エイルは彼と父の血で濡れた拳を握り締める。
「私、なんて弱いんだろう……」
状況を打破する力がなく、涙を流すしかない。父にもカドにも、そして弟にも守られるばかりだ。これで父と同じ英雄を目指すと口にしていたのだから笑えてしまう。
いっそ、叱咤された方が気楽だ。
しかしながら死に瀕してなお、フリーデグントが向けるのは慈愛の表情だった。
「エイル。嘆く必要はない……」
ごふりと血を吐きながらも、彼は穏やかに笑みを作る。
口から溢れたその血が地面に落ちることはない。あっという間に魔素まで分解され、周囲に揺蕩っていた。
これもカドの魔法の効果だ。
こうして溜まっていく魔素がいずれフリーデグントの肉体を変容させるのだろう。
父は今に光となって消えてしまうのではないか。その様が脳裏に過ったエイルは彼を繋ぎ止めようと強く抱き締める。
弟は気付かないうちにその命を失っていた。そんな風に父まで亡くすなんて想像するだけでも耐えられない。悪い夢ならば、早く覚めて欲しかった。
この動揺とは対照的に、フリーデグントからは恐怖も恐れも感じ取れない。
その泰然とした様からも、英雄とそれに到底及ばない者の差を感じてしまう。
「無理だよ! 私は悲しい。お父さんを助けられないのも、自分が何も出来ないのも悔しくて堪らない……! 私が、私がもっと強ければっ……」
強ければ弟も死なせずに済んだ。
ここでも父や慣れ親しんだ自警団の皆を死なせずに済んだ。
叶わぬ夢ばかりを見続けて、現実が到底追いついていない自分が最も憎い。
涙を流していると、父はぽんぽんと頭を撫でてあやしてきた。
「そうだな、確かに力が及んでいない。この場では英雄にはなりきれないだろう」
幼い時にはよくされたものだ。
けれどそれもまもなく過去の思い出に変わり果ててしまうかと思うと、より一層胸を締め付けられる。
「私は英雄の娘として、失格だ……」
「それは違う。今はまだその時ではなかったというだけだ」
「そんなことないよっ……!」
エイルは強く否定し、父の顔を見つめる。
彼はそれでも言葉を改めようとはしない。もう一度言葉を重ねるように、首を横に振った。
「差異はあれど、冒険者は誰しもが英雄たらんとしている。強きもあれば、弱きもある。だがな、弱ければ何もできないわけではない。その事実はお前も知っているだろう?」
フリーデグントはそう言って戦うカドに目を向け、次にエイルから伸びる尾に視線を落とした。
「私の息子は命果てたが、大切なものを守った。その気高さはいつか誰かの英雄たりえたはずだ。歩みを止めなければ出来ることは広がり続ける」
フリーデグントの体の端から徐々に崩壊が始まっていた。吐き出した血と同じく、それは魔素に還って周囲を漂う。
別れというものが目に見えて迫り、エイルの喉奥は詰まった。
そんな時だ。フリーデグントは意外な言葉を口にする。
「私とて弱い。かつての英雄、リーシャを夢見てそれに及ばなかった」
周囲を見回したフリーデグントは顔を歪めた。
力及ばずに悔やんでいるのは何もエイルのみではないのだと言外に表すかのようだ。
「この場も彼の人であれば切り抜けたであろうにと思うと口惜しい。……なあ、エイル。今日死んでいったのは、この街を共に守り続けてきた友だ。一つとて、死んでいい命はあったか?」
フリーデグントが口にしようとしている論理にはすぐに気が付いた。
守るべきものを守れなかったこと。それだけで英雄としての合否を語るなら、この街の英雄たる父すら否定することになる。
尊敬する父に――ましてや、こんな命の瀬戸際に言えるはずがない。
エイルはおずおずと答える。
「……ない。そんなの一つもなかった。でもっ――」
「そして、私が弱いから、愛しい娘すら守り切れていない。もしも失いなどすれば悔やんでも悔やみきれないさ」
それが父としての本音なのだろう。
ずっと守るように受け止め続けてくれたその腕で、彼は自分と同じく壊れるのを恐れるように抱き留めてきた。
けれどもそれも長く続かない。眩しいくらいに魔素が拡散し始めた頃、彼は身を離した。
人らしい弱音を吐くのはここまでである。
幼い頃、何の疑いもなく信じ、憧れることができた街の英雄としての姿と同じ。すでに心を決めた表情で見つめてきている。
「だがな、ここに来て希望を授かった。小さな街の英雄としてはここで終わりだが、希望に縋って英霊になろう。夢に描いた英雄の如く、大切な者を守れるならば悔いはない」




