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竜と獣医は急がない  作者: 蒼空チョコ
第二章

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二人の戦場

 イフリートとゲイズは馬鹿ではない。ユスティーナという新たな戦力の危険度は肌で感じ取ったのだろう。こちらを挟み込む位置に素早く移動すると牽制を仕掛けてきた。


 ゲイズはその睨みで適当な魔物に催眠術でも用いたのだろうか。こちらにクラスⅢのオークとミノタウロスの一種をけしかけてくる。

 対してイフリートは間合いを少し詰めて〈昇熱〉の直線攻撃範囲に収めてきた。


 野生動物同様に警戒心が強い上、人間顔負けの知性だ。

 多少は協力したいところだが、それでは良い的にもなりかねない。カドは眉を寄せ、各個撃破のために散開を呼びかけようとした。


 けれどユスティーナはそれに先んじて服の裾を引いてきた。


「カド様、少しわたくしに合わせてください。――悲嘆を此処に。無辜なる者を守らんがため、苦難を背負う贄が立つ。〈被虐結界スケープゴート〉」


 詠唱と共にユスティーナが手をかざすと、カドの前方に障壁が現れた。

 それは通常の防御魔法と違って単なる一枚板ではない。六角形の小盾に近い障壁が並び、あるいは重なり合って壁となる。使いようによっては攻防一体なのだろう。複層の結界は向かってくる魔物を見事に障壁同士の隙間に埋め、動きを奪った。


 しかもそれだけではない。彼女に従って動きながら目にする。

 ぐんと引き寄せられたその障壁はイフリートとの間に向けられた。


 直後、〈昇熱〉の効果が発揮されると、その特性がわかりやすく現れる。

 本来、直線上三十メートルを灼熱させるはずだった〈昇熱〉は差し出された生贄を中心にその力を使いきってしまい、こちらには届かなかった。カドは爆心地の中心で消える障壁を驚きの目で見つめる。


 敢えて避ける必要もなかった。この魔法には、放たれた魔法は引き寄せる特性があるらしい。


「ひえぇ……。本当、僕と違ってまともな使い手の魔法ってすっごい便利ですね」


 薬や医療機器の代用しかできないエセ魔法ばかりしか使えないカドからすると、羨望の対象だ。

 ユスティーナは艶やかに笑みを返してくる。


「ふふ。それはカド様がまだ魔法に対する理解が乏しいためですわ。これが終わったら、ゆっくりたっぷりお教えしましょう。もちろん、“ご褒美”は頂きますけれど」

「それは楽しみですね!」


 何か妙な含みがあった気がするが、払える程度の報酬であれば何も問題ない。似た系統でもあり、これ以上とない講師となってくれるだろう。

 これだけの技を持つ彼女なら背を預けるのに不足はない。


「ユスティーナさん、あの敵はサラマンダーと同系統です。〈昇熱〉は一種の呪いで、魔素が満ちた空間では影響を受けます。あと、自分を中心に放った直後は魔素の再散布まで無防備になります。僕が〈毒霧ポイズンミスト〉で覆った空間なら効果が減弱するので、その間に始末してください」

「承知いたしました。そちらはエルダーゲイズ。視線を合わせれば催眠、見つめられれば念動力を使う上に効果範囲は半径五十歩以上です。大抵は第四層の岩石地形を利用し、死角からの一撃必殺や、毒による目潰しで攻略します。ただし、眼球には目蓋の他に一般的な刃も弾く瞬膜もあるので封じるのは容易ではありません」

「問題ないです。下準備はもう終わっているので」


 彼女と背中合わせになりつつ、短く情報交換を済ませる。

 返した一言に彼女は、まあ! と再評価した様子だ。


「ではでは、ご武運を。〈毒霧〉」


 クラスⅡの魔法程度なら無詠唱でも十分だ。

 カドはイフリートを包むようにほぼ無害な〈毒霧〉を放ってユスティーナの援護をおこなった。彼女なら、後は人狼によって殴殺なり何なりできるだろう。


 人狼を走らせて攻撃に移るユスティーナと同様、カドはこれから使用する魔法のために魔力を放出する。

 先程、念動力で文字通り足を引っ張ってくれたお礼参りをしようではないか。


「さて、ゲイズさん。大きくて特徴的な目を持っていますね! 目の疾病といえば加齢性変化に、涙腺の異常や傷による角膜の損傷からのものや眼球内の損傷などがあります。薬での焦点調節阻害とか、手間と時間を惜しまなければいろいろ攻略法がありそうなんですけど時間がないのでシンプルに行きます。メマトイって知っています?」


 カドは人差し指を立てる。

 ゲイズには到底見えないだろうが、その指には無数の小さなハエが止まっている。


 動物から体液を摂取する節足動物といえば吸血昆虫が有名だが、何もそればかりではない。とても小さく、涙を吸うことで生き抜くハエもいる。目にまとわりつくハエ故に、それらはメマトイと呼称されるのだ。

 それを媒介者とする東洋眼虫など、目に寄生する寄生虫もいる。

 

 巨大で強い生物に対し、皮膚を裂いて血液を摂取するというのは難しいだろう。

 しかし、常に潤っている眼球から水分を吸うならば難しくはない。こんな小さな虫ならば本能通りに操作するのも片手間に出来ることだ。


 カドはそのハエをぷちりと潰した。

 攻撃魔法なんて基礎くらいしか使えないが、唯一の例外がある。それは、こうして対象の体液を得ることで発動条件を満たされるものだ。


「鋭角より来たれ、執念深き者。汝にふさわしき馳走を此処に奉ずる。示す印を追い、その牙を突き立てよ。〈魔弾ティンダロス〉」

「グヒ――ッ!?」


 かざした手に込められた魔力量から、エルダーゲイズが大きく身を強張らせたのがわかる。

 戦闘向けで高位の魔法なんてほぼ所持していないカドとしては魔力なんて出し渋っても宝の持ち腐れなのだ。発動条件が面倒な魔法なので、込める力は存分に。


 空中に浮かび上がった魔法陣から放たれたのは衝撃波ではない。青黒い何かだった。

 カドとしては正体不明なのだが、エルダーゲイズは危険度を悟ったのだろう。即座に反転して脱兎のごとく逃げ出した。

 使い余していた肉体だがその見た目の通り、身体能力は非常に高い。逃げに転じた草食動物にも勝りそうだ。


 だが、無駄なことだった。放たれた魔法はどんな軌跡を辿ったか、エルダーゲイズが逃げようとした方向から突き刺さる。

 着弾と同時に地面は何メートルもの土柱を上げて爆ぜた。爆轟が空気を震わせ、余波ですらカドの体を吹っ飛ばしそうなほどの威力である。無論、エルダーゲイズは無事では済まない。ただの一撃で魔素に還り、消えていくのが見えた。


 ……うん。正直なところ、やり過ぎた。魔力も無駄に三割ほど注ぎ込んでしまったかもしれない。先程までの奮闘で消費した分も合わせて余力は半分といったところか。体が少々重くなる。


「ま、大きな問題ではないですね。ユスティーナさんはどうかなっと?」


 振り返ったところ、そちらもちょうど終わるところだった。

 最初とは違い、人狼はあまり損傷なく間合いを詰めることに成功したらしい。体格と力としては互角のようで、鉤爪による攻撃でイフリートを攻め立てた後、捨て身で首に食らいつき、押さえ込んでいた。自分の肉体でないからこその戦法である。

 そして、ジリ貧になったイフリートはやはり自らの周囲をまとめて〈昇熱〉で焦がした。


 エルダーゲイズに比べれば、その知能は低い。

 無防備になったところで、ユスティーナは人間を模した“人形”を新たに投じ、青い短剣を突き立てさせた。狙った部位は彼女が最初に突いた耳である。

 直後、短剣は光を放ち、魔法のようにイフリートの頭部を凍りつかせた。


 いわゆる魔剣の類いなのだろう。

 傷の深さからして、肉体の内部も凍り付いたのかもしれない。イフリートはそれでぷつりと事切れて倒れ伏し、魔素を放出して萎んでいった。

 こんな消え方の違いはゲイズが魔物で、イフリートが幻想種だったからだろう。


 深呼吸しながらその魔素を吸収したユスティーナはゆっくりとした歩みでこちらに戻ってくる。彼女は前方に出来た巨大なクレーターを見つめた。


「大盤振る舞いですね。カド様の肉体はわたくしたちより秀でているのはわかりますが、同じクラスⅣでも五大祖は魔物と違って知恵もあり、道具も扱います。侮るのは禁物かと」

「大丈夫ですよ。僕の魔法では残存魔力でも消費しきれないですし、何より保険は――」


 そう言いかけたところ、肌で感じた魔力の圧にぞわりと悪寒を覚えた。

 それは北方からだ。

 魔物が〈大感染〉の最中で暴れ狂う向こう側でも目に見える魔力量である。これは何らかの魔法を放つ予兆だろう。


 なんとも大雑把なものだ。混戦時ならばまだしも、これならば避けてくれと言っているようなものだ。

 次の瞬間に迸った眩い光の一閃を、カドとユスティーナは回避する。

 それを回避しそこなった魔物たちは瞬く間に石と化した。助言がなくとも分かる。これはハルアジスが所持するバジリスクの能力だ。


 エルタンハスからの報告通り、死地からようやく到達したらしい。

 カドはそちらに目を向ける。警戒をしていたが、予想を下回る程度だった。それともこれは挨拶代わりで、死霊術師の真髄とやらで叩き潰してくるつもりなのだろうか。


「カド様、影を――っ!!」


 ありえなくはない。そう思っていたところ、ユスティーナの声が耳を叩いた。

 一体何の影だろう。疑問に思った時、自分の影がぐにゃりと形を変えるのが視界の端に写った。

 なるほど。クラスⅠの魔法に〈影槍〉がある。自分の魔素が及ぶ範囲の影から槍を生じさせる魔法だ。その上位に当たる魔法があれば、影の間での転移や転送といったものもできるようになるのかもしれない。


 濃密な魔力が背後で渦巻くのを感じた直後、カドの背に刃が付き立った。

 


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