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お買い物エッセイ

服の適材適所(ゴミがお宝に?)

作者: Y

 最高気温が15度を下回った10月のある日、私は冬服の確認をしようとクローゼットを開けてため息をついた。

 ハンガーパイプの端に、3年前に買って一度も着ておらず、値札もついたままの白のダウンコートがぶら下がっている。

 厚みのあるそのダウンは、服がパンパンに詰め込まれたクローゼットを特に窮屈にさせているアウターだった。


 なんで買ってから一度も着ていないのかというと、単に「似合わないから」である。買った時は良いと思ったのだが、時間を置いてから着てみたら思ったより太って見えて愕然とした。それで3年間、一度も着ていない。


 時間が経ちすぎて返品はできない。店で売り払うにしても二束三文にしかならない。

 フリマアプリで売ることも考えたが、私は持病の関係で体調が不安定である。入札があっていざ発送という時に、各種手続きをできるほどに体調が整っているかどうか分からない。


 知人に「不要品を事前連絡不要でいつでも持ち込んで寄付できる施設がある。喜ばれるよ」と教えてもらったが、その施設は自宅から遠い。出向くのは億劫である。


 捨ててしまおうかと何度も思ったけれど、新品を捨てるのは忍びなくてなかなか実行できなかった。


 このダウンに空間を圧迫されたクローゼットを見るたび「処分したい」と思う。しかし売ることも捨てることも寄付することも、私にはできなかった。衣替えの時期になるたびに「このダウン、邪魔だけどどうしよう……捨てたいな、でももったいない」とうなだれる。これを3年、繰り返した。




 今年の秋も冬服の確認時に「このダウン、どうしよう」と困った。そろそろ新しいアウターを買いたいが、このダウンが邪魔でクローゼットに服が入らない。


 私は思い切って夫に打ち明けた。安くはなかったこのダウンを一度も着ていないことが後ろめたくて、夫には今までずっと黙っていたのだ。


 夫の前でダウンを着て見せ、似合わないことを夫にも確認してもらう。


「僕の実家に持っていこう」夫は私を叱るでもなく、ただ呆れたように言った。「実家の姪っ子なら身長が君と変わらないし、着れるかも知れない」


 私は救われたような、しかしうまく行くだろうかと不安になるような気持ちで夫の助言に従うことにした。


 どうせ持っていくなら着ない服を全部持っていこう、集めて来いと夫に言われ、私はクローゼットの中からサイズが合わなくなったり気に入らなくなったりしたコートや夏物のパーカーをかき集めた。ダウンとそれらを取り除かれたクローゼットの中身はかなりスッキリしたものになった。


 夫は私がかき集めた衣類を車に載せて、壊れたバイクを積んだJAFとともにバイク屋へ出かけた。バイク屋にバイクの修理を頼んだあと、義実家へ寄って服を持ち込むのこと。


「姪っ子、もう中学生だからなあ。服の好みにうるさくなってくる年頃だし、私のダウン、気に入らないって言ってもらってくれないんじゃないかな」


 私は「姪はたぶんダウンをもらってくれないだろう」と考え、要らないと突き返されたらやはり捨ててしまおうか、などと思案をめぐらした。





 夕食を作って先に食べ、夫の帰りをそわそわと待つ。

 夫が帰ってきたのは20時前のことだった。


「どうだった?」恐る恐る尋ねる。

 夫は穏やかな笑みをたたえて言った。「すごく喜んでくれたよ。跳んだり跳ねたり、そりゃあもう大喜びだった」


 えっ、喜んでくれたの? 意外だったのでびっくりした。


「ほら」夫はズボンのポケットからスマホを取り出し、私に見せた。「写真撮ってきたよ。嬉しそうだろ」


 夫のスマホには、私が捨ててしまおうかと思案していたダウンを着て嬉しそうに、少しはにかんだように微笑む姪の姿が写っていた。


 私が着たら雪だるまのように太って見えたダウンなのに、姪は颯爽と着こなしている。スラッとしてかっこいい。同じ服でも着る人間によってこうも違って見えるのかと私は驚いた。


 姪はダウンを着た自分を鏡で見た瞬間「これは私のもの!!」とばかりに、即座に値札を切り取ったらしい。そして喜びのあまり鏡の前でクルクルと回り、いつまでもダウンを脱ごうとしなかったとのことだ。


 また、ダウンの他に持っていったコートと夏物のパーカーも、とても喜ばれたと夫は言う。コートはダウンと同様に姪によく似合っていたし、パーカーも「スポーツをする時に着るのにちょうどいい」と全力で歓迎されたと夫に聞かされた。


 夫の話を聞き私は「そこまで喜んでくれるとは」と、戸惑いつつもとても嬉しい気持ちになった。要らなくなった服をあげただけのことなのに、誇らしさのようなものさえ感じた。


 そして「少し前まで捨てようかと思案していた服が、然るべきところに渡るとそんなにも人を喜ばせるアイテムに変化するのか」と感心した。


 捨てないで良かった。私は心から思った。持つべき人、必要とする人のもとへ渡れば、服は蘇る。


 これからは、要らない服が出たら捨てるのではなく姪にあげよう。私は夫のスマホを眺めながら思った。


 しかし要らなくなった服が毎度毎度、姪が必要とするものになるとは限らない。


 そこで私は知人に教えてもらった「不要品を事前連絡不要でいつでも持ち込んで寄付できる施設」のことを思い出した。

 姪がもらってくれなかった服は寄付すればいいんだ。知人も「喜ばれるよ」と言っていたし。


 家から遠くて赴くのが億劫とはいえ、姪のように喜んでもらえるかも知れないなら、遠出するだけの価値は充分にあるはずだ。


 ナイスアイデア、と私は己の発想を自賛した。


 自分には捨ててしまいたいような服でも、必要としている人にとっては有益なシロモノなのだ。

「適材適所」というのとは少し言葉が違うかも知れないけれど、そんなようなものなのだと私はしみじみした。




 こうして3年間の憂慮が姪の喜びに変わった。私は非常に安堵している。


 私にとっては似合わない、捨てたいようなダウンだったけれども、姪にしてみれば大喜びで迎え入れたいようなアイテムだった。後で聞いた話だが、姪は私があげたダウンのようなアウターが欲しいと前々から親におねだりしていたらしい。


 邪魔な物も見方を変えれば、場所を変えれば、持ち主を変えれば、価値を発揮する。お宝になる可能性だって秘めているかも知れない。


 クローゼットも私の心もスッキリして、晴れ晴れとした気持ちで衣替えを進める晩秋である。

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