第13話「役割を持つ日常」
大変お待たせ致しましたー!
優思シーズン2スタートです。
朝の空気は、少し冷えていた。
結衣は桶を抱えながら、土間を行き来していた。洗い物はもう終わり、今は乾かした布を畳んでいるところだ。指先に残る水の冷たさも、この邸での暮らしにすっかり馴染んでしまった。
「結衣さん、こっちはどうします?」
声をかけてきたのは、若い兵の妻だった。以前は遠慮がちだったその呼び方も、今では自然だ。
「それは先に干してしまいましょうか。今日は風があるから、昼には乾くと思います」
そう答えると、相手は迷いなく頷いて動き出す。
——“結衣なら、そう言うだろう”
そんな前提が、いつの間にかここにはある。
「結衣さん、これ……昨日の分なんですけど」
別の女性が、小さく布包みを差し出してきた。中には、干し方を間違えて少し固くなった布が入っている。
「私、うまくいかなくて……」
結衣はそれを受け取り、軽く広げて様子を見る。 繊維の向きと、乾き方。
ほんの少し、水を含ませれば戻りそうだった。
「大丈夫ですよ。ここ、ちょっと湿らせてから、もう一回伸ばしましょう」
そう言って桶に水を汲み、手早く作業を始める。
「え、そんなことでいいんですか?」
「はい。無理に引っ張るより、こうしたほうが生地も長持ちしますし」
隣で見ていた若い兵の妻が、感心したように息を漏らした。
「結衣さん、ほんまによう知ってはりますね……」
「知ってる、ってほどでもないですよ」
結衣は苦笑して首を振る。
「前に、おばちゃんに散々やり直しさせられたんです。『布は人と同じや、雑に扱ったら応えてくれへん』って」
その言葉に、女たちは顔を見合わせて、ふっと笑った。 難しい話ではない。けれど、生活に根差した言葉だった。
最初は、ただ手伝っているだけだった。
医療の知識も、そろばんも、掃除や炊事も、「できるからやる」という理由しかなかったはずなのに。
今では、判断を仰がれる場面が増えていた。
それが、少しだけ怖い。
責任が、形になり始めているからだ。
誰かに頼られることは、嬉しい。
けれど同時に、選択を誤った時の責任が、確実に自分に返ってくる。
現代では、失敗してもやり直しがきいた。 謝って、訂正して、次に活かす。
だが、この時代では、一つの判断が命に直結する。
——医療補助で手を貸したあの兵は、その後どうなっただろう。
——食事の配分を少し変えたことで、誰かに無理が出ていないだろうか。
考え始めると、際限がない。
(でも、考えずに動くほうが、もっと怖い)
そう自分に言い聞かせ、結衣は手を止めなかった。
「無理はしていないか?」
廊下の向こうから、落ち着いた声がかかる。篠田だった。
「大丈夫です。今日は、いつもより静かだから」
そう答えると、篠田は一瞬だけ表情を緩める。
「静かな日は、油断しがちだ。だが……まあ、確かに今日は穏やかだな」
並んで庭を見渡す。兵たちの動きは整っていて、侍女たちも無駄なく動いている。以前のような慌ただしさはない。
——これも、自分が来てから少しずつ変わったことの一つなのだろうか。
結衣は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
それでも、心のどこかで問いが浮かぶ。
(私は、どこまで踏み込んでいいんだろう)
助言をする。判断を示す。人を動かす。
それは、善意だけでは済まない領域だ。
官兵衛の姿が脳裏をよぎる。
官兵衛がこの邸を歩く時、空気が変わる。
誰かが声を張り上げるわけでもないのに、自然と背筋が伸びる。
怒鳴らず、威圧せず。
それでも、全員が「見られている」と感じる不思議な存在。
結衣は、そんな背中を遠くから何度も見てきた。
近づこうとは思わない。
近づけるとも思っていない。
ただ、学びたい。
どうして、あの人は人を動かせるのか。
どうして、あの人の言葉は、こんなにも重いのか。
——尊敬とは、恋よりもずっと静かで、深い。
あの人は、常に先を見ている。
人も、戦も、流れとして捉えている。
その背中は、今も結衣にとって「遠い目標」だった。
——私は、あそこには立てない。
けれど。
(だからこそ、私にできることを、ちゃんとやらなきゃ)
誰かの代わりではない。
英雄でも、戦の中心でもない。
それでも、この邸の中で、この陣営の片隅で。
必要とされている役割が、確かにある。
「結衣」
篠田が、少し声を落とす。
「何か考え事か?」
「……はい。でも、大したことじゃないです」
本当は、大したことだった。
けれど、それを今、言葉にする必要はない。
篠田はそれ以上踏み込まず、ただ一言だけ告げる。
「昼前に官兵衛様がお戻りになる。何かあれば、その時に」
「わかりました」
その背中を見送りながら、結衣は深く息を吸った。
逃げてきたつもりはない。
けれど、ここに来た理由を、まだきちんと説明できない自分もいる。
それでも——。
この陣営に来たばかりの頃、結衣は常に「よそ者」だった。
間違えれば責められ、出しゃばれば嫌われる。 その境界線を、慎重に測りながら歩いてきた。
けれど今は、違う。
声をかけられ、意見を求められ、任せられる。
それは、居場所を与えられた、というより—— 居場所を、積み重ねてきた結果だった。
小さな選択の積み重ねが、ここに結衣を立たせていた。
布を畳み終えた結衣は、顔を上げた。
今日も、この場所で生きる。
役割を持って、誰かと関わって、少しずつ学びながら。
それはもう、「仮の居場所」ではなかった。
次回は2/10火曜日に第2話更新予定です。




