ロイドの負傷
カリンは再び治癒を始める。カリンの魔力もそろそろ限界が近くなった頃、一番大怪我を負ったロイドが、他の騎士に両肩を支えられてカリンの元までやってきた。
「ロイド様!」
カリンが治療の手を止めてロイドに駆け寄りたいのを我慢して、目の前の患者を治療した。その治療が終わると、ロイドの元に駆け付けたが、既にカリンの魔力は殆ど残っていない。
「もう、魔力があまり残っていなくて、今できるのは止血が精々です」
「構いません。とにかくお願いします」
ロイドを支えてきた騎士が頭を下げる。
「申し訳ない、カリン殿」
「ロイド様。何故こんなにひどいことに……」
腕に噛み付かれて肉が見えている部分がある。足にも大きく噛み痕があり、腹も抉れたような大きな傷。
「僕がやられそうになったのを庇って下さって」
震える声で肩を支えてきた騎士が言う。
「ロイ!!」
クレソンに乗って戻って来たアンジェニカがその背を飛び降りると、ロイドの傍まで駆け寄った。
「アンジー、ちょっと怪我をしてしまった」
「ええ、頑張ったのね」
アンジェニカが青褪めたロイドの頭を撫でる。
「申し訳ありません!自分が油断をしたばかりに……」
若い騎士が泣きそうになりながら頭を下げる。
「ジュード。大丈夫よ。ロイは強いのだから。それにカリン様もいらっしゃるし」
アンジェニカは、俯くジュードの肩を叩く。
「僕の名前をご存知でしたか」
「当たり前でしょ。あなたが防具の管理をしてくれているのよね?いつも、ありがとう」
「……」
ジュードは言葉もなく涙を零した。カリンの手が止まった。
「すみません、今の私にはここまでです」
魔力切れ寸前で止めた治癒は、それでも血は止まっている。救急道具を持った医療班がロイドの身体の傷にクスリを塗って包帯を巻いた。
「カリン様、ありがとうございます。本当に」
アンジェニカは、必死に笑顔を作って何度もお礼を言った。
「ロイを屋敷に運ぶわ」
アンジェニカがそう言うと、騎士隊の数人とエブソンがロイドを抱え上げ、クレソンの背中に座らせた。その後ろにアンジェニカ。
「先に行きます。隊長たち、あとを頼みます。ハンナ、カリン様をお願いします」
そう言って、クレソンを走らせた。
「ロイ、痛い?」
「大丈夫だ」
「わたしに寄り掛かっていいから」
「君が潰れちゃうよ」
「私はそんなに弱くはないわ」
「頼もしいな」
クレソンが屋敷の近くまで行くと、屋敷を守っていたセイラがアンジェニカたちを見て、慌てて駆け寄ってきた。
「旦那様!奥様!」
「セイラ。ロイを運ぶから手伝って」
アンジェニカとセイラはロイドを寝室まで運び、身体を拭いて着替えさせた。
「ありがとう。至れり尽くせりだな」
ロイドは恥ずかしそうに笑う。
「少し横になっていて。マシューを呼んでくるわ」
アンジェニカがそう言ってロイドの頭を撫でると、ロイドは小さく頷いた。
「セイラもありがとう」
「とんでもない。ゆっくり休んで下さい」
そう言って二人は部屋を出た。少しの間、痛みに顔を歪ませていたロイドだったが、さすがに疲れたのか徐々に意識を手放していった。
騎士隊が戻って来たのはそれから一時間もしないうちだった。治癒を受けている為、大きな怪我をした者はいないし、疲れはあるものの元々体力に自信のある者ばかり。身体を休めてすぐに次の作戦の確認を始めた。
ロイド以外は。
マシューの診察であばら骨にひびが入っていることが分かった。カリンが治癒出来ればいいが、魔力が回復するのにもう少し時間が必要だ。腹と腕の抉られた部分もカリン頼み。
血は止まっているが、痛みは取れてはいないらしく、マシューの出した痛み止めが効くまで、ぐっと耐えるロイドは冷汗をかきながらも笑っている。
「そんな顔をしないでアンジー。すぐに良くなるから、心配しないで」
想定より多くの魔獣が攻めてきたことで、回復が追い付かずに手薄になったところを攻め込まれた。ロイドが庇った騎士のジュードは最近入ってきた新人で、自分に突進してくる魔獣の多さに、一瞬足が竦んだ。そのわずかな隙を逃さなかった魔獣の大きく開いた口に、間に合わないと思ったロイドが自分の腕を突っ込んだのだ。
馬鹿なことをしたとは思うが、後悔はない。大切な隊員を自分の腕で守れるならそれでいい。アンジェニカにそんな顔をさせたかったわけではないが。
意識が朦朧としてくる中で、アンジェニカの手の温もりだけを感じながら再び眠りに就いた。
暫く寄り添っていたアンジェニカだったが、ロイドが深く眠ったのを確認すると部屋を後にした。そのままクレソンの元に向かうと、クレソンは大きく尻尾を振ってアンジェニカを出迎えた。
クレソンはマリアベルと会ってから少し変わったようだ。はぐれ紅狼の殺気を感じていたはずなのに、僅かに耳が垂れただけですぐにピンと耳を立てて、森の中を見つめていた。今までのように小さくなってクンクン鳴いたり、落ち着かずにウロウロしてアンジェニカにぴったりと引っ付いたりすることは無い。
「クレソン。次が最後よ」
はぐれ紅狼を今度こそ倒して、平穏を取り戻す。
伏せてその頭をアンジェニカの膝に乗せ、鼻から眉間までをコショコショと撫でられ、気持ち良さそうにするクレソンを見つめて、それから空を見上げた。
「カリン様の魔力が回復するのに一晩は必要なのですって」
気が付けば西の空は下の方が赤く、東の空には星が輝いている。
何度か怪我をしているロイドを見たことはあったが、あそこまで深い傷を負った姿を見るのは初めてだ。自分の無力さをひしひしと感じる。あの時、自分に出来たことは手を握ることだけだった。あんなに大きな傷を負っても、アンジェニカを気遣うロイドの優しさに返せるものが無い。
「ああ、ダメね!」
こういう時こそ、ロイドの代わりに自分がしっかりしなくてはいけない。アンジェニカはパンパンと両頬を叩いて、「よし!」と拳を握った。クレソンはキョトンと小首を傾げてアンジェニカを見つめる。
「クレソン。私、頑張るからね」
そう言うと立ち上がってクレソンの首にギュッと抱き付いてから、もう一度、「よし」と言って、邸に戻って行った。その姿を見送る草むらに隠れたいくつもの視線に、アンジェニカは気が付かなかった。クレソンはその視線の主たちに小さく尻尾を振る。
その後、隊長たちを集めて状況報告が行われ、今後の作戦を話し合い、ある程度まとまった時には日を跨いでいた。
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