夫婦喧嘩は狼も食わぬ
騎士団の会議室。
ロイドを中心に騎士隊の各隊長たちと、魔道具部の各リーダー、そしてアンジェニカが魔獣討伐のための会議をしている。
アンジェニカが見た紅狼は、屋敷にかなり近い所まで来ていた。もしかして彼らの目的はここなのか?確かに、ここを潰せばミリタリル領は大混乱になるし、他領や隣国にも混乱を招く。
「やはり樹窟の魔獣でしょうか?」
魔獣の樹窟の紅狼がわざわざ樹窟を出て、人の領域まで来ることが未だに信じられない者も少なくない。
「はぐれ紅狼と言いたいのか?」
ロイドの質問に隊長のベンが頷く。
「わざわざ距離のあるこの屋敷まで来る意味が分かりません。今まで我々も魔獣の樹窟には手を出してこなかった。勿論、樹窟から出てくる魔獣が人間の領域に近づけば討伐していましたが、中まで攻め入ったことはありません。なのに、何故今更、人間の領域にやって来るのか理解できないのです」
それは誰もが考えている疑問の一つだ。
「それに、紅狼を見たのは一頭だけです。今まで一度も紅狼の群れが出てきたことはありません」
そう、魔獣が大量に発生しても紅狼の群れを見たことは無い。
「つまり新たなリーダーが、他種の魔獣を従えているわけではない、と言いたいのか?」
「可能性の話ですが」
はぐれ紅狼が他種の魔獣を従えている。確かにそれもあり得る。寧ろ、その可能性の方が濃厚に思える。紅狼の群れを見た報告は上がっていない。常に一頭の紅狼だけが目撃されている。
「クレソンが怯えているのも気に掛かります」
口を開いたのは、やはり隊長のベンガル。
「クレソンは幼い頃からここで生活をしています。今までこんなことはなかったと思いますが、何故あんなに怯える必要があるのでしょうか?生後一、二ヵ月でここに来てそれ以前の記憶など無いと思われますが」
「その点について宜しいでしょうか」
アンジェニカが手を上げる。
「クレソンの額の傷が気になります。あの傷は明らかに猛獣の爪痕です。もしかしたら、その時のことがトラウマになっているのかもしれません。しかもロイドが拾った時、体中が傷だらけで衰弱していたと聞きました。その理由は分かりませんが、幼い頃に自分より力のあるものに攻撃されて、恐怖を植え付けられたとしたら、記憶には無くても心のどこかに恐怖が残っていることも十分考えられると思います」
クレソンは自分より大きな一角熊を目の前にしても恐れることはない。それは恐ろしさを知らないからだ。臆することなく飛び掛かって、その首に噛み付いて離れないことも何度もあった。そんなクレソンが遠吠えだけで小さくなってしまうなんて、何かがあったと考えるのが普通だ。
「可能性としては、その傷を付けたのが、今回目撃されている紅狼ではないかということか」
ロイドが話を纏めると、魔道具部のリーダーの一人、マイルズが口を開いた。
「もしかしたら、紅狼のリーダーが代わったことも関係しているかもしれませんね」
「というと?」
「はぐれ紅狼は元々は魔獣の樹窟に居たが、リーダーの座を狙って攻撃を仕掛けて失敗して追い出された。もしくは元々一匹狼でグループの乗っ取りを目論んでリーダーを襲った。そんなところです。前のリーダーは老齢でしたから、単純に引退した可能性もありますが」
マイルズの話は、なるほどそれらしい話で分かりやすい。しかし、それでも結局全ては仮定の話。紅狼の真実など分かるわけがない。
「想像の話はここまでにしましょう。まずは、魔獣たちをどうするかです」
ロイドの言葉に意見が次々と出た。皆それぞれ真剣に考えているのが分かる。それだけ現状は緊迫しているということ。なんと言ってもアンジェニカが紅狼を見かけたのは、屋敷から一キロしか離れていない場所。徐々に近づいてきているのは確実。
「確かにその案は有効ですね」
何人かが考えていた作戦。
ワザと一ヶ所だけシールドを壊し、魔獣たちに狙わせるというもの。そこで襲撃してきた魔獣を討伐する部隊と、常に後ろから様子を窺っている紅狼を討伐する部隊に分け一網打尽にする。
「それと魔獣の樹窟に偵察に行くのはどうかと思っています」
「うむ」
ロイドの言葉に驚く者もいたが、それが必要であることはすぐに理解した。結局誰が仕掛けているのか把握しなくては、根本的な解決にはならない。樹窟の魔獣たちが動いているなら樹窟の中に足を踏み入れなくてはならなくなるし、樹窟の外の魔獣なら魔獣の樹窟に手を出す必要はない。出来ることなら、魔獣の樹窟に手を出したくないのが本音だ。
「誰が行きますか?」
ベンが聞くとすかさず手を上げたのはアンジェニカ。
「私が行きます」
「ダメだ!!」
即否定したのはロイド。
「何故ですか?」
「危険だからだ。私が行くからアンジェニカが行く必要はない」
「いいえ、私はクレソンと一緒に行くべきだと思っています」
「益々ダメだ」
「何故です?戦うわけではないのですよね」
「戦わないわけでもない。何が起こるか分からないんだ」
「自分の身は守れます」
「纏まって攻撃されたらどうするんだ!」
「される前に逃げるわ」
どちらも引かない。
「おほん!」
ベンのわざとらしい咳払い。
「この件は後にしましょう。お二人はじっくりと話し合う必要がありそうですし」
「そうですね。次に行きましょう」
マイルズもベンの言葉に同調した。他のメンバーも頷いている。
アンジェニカとロイドは少し気まずくなりながら、次の話し合いに入って行った。
アンジェニカの寝室。テーブルを挟んで黙り込む二人。未だに話は平行線。魔獣の樹窟に行くと言い張るアンジェニカと、自分が行くからアンジェニカは行くなと言い張るロイド。
「危険は承知です。ですが私とクレソンなら紅狼の動きに対応できます」
「どうやって?対峙したことも無いのに?紅狼が集団で襲い掛かればひとたまりもないよ?その時にアンジーはどうやって戦うの?」
「そのためにマイルズに銃弾の開発をお願いしているのよ」
「猟銃だけでどうにかなるわけがないだろ?」
「でも、別に紅狼と戦うために行くわけじゃないでしょ?魔獣たちを従わせているのが樹窟の紅狼かそうじゃないかを確認するだけでしょ?」
「だからって危険じゃないわけではない」
そうなのだが。クレソンと自分が行かなくてはいけないのだ。
「クレソンが居れば、樹窟の紅狼の中に問題の紅狼がいるかどうか分かるのよ」
クレソンには悪いが、クレソンが怯える相手が居ればすぐに分かる。
「……」
ロイドはじっと考えている。
「それならクレソンだけ連れて行くよ」
「私が居ないのに行くと思う?」
「……」
暫く考えていたロイドだが、諦めたのか大きな溜息を吐いた。クレソンはアンジェニカが居ないと全く言うことを聞かない。特にこの頃は、アンジェニカから離れることをとても嫌がる。
「分かった。勝手な行動をしないと約束できるなら君とクレソンを連れて行くよ」
ロイドの言葉にアンジェニカが一気に笑顔になった。
「ありがとう、ロイ!嬉しいわ」
そう言って抱き付いたアンジェニカの背に手を回したロイドは、複雑そうな笑みを浮かべることしか出来なかった。
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