お仕置きが必要だ
アンジェニカがクレソンのハーネスをギュッと握ると、一気に加速した。
「もっと、もっと速くよ、クレソン」
いくらスピードを出しても、速く走っている気がしない。モヤモヤした心を吹き飛ばして、笑顔でロイドに会いたいのに。まさか、こんなことで動揺するなんて。
自分のこととは言え意外だ。アンジェニカ以外の女性にあんな笑顔を見せるロイドなんて想像したこともなかった。そして、心に今まで感じたことのないモヤッとした嫌な感情。
今まであの笑顔を私以外の女性に見せたことなんてなかったのに。……私ったら自信過剰なのね。
その前にロイドとカリンがいい関係になったわけでもないのに、動揺しすぎではないだろうか?ただ二人は楽しく話をしていただけなのに。
そう思って急に恥ずかしくなるアンジェニカ。またもや、経験値の低さが出てしまった。冷静に考えれば全然大したことじゃないのに動揺している。
クレソンのハーネスを引きスピードを落とし、静かに止まった。そしてクレソンの背からそのフサフサの首にしがみ付いた。
「ハー、情けないわ。ちょっとロイが優しい笑顔を見せたからって。ねぇ、クレソン。私ってかなり恥ずかしいわよね?心が狭すぎるわよね?」
「ウォウ」
クレソンはまるで「そうだね」とでも返事をしているかのように、軽快な声を出した。
「もう!」
アンジェニカはもう一度クレソンの首にしがみ付き、自分の頭をクレソンの毛にグリグリと押し付けた。
「……、帰ろうか?ロイにバレない内に」
あまり邸に戻るのが遅いと心配をするかもしれない。
そう思って、来た方向に進路を変えようとした時。
「えっ?」
何か視線を感じる。何処?森の奥?
アンジェニカは視線を感じる方を睨んだ。クレソンは耳を折り、尻尾を内側に丸め込んで、クンクンと小さく鳴く。
「あいつがいるのね」
アンジェニカはクレソンから降りて猟銃を取り出し、スコープを覗く。夕暮れの暗くてはっきり見通せない森の中に何かが動く。すかさずトリガーを引くと、銃弾は張られたシールドを貫通して森の奥に消えた。それと同時に視線も感じなくなり、クレソンも少し落ち着いた。
「こんな近くまで来ているなんて。……いえ、それどころじゃないわ!シールドに穴を開けてしまったわー!」
これじゃ、ごまかすことも出来ない。
「そうだわ!」
何故かアンジェニカはキレイに開いた穴に、真新しい銃弾を詰めて隙間を埋めた。
「うん、これで良し!」
そう言ってクレソンに跨ると、急いで屋敷を目指した。
良しじゃないわよ!良しじゃ!!銃弾で穴を埋めたからなんだっていうのよ!もう!もう!!
結局未だに動揺しているアンジェニカは、自分の不可解な行動に悶絶しながら屋敷まで帰ることになった。
「ハー……、何をやっているのよ、私は」
落ち込む以外に出来ることがないわ。
厩舎に着いて何度目かの溜息を吐きながらクレソンに水を飲ませていたところ、後ろに気配を感じてアンジェニカが振り返る。ロイドだ。
「あ、ロイ」
「……」
うわぁ、何か怒っているわ。
「ちょっと、そこに行ったの、直ぐそこよ……」
慌てて立ち上がったアンジェニカが、片言の言い訳を始めようとした時、ロイドがその身体をギュッと抱きしめた。
「ロイ?」
「…………心配した」
抱きしめられるとロイドの温もりと僅かな震えを感じる。それに、大きくて速い心臓の音。息が少し荒い。
屋敷から少し下ると山道が分かれるため、ロイドはアンジェニカとは違う道を捜しに行ってしまった。
「ロイ、あの、ごめんなさい」
「……」
「ロイ?」
「なんで、一人で外に出たの?」
「ちょっと、すっきりしたくて」
「外は危ないって知っているでしょ?」
「ごめんなさい」
ロイドの声から怒りと戸惑いを感じる。少し身体を離すとロイドの顔がアンジェニカの目の前に来た。苦しそうに歪んだ顔。
「君に、もしものことがあったら、私はどうしたらいいのか分からない」
「ごめんなさい」
ロイドが再びアンジェニカの身体を抱きしめた。
「お仕置きが必要だな」
「……は?」
「君は私がどれ程心配をしたか分かっていないようだ」
「分かっている、分かっているわ!本当よ、凄く反省しているの」
「もっと反省してもらわないと。二度とこんなことをしないように」
その目は据わっていて少し怖い。
「ロ、ロイ……?」
ロイドはギュッとアンジェニカの手を握り、すたすたと邸の中に入って行った。クレソンは、寂し気な顔をして見送っている。
なに?お仕置きって。なんなのー?
最初はお仕置きにドキドキと緊張をしていたアンジェニカだったが、結局何事もなかった。カリンを招いての食事会で、ロイドが今日のカリンの治癒がどれだけ素晴らしかったかをアンジェニカに説明した。その時の笑顔は先ほどカリンに向けていたものだ。アンジェニカがいかに早とちりをして勝手にモヤモヤしていたのかを知り、恥ずかしさに追い打ちを掛けはしたが、それだけだった。
何だ、そうだったの。
仲間を助けて下さったことを心から感謝をしている。あなたがいてくれれば、この問題も早く解決するかもしれない。
ロイドは熱っぽく言う。その間もカリンは恥ずかしそうに顔を赤らめ、謙虚に返事をする。カリンは平民出身で、こういった場所は緊張するのだと教えてもらい、アンジェニカは納得した。「すぐに顔が赤くなるのが嫌なんです」と照れながら話すカリンはとても可愛らしく笑う。
ロイドの距離感には少し問題があるんじゃないかしら。
とは思うが。
アンジェニカにもそうだったが、ロイドは自分が受け入れた人間に対する距離が近い。特に女性に対する距離感がとても極端だ。思い切り距離を取るか、思い切り詰めるか。ロイドにとっての丁度いい距離は近いか遠いかで中間が無い。
女の人なら間違いなく勘違いをする距離なのに、ロイドはそれを分かっていない。
天然たらしめ!あなたこそお仕置きが必要よ!
というアンジェニカの心の声は聞こえていない。
食事を終えた三人はカリンの寝室まで一緒に行くことにした。後日、駐屯地内を案内したいとアンジェニカが申し出た時、カリンは可愛らしい笑顔で喜んだ。
「とても嬉しいです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、カリン様をご案内出来るなんて光栄です」
ここは是非とも新商品の魔道具を宣伝したいところだわ。なんていう下心には軽く蓋をして、二人はカリンに挨拶をしてカリンの寝室を後にした。
アンジェニカとロイドも自分たちの寝室に向かった。今日は色々なことがあったし、頭の中を整理しないといけない。そんなことを考えながら歩いていたらいつの間にか寝室まで着いてしまった。
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