風足す風は強風……
アンジェニカとロイドが魔道具部を覗くと、何やら忙しそうに研究員が行ったり来たりしている。普段殆ど椅子から動かないシャンでさえも歩いているのだから、間違いなく忙しいことは分かる。予算が大幅に増えたことで、研究員のやる気は俄然増した。これは商売繁盛の予感しかない。
アンジェニカが、通路の真ん中あたりにある部屋のドアをノックした。返事は無いが人の気配は感じる。ドアを開けると、イヤホンを付けたマイルズがノリノリで何かを作っていた。どうやらアンジェニカの依頼の品のようだ。
「マイルズ!」
「おわっ!」
アンジェニカが耳元でその名を大声で呼ぶと、マイルズは吃驚したように顔を上げた。
「奥様!と旦那様。驚かさないでくださいよ」
「フフフ、ごめんなさいね。で、どう?」
「ちょうど試作品が完成したところです」
マイルズの手の平には銃弾。アンジェニカが依頼したもので、魔石を組み込むことで魔法を付加するというもの。
「これは?」
ロイドがマイルズの手から取ってじっと見つめた。
「魔法を発動する銃弾です」
マイルズが答えた。
「魔法を……」
「ただ、単純に四元素の内、一番わかりやすく火魔法を組み込んだだけで、新しいワザとかではありません。言うなればファイヤーガン的な?」
「ファイヤーガン……」
「構わないわ。これから改良されていくでしょうし。今はとにかく戦力を上げないと。それは剣にも付加できるのかしら?」
「基本的な考え方は同じですから出来ないことはないと思いますが、本人の持っている属性に影響されるかもしれません」
「待ってくれ」
ロイドは吃驚した。
「剣に魔法を付加するのか?」
「ええ、まだ試していませんが、やってみようかと」
ロイドの顔がぱぁっと輝いて頬が緩んでいる。
「それは、……格好いいな」
喜んでいるわね。
「一番影響されにくくするには、どの属性を付加するのがいいのかしら?」
「風、ですかね」
「風か。風なのか……」
ロイドはぶつぶつ言い出した。ロイドは風魔法の使い手だ。「風に風を足しても強風か…」と納得いっていないようだ。
「ロイドは放っておきましょう」
「そうですね」
「とりあえず試したいわ」
アンジェニカとマイルズは射撃場へ向かう。ロイドはずっと後ろの方からブツブツ言いながら付いてきている。とそこへ、ジェイがやってきた。
「あら、ジェイ」
「奥様、旦那様は?」
アンジェニカが自分よりずっと後ろを思案顔で歩いているロイドを指さした。
「喧嘩でもなさったのですか?」
「違うわ。彼は色々と考え中なの。何か用?」
「お客様です。神殿から神官が来ました」
「あら、今日だったの?」
「いえ、明後日の予定だったようですが」
ジェイがちょっと困り顔だ。
「分かったわ。ロイドと向かうから丁重におもてなしをして」
「はい、畏まりました」
ジェイの後姿を目で追いながら、マイルズが頭を掻いた。
「試し撃ちは持ち越しですね」
「ごめんなさいね」
「まぁ、仕方がないですよ。俺は戻って剣に付加する方法を考えてみます」
「ええ、お願い」
アンジェニカはクスッと笑った。
「多分ロイドはそのことで頭がいっぱいみたいだから」
「急がないとダメそうですね」
「無理をしない程度にね」
アンジェニカがそう言うと、ハハハと笑いながらマイルズが踵を返して戻って行った。
アンジェニカは、なかなかやってこないロイドの元まで行き、その手を取った。
「アンジー?」
「神官様が到着したそうよ」
「え?もう?」
ロイドは吃驚していたが、半分安堵したような表情だった。今日の討伐でかなりの負傷者が出ているので、治癒してもらえるのはありがたい。
ロイドとアンジェニカが応接室の扉を開けると、そこには若い女性の神官がソファに座っていた。
「遅くなりまして申し訳ありません」
ロイドがそう言って入って行くと、その神官は頬を染めて慌てたように首を振った。まだ十代と思われる、茶色の髪にアプリコットオレンジの瞳の可愛らしい女の子だ。
「いえこちらこそ、予定より早く着いてしまいまして」
少女が立ちあがって、頭を下げた。
「ロイド・パーク・ヤヌスと言います。彼女は妻のアンジェニカです」
「アンジェニカです。ようこそお越しくださいました」
アンジェニカも挨拶をした。
「セイトロン神殿のカリンと申します」
神官のカリンは少し恥じらいながらぎこちなく挨拶をした。
まぁ、なんて可愛らしい神官なの。
挨拶を終えるとロイドは座るように促した。そして現状の簡単な説明をした。
「今回カリン殿に来ていただいたのは、ここミリタリル領で異常発生している魔獣討伐で、多くの負傷者が出ていまして、その治癒をお願いするためです」
「はい、聞いております」
カリンが頷いた。
「本日もかなりの負傷者が出ています。早速ですが、治癒をお願いしてもいいでしょうか?」
「勿論です。いつでもお仕事を始められる準備はしております」
「ありがたい」
ロイドは本当にすぐにでもカリンを騎士団の宿舎に案内しそうな勢いだ。
「ロイド、先にお部屋に案内して、少し休んで頂いてはいかが?」
逸る気持ちは分かるが、ここまで何日もかけてきてくれた少女に無理をさせるわけにはいかない。ロイドもアンジェニカの意図に気が付いたようだ。
「ああ、そうだ。カリン殿。お食事はお済みですか?」
「いえ、実はまだ食べていないのです」
カリンが少し恥ずかしそうにお腹を触る。昼を回って随分経っている。
「何か用意させましょう」
ロイドはそう言うとジェイに指示を出し、ハンナがカリンを客用寝室に案内した。
二人きりになった応接室でロイドとアンジェニカはホッとした。
「早く来て下さってよかったですね」
前触れも無く予定より先に到着したことには驚いたが、実際には一日でも早い到着が望まれていたところだ。
「ええ。負傷者が絶えない今、彼女の存在は私たちの救いになります」
貴重な治癒魔法を使える者は少なく、危険と分かっている所に神官を送り込むことはそう簡単なことではない。ヨシュアとグランデが少なからず動いてくれたのだと分かる。
治癒魔法は、その力が認められれば、大変貴重な存在として神殿で神官として奉仕することが出来る。そこに元の地位は関係が無いため、平民でも大切に扱われる。建前は。
実際には、身分など関係ないと思っている神官は少ない。貴族出身の神官が平民出身の神官に嫌がらせをしている、なんて話は腐るほどある。
それに貴族の子息令嬢が神官として奉仕する期間はそう長くはない。彼らにとって神官とは、国に奉仕したという実績を得る方法に過ぎない。その実績を得ることによって、彼らの価値はグンと上がるからだ。特に令嬢は貴重な能力を持った素晴らしい人格者として、条件の良い結婚相手を見つけることも出来る。
だから神官の仕事に人生を捧げる平民のように、真剣にそのお務めを果たす者は少ない。
それに貴族出身の神官の親が、自分の子供を危険な場所へ派遣することを許すこともない。元々、魔獣の樹窟を有するミリタリル領は、他の領より危険であると認識されている場所だ。だから、カリンが選ばれたのだろう。カリンは平民出身の神官だ。
「カリン様は、傷一つ付けずに神殿にお返ししなくてはいけないわ」
「勿論だ」
「とにかく、いつまでも魔獣に先手を取られているわけにはいかないわね」
「ああ、早急に作戦を立てないと」
異常事態と気が付いた時には既に後手で、事が起こったら対処するような状態だった。それというのも、負傷者が徐々に増えていき人手がギリギリの状態で回していたからだ。しかし、これからは状況が変わる。作戦を練って後手から先手に回るタイミングを見つけるのだ。
「ところでロイ」
「なんだい?」
「もう私に隠し事はないですか?」
「な、無いよ、無い!何も無い!」
必死に訴えるロイドを、ちょっと意地の悪い笑顔でアンジェニカは見つめた。
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