後始末
馬車がミドル邸に着くとシアートルとキャサリーが邸から飛び出し、馬車まで走ってきた。モルガン伯爵の所に行くと言って出て行ったまま、二週間以上たっても何の連絡もなく、二人は心配をして、モルガン伯爵に抗議しようと考えていたところだ。
馬車から降りてきたゲイルズは顔色が悪いが自分の足で降りてきた。しかしベロニカが降りてこない。キャサリーは少し複雑な気分になった。
まさか、本当にモルガン伯爵の元に残ったんじゃないでしょうね?「私はロイド様の婚約者よ!」と騒ぐベロニカ。ゲイルズに余計なこと言って怒らせやしないかと、ヒヤヒヤしながら毎日宥めていた。
決してモルガン伯爵には会わせてはいけないと思っていたのに、勝手にゲイルズと一緒に馬車に乗って行ってしまった時は、心配で自分も後を追いかけたかったが、シアートルに止められて仕方なく諦めた。
しかし、その心配は杞憂だった。馬車からベロニカの足が見えたからだ。だが、何故靴を履いていない?キャサリーは慌てて馬車の中を覗き込んだ。
「ベロニカ!!何故、こんな姿に!ゲイルズ様!一体これはどういうことですか!」
キャサリーの声にシアートルも慌てて馬車の中を見た。
「ひどい、一体これは」
シアートルは絶句した。
ドレスは着ておらず、シュミーズにシーツを被って、靴も履いていない姿で座席にだらしなく凭れ掛かっている。その顔は土色で唇は紫だ。髪はボロボロで身体を清めていないのか凄い悪臭を放っている。
「ベロニカァ、一体何があったのよぉ」
キャサリーは泣きながらベロニカに縋りつく。
「キャサリー、泣くのは後だ。とにかくベロニカを邸の中に」
そう言うとシアートルがベロニカを抱え上げて馬車を降りた。
「ゲイルズ、話を聞かせてもらうぞ」
シアートルは真っ青な顔をして俯くゲイルズを憎々し気に睨んで言った。邸に抱えられて入ってきたベロニカを見て、使用人たちは小さな悲鳴を上げた。
「騒ぐな!湯を張り、胃に負担の無い食事の用意を」
シアートルが端的に指示を出すと使用人たちが一斉に自分たちの仕事を始めた。ゲイルズは自分の部屋に戻り、ベロニカは侍女が五人がかりで世話をした。キャサリーはその間、一時もベロニカの傍を離れることなく泣いていた。
二人が非礼な真似をしたのだろう。
自室に戻ったシアートルは、大きく溜息を吐いて目の前の便箋を見つめた。アンジェニカに手紙を書くべきだと思った。謝罪とこうなった経緯を確認しようと。
「いや、ゲイルズから話を聞いてからだな」
まずは張本人であるゲイルズの言い分を聞いてからでもいいだろう。
ゲイルズのあまりに自分本位な考え方に流石のシアートルも唖然とした。今更アンジェニカに文句を言って、どうにかさせようなんてとんでもない話だ。しかし、二人はモルガン伯爵の元へと向かってしまった。それを止めればよかったが、あまり考えることをしないシアートルは、ゲイルズがどうにかしてくれるだろうと思ってしまった。
アンジェニカはしっかりしていて優しい子だ。もしかしたら、ゲイルズの言葉を聞き入れて助けてくれるかもしれない。なんと言っても、彼女はウィレミナに似て賢く領民思いだ。モルガン伯爵との関係も良好なのだから、ベロニカが馬鹿なことを言っても軽く流してくれるだろう。大丈夫だ、きっと上手くいく。
しかし、その人任せで安易な考えがこのような事態を招いた。流石に何が悪かったのか気が付かないシアートルではないが、だからと言って彼に何が出来たかと言ったら、何も出来ない。今までずっと傍観者で、自分以外の誰かがどうにかしてくれたのだから。
ゲイルズの身支度が整い、談話室にシアートル、キャサリー、ゲイルズがテーブルを囲むように座った。使用人たちは全員退出し、談話室には三人だけ。
ゲイルズが順を追って説明をしている間、シアートルは目を瞑り、キャサリーは「許せない、許せない」と小さく繰り返す。ゲイルズはぽつりぽつりと話したり、急に流暢に話したり。彼が正常な状態ではないことは話し方から分かる。
「アンジェニカ!許せないわ!」
キャサリーが泣きながらヒステリックに叫んだ。
「あの子が素直に二人の言うことを聞けばこんなことにはならなかったのよ!ベロニカが、あんな、あんな惨い姿になることはなかったのよ!旦那様!すぐにモルガン伯爵に抗議をしましょう!旦那様!」
「煩い!!」
「ヒッ!」
シアートルが珍しく大きな声を出して、その声に驚いたキャサリーは身を竦めた。
「だ、旦那様?」
シアートルがキャサリーに大きな声を出したことなんて、今まで一度もなかった。
「君のその声は耳障りだ。静かにしていなさい」
シアートルが冷たく言い放つ。呆然としたキャサリーはそれ以上何も言えず、ドレスを握りしめて口を噤んだ。
「それでアンジェニカはなんと言ったのだ」
「謝れと」
「……なるほど。なら謝ってこい」
「なんで俺がそんなことをするんです」
「お前が招いた事態だろ。アンジェニカが謝れというのだから、お前が謝ればいいんだ」
謝れば全てが解決する。アンジェニカがそう言っているのならそうなのだ。
「バカな奴だ」
ゲイルズは小さく呟いた。単純に謝ればいいという話ではない。どれだけ拒絶され罵倒されても頭を下げ、許してもらえるまで何度でも赴け。それでも、許してもらえなかったら、別の手を考えるか諦めろ。諦めろとは、領地と爵位の返還だ。別の手と言っても、話など一切聞いてもらえないだろうから、それも無い。
相手だってそう簡単に許すことはないだろう。もしカサブランカ領の領主が、ゲイルズ以外の人間に変わったとしてもだ。隣のコーネル領ならともかく、隣国ゼストリア王国のレイクウッド領は責任逃れだなんだと難癖をつけるに違いない。
そういったことも分かっていないシアートルは、謝れば済む話だと単純に思い込んでいる。よくこの思考で生きて来られたものだ。
そして、ゲイルズは二つの領に足を運んだが、予想通り両方とも門前払いで全く相手にはされなかった。話をしたかったらアンジェニカを連れて来いとまで言われた。彼女からなら話を聞いてやってもいいと。
「そんなこと出来るわけないだろ!」
壁を叩いて歯ぎしりをするゲイルズは、少し前までアンジェニカに全てを解決させようとしていたのだが。
三か月後、ゲイルズは領地と爵位を返還して、ミドル家の人たちは平民になった。
カサブランカ領は、隣のコーネル領領主アベル・ゲル・マイナーが領を併合して治めることになった。ゼストリア王国の国王と、レイクウッド領領主ミッシェン・スヌールもそれで納得をしてくれたし、落としどころとしては妥当だろう。
シアートルは四人をさっさと捨てて、アンジェニカのいるモルガン伯爵邸を目指した。ゲイルズは三人を見捨てて、酒場で知り合った女の所に転がり込み、ゲイルズとベロニカの子供は教会の前に置き去りにされた。キャサリーとベロニカが町の隅で物乞いをしているところを、屋敷で働いていた使用人が見掛けたが、その後どうなったかは分からない。
シアートルは、アンジェニカの元に辿り着くことは出来なかった。その頃ミリタリル領の山中では、魔獣が頻繁に出没していて、山道にも稀に魔獣が現れるようになったからだ。そして、馬車を鋭い爪と牙でボロボロにした五頭の大岾猫を目の前にして、腰を抜かしたシアートルに出来ることは何もなかった。
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