あなたに会いたくて
ゲイルズとベロニカを乗せた馬車が山道をゆっくりと進んでいる。整備された山道ではあるが、道幅は狭く両端の木々が陽の光を塞いで薄暗く感じる。山肌に沿って進むため、時には崖が近くにあって恐怖さえ感じる。
山の奥にあるモルガン邸を目指しているが、風景があまり変わらないからどれくらい進んだのかも想像ができない。街中を走るよりずっと揺れる馬車に、ゲイルズもベロニカも馬車酔いをしていて我慢がならない。休み休み進むことで更に時間を要した。気持ち悪いしイライラする。予定以上に時間が掛かったため、食べるものも無くなって空腹で更にイライラする。
実際には今までモルガン邸まで一本道だったはずが、現在整備中の山道には看板などが無く、何本も山道が増え、慣れない御者が道を間違えて全く違う方向に行ったりしている為、時間が掛かっているのだが。領民の話を素直に聞いて、ミリタリル領内の辻馬車を使えばもっと短い時間で辿り着いたのに。
「ゲイルズ様、少し休憩を……」
口と腹を押さえて青褪めるベロニカにゲイルズは同意した。尻も痛いし限界だ。
「クソー、なんて田舎なんだ。こんな僻地に住んでいるなんて」
アンジェニカから返事が無いことに業を煮やしたゲイルズが直接赴くことにした時、自分も行くと言ってきかなかったベロニカを連れてきたことには少し後悔している。ただでさえ、イライラしているのに更にベロニカがグチグチとアンジェニカの文句を言い、鬼畜伯爵のことをあの方と呼ぶ。
尻が軽くて頭の弱い女だとは思っていたが、どうも結婚式の時に鬼畜伯爵を見て気に入ったようで、使用人の話では、いつも自分宛てに鬼畜伯爵から手紙が来ていないか気にしていたらしい。なんでベロニカに手紙が来ると思うのか、理解し難い。
姉の婚約者を寝取って次は姉の夫か。人のモノを欲しがるにしても程があるだろう。まぁ、自分はそれに上手く乗って今じゃ誰にも文句を言わせない伯爵家の当主。それもこれも全部、この馬鹿な女のお陰だから好きにさせているが、上手いことやってこいつを山奥に捨ててやるのもいいかもしれない。
息子がいるから跡取りの心配は無いし、いい女がいたら再婚すればいいだけのこと。そうすれば、あの気持ちの悪い声を出す母親も追い出すことが出来る。シアートルもな。大丈夫だ。全て自分の思う通りにことが進んでいる。アンジェニカに責任を取らせて問題が解決したら追い出せばいい。今度こそ俺は栄華を極めてやる。
再び馬車に乗り込んだ二人がモルガン邸に着いたのは翌日の昼過ぎだった。
馬車の中から色とりどりの花が咲き誇る庭を眺めながら進み、漸く邸の前に辿り着くと、ゲイルズは身なりを整えて馬車を降りた。ベロニカはそれより先に自分で降りて、邸のドアノッカーを何度も何度も叩いている。
みっともない奴だ。盛りの付いた阿婆擦れが。
チッと舌打ちをしたゲイルズは、ベロニカの後ろに立ち扉が開くのを待つ。少しすると、扉が開き白髪の男が出てきた。ジェイだ。
「どちら様でしょうか?」
ゲイルズは人を待たせておいて随分と偉そうだなと思ったが、前のこともある。我慢をすることも必要だ。
「私はアンジェニカお義姉様の義妹のベロニカです。お義姉様に会わせて下さい」
「はて?お約束は頂いていますでしょうか?」
「してないわよ。でも私は義妹よ。約束なんか必要ないわ」
「そうだ!大体こちらから手紙を送っているのに返事もしないんだから、約束の取り付けようが無いだろう!」
ゲイルズが言葉を足した。アンジェニカからは、シアートルへの手紙を受け取って以来何も返事が来ていない。
「ホホホホ、それは失礼を致しました。奥様はただいま屋敷にはいらっしゃいません。今度は約束を取り付けてからいらしてください、では」
そう言うとジェイは扉を閉めた。
「……はぁあ?何閉めてんのよ!ふざけないでちょうだい」
「こっちはわざわざ来てやってんだぞ!開けろ!」
ゲイルズとベロニカは罵声を繰り返す。
約束を取り付けようにも手紙の返事が来ないからこんな所まで来ているのに、舐めやがって。
そのうちゲイルズはドアを蹴りだした。
「アンジェニカを出せー!」
そうして暫く蹴っていたところ漸くドアが開いた。
「貴様、使用人のクセにふざけるなよ!!」
出てきた男の胸座を掴んだゲイルズは、目の前の男が先ほどの使用人とは違うことに気が付いた。
背が高く逞しい体躯に、黒髪と黒い瞳。目を見張るほどの美しい男。
「きち……」
「ロイド様!!」
もう少しでゲイルズが「鬼畜伯爵」と言ってしまいそうになる前に、ベロニカは急に甘えた声を出して、ゲイルズを押し退けてロイドに抱き付いた。いきなり押し退けられたゲイルズは、転がるように後ろに倒れ尻を強か地面に打ち付けた。
「ああ、やっとお会い出来ましたわ。私ずっとあなたに会いたくて、会いたくて」
そう言ってロイドの腰に回したその腕に力を込めた。
「離れて下さい」
ベロニカがロイドの温もりを堪能するより前に聞こえた、地を這うような冷たい声。
「何のつもりですか?」
ベロニカはビクンと肩を震わせ恐る恐るロイドを見上げると、「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。ロイドの冷たく鋭い目には怒りと蔑みが宿り、ベロニカの身体がいつの間にかガタガタと震えている。ロイドの腰に回した腕をほどき、瞳に涙を浮かべて、上目づかいにロイドを見上げたベロニカ。
「ロ、ロイド様?私、アンジェニカお義姉様の義妹の、ベロニカです」
「だから何です?」
「わたし、お、お義姉様に、ちょっと、用事があって」
「アンジェニカは居ないと言われませんでしたか?」
「あ……」
な、なんで?なんでそんな目で私を見るの?違う、こんなの違うわ。あの時、私は間違いなく運命を感じたのよ。
ベロニカはわけも分からずに立ち尽くした。
「モルガン伯爵!」
先ほど盛大に尻もちを突いたゲイルズが声を張り上げて、ロイドに近づく。しかし、ロイドがスッと一瞥しただけで体が竦む。
な、なんだ。俺を殺そうとでもいうのか?
「や、約束も、先触れも無く来たことは謝ります。しかし、アンジェニカが私の手紙を無視したことがそもそもの原因です!」
「アンジェニカ?」
「は?」
「アンジェニカは既に私の妻です。弁えて頂きたい」
「な?」
「モルガン伯爵夫人。そう呼んで下さい」
「……は、失礼、しました」
何も言わせない威圧感がゲイルズを襲い、手が震えている。
「それで、何の用です?まさか人の邸のドアを蹴るなんて驚きました。クレソンだって、アンジェニカを待っている間は大人しくしているのに」
「クレソン?」
「ああ、紅狼ですよ、アンジェニカの相棒の」
「あ、相棒?」
ロイドがニヤリと笑う。揶揄っているのか馬鹿にしているのか。
「とにかく、アン、…夫人と話をさせて下さい」
「だから先ほども言ったように妻はいないのですよ。商談で他領に行っていますから。今日中には帰って来ると思いますが」
「では、邸で待たせてください」
「今日はいつ帰って来るか分かりませんから、明日来てください」
「いい加減にしてくれ!ここまで来るのにどれ程時間が掛かったと思っている?」
「知りませんよ」
もう、馬車に乗りたくはない。下の町からこの屋敷まで丸一日掛かった。今帰っても、明日ここに来られる保証はない。
「な、なら、せめて食事を、食べさせてくれないか?」
「そ、そうよ。私たちここまでくる間に食料が無くなってしまって」
「ハハハ」
ロイドが急に笑い出した。
「いいですよ。それならご用意しましょう」
「本当ですか!」
「ただし、邸には入らず、馬車の中で食事をしてもいいと言うなら」
ベロニカはロイドの言葉に愕然とした。
「え、なんで……?」
しかしゲイルズは、ベロニカの言葉をかき消すくらい大きな声でそれを了承した。
「ああ、勿論構いません!とにかく私たちは空腹で目が回りそうで」
「どうしてよ!いやよ、馬車の中でなんて」
「我儘を言うな、食事を用意してくれるだけでもありがたいと思わないと」
「だって、私たちお客様よ。こんなもてなしは異常だわ」
「ベロニカ」
ゲイルズが鋭く睨み付けると、ベロニカは吃驚して黙った。
「とにかく今は黙れ」
ベロニカの耳元に低く冷たい声が響く。
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