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アニメ放送終了お礼ss:大人の恋は刺激的?



 それは天気の良いある日の午後。

 エルンストから呼び出されたソフィアはひとり団長室へと向かっていた。


(ちょっと話があるってことだったけど……いったい何かしら)


 先月の射撃訓練で銃を再び真っ二つにしてしまったことだろうか。それとも午前中の組み手で上官を壁に叩きつけてしまったことだろうか。もしくはこの前の巡回中、少々手荒な方法で場を収めてしまったことに苦情が来たのか。身に覚えがありすぎて、もはや何で怒られるのか分からない。


(うう……早くこの力に慣れないと……)


 慎重に加減しながらそっとドアをノックする。どうぞという返事を聞いて中に入ると、執務机の傍に白い騎士服を着た青年が立っていた。知らない顔だがどうやら王族護衛隊のようだ。


「もしかしてソフィア・リーラーさん?」

「は、はい!」

「実は団長、ついさっき別件が入ってしまって……。それほどかからないはずだから、戻るまで適当に座って待っていてほしいとおっしゃっていましたよ」

「ありがとうございます……」


 それでは、と立ち去った護衛隊の青年に頭を下げたあと、ソフィアは近くにあったソファにおそるおそる腰かける。革張りのソファは適度な弾力があり、最初は緊張していたソフィアも時間が経つにつれ、物を考える余裕が出てきた。


(明日は射撃練習……エディにもう一度構え方を教えてもらわないと。それからアイザックに持久走のフォームを習って……)


 慣れない戦闘訓練に体力づくり、座学に市街地の警邏。さらにはまだ学生ということで学校の勉強にも力は抜けない。いくらゴリラの加護があるとはいえ、毎日毎日寝るときにはくたくただ。


(二人ともすごいな……それにルイ先輩も……)


 同級生のアイザックとエディ、そして三年生になるルイの顔を思い出す。だがそこでふとクリスマスでの出来事を思い出した。

 パーティーを終えて部屋で休んでいると、ルイがプレゼントを持ってわざわざ部屋までやって来てくれた。おかげでソフィアもルイのために取り置きしていたケーキを渡すことができ、それから――。


(キ、キ、キス……してしまった……!)


 今思い出しても顔が熱くなり、ソフィアは思わず両頬を手で押さえる。だが邪念を追い払うかのようにぶんぶんと首を左右に振った。


(騎士団にいるのにこんなこと考えちゃダメ! 何か他のこと、他のこと……)


 そういえば来週から、正式な騎士となった時に配属される三部隊の見学実習があったはずだ。陸上での戦闘・救援などを主とする陸上隊。船上や海での戦闘・救援に特化した海事隊。そして優秀な狙撃手で構成された射撃隊。それぞれ擁する雰囲気がまったく異なっており、ソフィアはあらためて各隊のトップたちを思い出す。


(射撃隊のリーダーはアードラー隊長。鷲の加護者で空を飛べるんだよね。あと海事隊はクヴァレ隊長。加護……は結局何なんだろう? 陸上隊がヴォルク隊長で、南国合宿の時にアイザックが負けてすごい悔しがってた……)


 以前合宿終わりのパーティーで話しかけられたことがあるが、みな他の団員たちとは一線を画した妙な威厳と迫力があった。ゴリラの神の加護者にならなければ、きっと一生知り合うことが出来なかった雲の上の人たちだろう。


(考えたことなかったけど、隊長たちの普段ってあんまり見たことないかも……。お休みの時とかどんな風に過ごしているのかな……)


 一人で? 友達と? 全員未婚であるとは以前聞いたことがあるが、もしかしたら彼女や婚約者はいるかもしれない。気の置けない間柄であれば、騎士団にいる時とはまた別の彼らを見られるのだろうか。

 少しだけ想像してみる。

 だがそもそもソフィア自身が小説でしか恋人同士のあれそれを知らないので、具体的にイメージしようとしても全然詳細が思い浮かばない。むむむ、とひとり眉根を寄せていたソフィアだったが、やがて「はあ」とため息をつくと視線を窓の方へと向けた。


(いい天気……)


 午後の暖かい陽光がまっすぐに窓から差し込んでいる。ぽかぽかとした室温。誰もいない静かな空間。そして午前の組み手の疲労が出てきたのか、ソフィアの瞼はいつしかゆっくりと閉じられたのだった。




 吸い込んだ空気にほのかに混じる甘い匂い。

 ソフィアは目を閉じたまま、己のまどろみと必死に戦っていた。


(私、寝ちゃった? 早く起きないと――)


 だが不思議なことにどうして自分が眠っているのか、なぜ早く起きないといけないと焦っているのかが思い出せない。頭の中全体にうっすらと白い靄がかかっているかのようでソフィアはもぞりと体を動かす。すると柔らかい何かがふわっと頬をかすめた。


「……?」


 先ほどの甘い匂いはどうやらそこから漂っているらしく、ソフィアは無意識にそこに顔をうずめる。最高級の毛布のようにふわふわと柔らかくて、おひさまのような自然な温かさがあって、それで――。


(これ……何?)


 ただ柔らかいだけではない。何か筋張った――芯のようなものを感じ取り、ソフィアは途端に顔をしかめた。すると顔に触れていたそれがわずかに浮き上がり、その隙間から小さな笑い声が聞こえてくる。


「あれ、もしかして起こしちゃった?」

「……?」


 どこかで聞いたことがある声。だがいまいち確証が持てず、ソフィアはようやくゆっくりと瞼を持ち上げる。まず目に飛び込んできたのは密に並んだ茶色の羽毛。そしてしなやかに伸びた長い風切羽。その向こうで長髪を結んだ男性が微笑んでいる。


(あれって……)


 金灰色の髪。金色の瞳に小さな瞳孔。今日は休みなのか、騎士服ではなくシンプルな私服を着ている。なにより、いつも楽しそうなその顔は――。


「アードラー隊長⁉」

「あはは、久しぶりに聞いたなあ。それ」


 がばっと起き上がり、あらためてその顔を確認する。しかし何度見ても上官――射撃隊の隊長であるアーシェント・アードラーその人で、ソフィアはその場で一気に冷や汗をかいた。

 ついでにおそるおそる自分の上にかぶさっているものを見る。それは最高級の毛布などではなく、鳥の加護者であるアーシェントの片翼だった。


「す、すす、すみません! 私、えっ? 居眠りを⁉」

「もしかして寝ぼけてる?」

「寝ぼけ……?」


 落ち着いた彼の声のトーンにつられ、ソフィアは少しずつ今の状況を思い出す。今自分がいるのは革張りの立派なソファの上。どうやら横になっているうちに眠ってしまったらしく、アーシェントが隣に座って羽をかぶせてくれていたようだ。彼の手には仕事の書類らしきものがあり、ソフィアはいぶかしげに尋ねる。


「あの、ここはいったい……」

「ほんとに寝ぼけてるみたいだね。ここはオレたちの家。忘れちゃった?」

「い、家⁉ というかあの、オレたちって……」

「そんなに驚くことないでしょ。もう一年は一緒に暮らしてるんだし」

「一年⁉ 一緒に⁉」


 彼の口からこともなげに放たれる言葉のすべてが衝撃的で、ソフィアはいちいち復唱してしまう。するとアーシェントが静かに目を細め、その長い指先をソフィアの顎へと伸ばした。


「そうだよ。だってオレたち付き合ってるんだし」

「つ、つつ、付き合ってるって……」

「ひどいなぁ。まさかそれも忘れちゃったの?」


 うん? と首をかしげられ、ソフィアは猛禽類を前にしたネズミよろしく硬直する。付き合っている。一年。一緒に住んでいる。脳内のどこを捜してもそうなった経緯がまったく思い出せず、ソフィアは完全にパニックになってしまう。

 すると痺れを切らしたアーシェントが腰を上げ、ソフィアの体を優しく抱きかかえて自身の膝の上に乗せた。


「昨日の夜もこうして過ごしていたじゃない」

「き、昨日の夜もって、ええと、ちょっと覚えがないといいますか……」

「なら、もう一回する? こうして――」


 アーシェントの手が再び顔に伸びてきて、今度はぐいっと彼の方を上向かされる。そのまま唇が迫ってきて――ソフィアはいよいよ自分の記憶に自信がなくなってきた。


(私、本当にアードラー隊長と……?)


 考えている最中にもぼんやりとした眠りの膜がソフィアの思考を奪う。抱き寄せられた腕が心地よくて、背中に添えられた翼が温かくて――とソフィアは無意識に目を閉じて受け入れようとした。

 だが彼の吐息を間近で感じた瞬間、体の奥でゴリラが激しく吠えたてる。


(――‼)


 散漫になっていたソフィアの意識が一気に集約する。

 違う。これじゃない。

 はじめて交わしたキスは――。


(たどたどしくて、頬に触れていた手から緊張が伝わってきて、それで……)


 甘い、クリームの味がした。

 いつかは分からない。誰かも分からない。でもきっと彼ではない――とソフィアはすぐさま目を見開くと、両腕を力いっぱいアーシェントの方に伸ばした。


「すみません! でもあの、違うんです‼」

「――っ‼」


 どん、とアーシェントの胸に手のひらが当たったのを見て、ソフィアは「しまった」と大きく目を見張った。なぜかは分からない。ただ以前も同じようなことをして、あの人を建物の外にまで突き飛ばしてしまったから。


(あの人……って……?)


 繋がりかけた意識がまたも散り散りになっていく。驚いた顔をしたアーシェントが手を伸ばしている姿を見て、ソフィアは自分の体がどこかへ落下していることに気づいた。彼の手を取るすべもないまま、どぷん、と水面を貫いた音だけが耳に響く。


(私……どこに――)


 ふたりで暮らしていたと言われた家も、眠っていたソファもあっという間に姿を消し、ソフィアはひとり暗い水の底に沈んでいったのだった。




 ざざん、という穏やかな波の音が聞こえる。

 ソフィアが目を開けると、そこは広いウッドデッキに置かれたベッドの上だった。右を見ると青と緑が複雑に織り交ざった美しい海が広がっており、左を見ると壁一面にわたる巨大な窓と涼しそうな部屋――どうやら海と隣接した南国のリゾートホテルのようだ。


「……?」


 何故こんなところにいるのか思い出そうとするが、何一つそれらしき記憶に行き当たらない。そもそもどうしてこんな場所まで来て、自分は騎士団の制服を着ているのか――と視線を落としたところでソフィアはぎょっと目を剥いた。


「ク、クヴァレ隊長⁉」


 そこ――ソフィアの膝の上でどういうわけか海事隊の若きリーダー、シン・クヴァレが横向きになってすやすやと寝息を立てていた。よほど熟睡しているのか、こちらが声を上げたあともいっこうに起きる気配がない。


(どうして私がクヴァレ隊長と⁉ というかどうして膝枕なんて……)


 なんとか抜け出せないかと試みるが、背後にはベッドのヘッドボードがあるのでそれ以上動くことが出来ない。ソフィアは脱走を諦め、あらためてシンの姿を観察した。

 普段着ている群青色の軍服ではなく、白のハーフパンツに水色のパーカーというラフな格好。このシチュエーションを考えればなにもおかしくないスタイルなのだが、彼は以前南の島で行われた合宿訓練でも肌を見せていなかった。今はよほど気を抜いている――ということだろうか。


(なんていうか……すごく綺麗な人……)


 繊細な金の髪は細くキラキラとしていて、肌は白くてきめ細かい。まっすぐな鼻筋に長い睫毛、形のよい唇はまるで熟練の職人が手掛けた彫刻のようで――とまで考えたところで、ソフィアの脳裏にふと誰かの姿がよぎる。


(私、ずっと前にもこんなことを……)


 その人は金色の髪じゃなくて。たしかに綺麗な顔だったけれど、笑うとそれが一気に親しみやすいものになって。それで――とソフィアはかすかに浮かんできた記憶の断片を必死になって手繰り寄せる。だがその顎に突如、ぴた、と冷たい指先が触れた。


「ひゃあ⁉」

「……なに百面相してるの」

「ク、クヴァレ隊長……」


 いつの間にかシンが目を覚ましており、透き通ったガラスのような瞳が下からじいっとソフィアを見上げていた。上官ということもあってあまり近くからその顔を見たことはなかったが、この距離で目にするととんでもない美形である。思わず赤面してしまったソフィアに向けて、シンはむっと眉根を寄せた。


「なに、その呼び方」

「へっ?」

「仕事思い出すからやめてほしいんだけど」

「そ、そう言われましても……」


 やむなく目をそらしていると、シンの指先がするりと頬へと移動する。横になっていた彼はそのままゆっくりと体を起こし、ソフィアをベッドの角に追い込んだ。


「そう言われましても?」

(ひ、ひいーっ!)


 圧倒的な美貌から見下ろされ、ソフィアの動揺は限界に近づいていく。このままではまずい、と必死に意識をそらせそうな話題を口にした。


「あ、あのっ! アードラー隊長やヴォルク隊長はどちらにおられるんですか⁉」

「……なんで今、あいつらの名前が出てくるわけ?」

「それはそのっ! た、隊長たちが一緒の任務かと思いまして……」


 するとシンは先ほどより眉間の皺をいっそう深くし、頬に置いていた手を少しだけ移動させると、親指の腹をソフィアの唇へと押し当てた。


「君にとって、ぼくとの旅行は仕事扱いってこと?」

「へ……?」

「やっと一緒に取れた休み、楽しみにしてたのに」

「い、一緒にって……あの、そもそも旅行ってどうして……」


 まったく身に覚えがないが、どうやら仕事でも任務でもなくプライベートでシンと旅行に来ているらしい。もはや理解が追いつかず混乱しているソフィアをよそに、シンはまるで恋人に接するかのように顔を寄せてきた。


「もういいや、黙って」

「ク、クヴァレ隊長、それは――」


 薄い唇が迫ってきて、ソフィアはたまらずぎゅっと目を閉じる。だが心の中のゴリラが『ウホッウホッ』とこちらを鼓舞するように騒ぎ始め、そこでようやくこのままではいけない、と気づいた。


「――っ、クヴァレ隊長、すみませんっ‼」

「!」


 謝罪と同時にシンの両手首を掴み、そのまま片足を持ち上げて彼の体を跳ね上げる。隊長格の中では比較的小柄とはいえ鍛え上げられた体つき。並の男相手であればすぐに反撃に移られただろう。

 だがこちとらゴリラの神の加護者。彼が防御姿勢を取るより早くもう一方の足で追撃。さらに掴んでいた手を勢いよく後ろに向かって放り投げた。

 案の定、シンの体は放物線を描いてひょーいと後方へと飛んでいく。


(な、なんとか回避できた……!)


 覆いかぶさっていた彼の体がなくなり、ソフィアはほっと胸を撫で下ろす。しかしその直後、どばしゃんという大きな水音とパタパタパタっという水しぶきが頭上から降り注いだ。

 急いで振り返るとそこには白く波立った海面が広がっており、ソフィアは一瞬で蒼白になる。


「す、すす、すみませんー!」


 どうしよう、まさかウッドデッキより外に行ってしまうなんて、とソフィアはすぐさま自分も海に向かって飛び込む。だがシンの姿を捜す以前に、自身の体の方がどんどん沈んでいくではないか。


(そういえばゴリラは……泳げないんだった……!)


 絶望的な気持ちで顔を上げると、不思議そうな顔をしたシンが沈んでいくソフィアを水面付近から見下ろしていた。考えてみれば彼は海事隊の隊長。海での対応など誰よりも慣れているに決まっている――とソフィアはひとり涙した。


(でも……無事で良かった……)


 どんな怪力もどんな脚力も海の中では無意味だ。ソフィアは深い眠りに誘われる時のようにゆっくりと深海へ落ちていくのだった。




「――ィア、おい、ソフィア!」

「……?」


 いくどとなく名前を呼ばれ、ソフィアはゆっくりと顔を上げた。そこは海の底――ではなく明々とした照明が眩しいどこかの応接室で、目の前にはずいぶんと背の高い男性が立っている。高価(たか)そうな礼服を着ているが――。


「ヴォ、ヴォルク隊長⁉」

「お、やっと起きたか。大丈夫か?」


 そこにいたのは、騎士団でもっとも人数の多い陸上隊を統率するヴィクトル・ヴォルク隊長だった。特徴的な頬の傷はそのままだが、普段オールバックにしている髪が今日は少し違った感じに整えられている。


「そろそろ時間だが、行けるか?」

「行くってどこへ……」

「アァン? 決まってんだろ。親父たちに結婚の報告に行くんだよ」

「結婚⁉」


 誰と誰が、と口にする前に慌てて自身の体を見る。ディーレンタウンの学生服でも従騎士の黒い制服でもない。首元をレースで覆い、両腕を出したシンプルなデザインの白いドレス。手にはシルクのロンググローブがはめられており、その格好はどこからどう見てもウエディングドレスそのものだ。


(もしかして、私……⁉)


 そんなはずは、と硬直していたソフィアだったが嫌な予感は当たり、ヴィクトルはぐいっとソフィアの手を取って歩き始めた。


「まあそんな緊張すんな。身内ばっかのこぢんまりしたパーティーだからよ」

「こ、こぢんまりって」


 規模の問題ではない、と言う暇もなく、ふたりは楽団の音楽が漏れ聞こえる大ホールの前へと到着した。今すぐ逃げ出したいソフィアをよそに、ヴィクトルはまるで酒場の扉を開けるような気さくさでいとも簡単に部屋に踏み込む。

 まず目に飛び込んだのは三段で構成された巨大なシャンデリア。首が痛くなるような高さの天井には動物神たちの絵が描かれており、それだけで目がチカチカしてしまう。ホール自体もかなり広く、学園の大ホールと比べても遜色ない大きさだ。

 さらに王宮で見るのと変わらない編成数の楽団に、きらびやかなドレスを身にまとった淑女たち、それをエスコートしている男性陣――その人数だけでもとても『こぢんまり』とは表現出来ない。


(身内ばっかって……嘘でしょ⁉)


 もはや理解が追いつかず、ソフィアはただ呆然とその場に立ち尽くす。するとそんなふたりのもとに見知らぬ男性が近づいてきた。


「おお久しぶりだな、ヴィクトル。待ちくたびれたぞ」

「これは侯爵閣下。ご無沙汰しております」

(……⁉)


 そのやり取りを目にしたソフィアは思わず目を見開く。侯爵閣下と呼ばれた男性はただならぬ威厳があり、どこかの有名な貴族なのだろうと容易に想像がついた。だがソフィアが驚いたのはそこではなく――。


(ヴォルク隊長が……敬語を⁉)


 隊長の中でも最年長とされるヴィクトル。団長のエルンストとも仲が良く、その性格は豪放磊落。同じ隊だろうが違う隊だろうが従騎士相手だろうが態度が変わらず、常に「がっはっは」と笑いながら背中をばしばし叩いてくる――という印象だった。

 しかし今隣にいるヴィクトルの立ち振る舞いは、まさに洗練された貴族そのもの。手に握られているのはビールジョッキではなく細い(ステム)のシャンパングラス。言葉遣いや一挙手一投足すら普段の彼とはかけ離れており、ソフィアはしばらく思考が停止してしまう。


「それにしても、まさかお前が結婚する気になるとはなあ」

「私も生涯独身のつもりでしたが、彼女と出会って気が変わりまして」

「本当に感謝しないとな。ええと、ソフィアさん?」

「は、はいっ⁉」


 いきなり話を振られ、ソフィアはびくっと肩をすくめる。


「なかなか気性が荒い男でしょう。何かご迷惑をかけてはいませんか?」

「い、いえ……。ヴォルク隊長は陸上隊の皆さんにとても信頼されていますし、従騎士の私たちにもよくしてくださって――」

「なるほど、それは良かった。……しかしヴィクトル、お前は恋人にまで隊長と呼ばせているのか?」

「なッ⁉」


 優しくしてやりなさい、と侯爵閣下がヴィクトルの肩をぽんぽんと叩いて離れていく。苦虫を噛み潰したような表情でそれを見送ったあと、ヴィクトルがくるりとソフィアの方を振り返った。


「おーまーえーなー。どうして今になって昔の呼び方すんだよ」

「む、昔って……」

「まーお互い上司部下の時間が長かったから仕方ねぇけどよ。今はほら……そう言うんじゃねえっつうか……」

(ど、どういう状態⁉)


 なぜか聞いたら後戻り出来ない気がして、ソフィアはキョロキョロと慌ただしく周囲を見回す。近くのテーブルに並んでいたケーキを見つけると、逃げるようにさささっとそちらへ駆け寄った。


「あ、あの、隊長! ケーキありますけどいかがですか⁉」

「あー、俺甘いもんは食わねぇんだわ。悪ぃな」

「そう……ですか……」


 あっさりと断られ、ソフィアは手にしていた食器を前にしおしおとうつむく。だが要らないと言われたショックよりも、先ほどから胸に広がっていく違和感の正体を突き止めるのに必死だった。


(こんな時、――なら)


 きっと嬉しそうに目を輝かせて。一つのお皿に乗り切れないほどたくさんのケーキを載せて。嬉しそうに満面の笑みで頬張って。これが美味しかったとソフィアにも差し出してくれて、そして――。


「……あれ?」


 その時ソフィアは、自身の目から涙が零れていることに気づいた。

 悲しいわけではない。どこかが痛いわけでもない。

 ただ――寂しい。自分の中に確かにあったはずの何かがなくなっていて、それが何か全然分からなくて、でもそれは本当に、本当に大切だったもののはずで。


(私……どうして……)


 手のひらで拭うが、次から次へと溢れてくる。やがてそれに気づいたヴィクトルが心配そうにのぞき込んできた。


「本当に大丈夫か? あれなら向こうの部屋で少し休むか」

「……いえ。なんでもないで――」


 するとそんなソフィアの足元を何かがしゅたたっと通り過ぎた。それはどこにでもいる普通のリス――だがそれを目にした途端、ソフィアの胸にたまらない愛しさが湧き起こった。


(あれは――)


 緑の目をしたリスはソフィアの方を振り返ったあと、再びしゅたたっと大ホールの外に向かって駆けていく。それを見たソフィアは矢も楯もたまらずそのリスを追って勢いよく走り出した。


「おい⁉ ソフィア⁉」


 ヴィクトルの叫び声を背中で聞きながら、ソフィアはただ夢中になってリスのあとを追いかける。普段であれば一瞬で追いつくはずなのに、なぜかいっこうにお互いの距離が縮まらない。


「お願い……待って……!」


 ふさふさの尻尾を揺らしながら、リスは正面玄関へと続く長い廊下を走っていく。ソフィアもまた一心不乱にそれを追い続け、やがてひとりと一匹は外に繋がる長い階段へと到着した。器用に下りていくリスに倣い、ソフィアも高いヒールで駆け下りようとする――。


「あっ⁉」


 だが数段下りた先でヒールが折れ、ソフィアは派手に体勢を崩してしまった。気づいたリスが慌てて振り返るも、ソフィアの体はそのまま階下へと投げ出されてしまう。


(しまっ――)


 咄嗟に受け身を取るも、全身が激しく揺さぶられて上下左右も分からない。ソフィアはその衝撃から身を守るべく、必死になって目をつぶるのだった。





 ゆらゆら、ゆらゆら。


「おーい。寝てるー?」


 ゆらゆら、ゆらゆらゆら。


「こんなとこで爆睡たぁ、いい度胸してんなあ」


 ゆらゆら、ゆらゆらゆらゆら。


「もうほっときなよ。寝てるとこ起こされたら誰だって嫌でしょ」

「でもねェ、一応ここ団長室だし?」

「エルンストの奴、どこまで行ってんだよ」

「――はっ‼」


 聞き覚えのある三つの声を前に、ソフィアはようやく目を覚ました。肩にはアーシェントの手が置かれており、覚醒したのが分かった途端にぱっと手を離す。


「お、やーっと起きたぁ」

「すみません、私いったい……」

「エルンストを待ってたんだろうが、ちぃっと気を抜きすぎじゃねえか?」

「団長、を……」


 アーシェントの隣にはヴィクトルが立っており、そんな隊長たちの間――少し離れた位置からシンがこちらを見つめていた。現状にいまいちぴんと来ていないソフィアだったが、やがてじわじわと顔を赤らめる。


(私……団長を待っている間に寝て……じゃああれは、夢……⁉)


 顔を上げると相変わらずアーシェント、シン、ヴィクトルの姿があり、ソフィアはあらためて先ほどの夢を思い出してしまう。はっきりとした記憶はないが、なぜか自分が隊長たちと親しげに過ごしていたような――。


「し、し……失礼いたしましたぁー!」


 およそ人間とは思えない速度でソファから跳び起き、そのまま扉を閉めて勢いよく団長室をあとにする。残された隊長ら三人はその鮮やかな逃亡ぶりを見てしばし呆然としていたものの、やがてアーシェントが「ふはっ」と噴き出した。


「やっぱゴリラちゃんいいよねェ~。なんていうか、からかいたくなっちゃう感じ?」

「その羽へし折られたいなら好きにすれば」

「ちょっとシンちゃん怖いこと言わないでよ!」

「いい瞬発力してんなあ……うちに来てくれたらもっと鍛えてやるんだが」

「ヴィクトルさんとこはむさくるしくて女の子は嫌でしょ」

「アァン? なんか言ったかアーシェント」

「二人ともうるさいんだけど」


 眉間に深い縦皺を刻んだシンが年長者二人を睨みつける。かくして主不在の団長室で『うちの隊にゴリラが来たら』トークでひとしきり盛り上がるのであった。




 その日の夕方。ルイが騎士団の廊下を歩いていると、向かいから猛スピードで何かが走ってきた。揺れる長い赤髪を見つけたところで、ルイはぱあっと顔をほころばせる。


「ソフィア! こんなところで会えるなんて――」

「ルイ先輩、ごめんなさいーっ‼」

「……?」


 直後、一陣の風のようにルイの脇をソフィアが駆け抜けていく。上げかけた手を中途半端な高さで維持していたルイはゆっくりと振り返り、彼女が消え去った先をぽかんと見つめるのだった。





 建物を出て、外の回廊を全力疾走しながらソフィアは心の中で絶叫する。


(ルイ先輩、ごめんなさいーーっ‼)


 出来ることなら少しだけでも話をしたかった。だがどうしても直前まで見ていたあの不埒な夢が脳裏をちらついてしまい、ルイの目をまっすぐに見れる自信がない。


(どうして……どうして私はあんな夢を……!)


 先日のルイとのキスで浮かれていたせいだろうか。しばらく隊長たちとまともに顔を合わせられる気がしない――とソフィアはひとり泣きながら従騎士団の建物へと戻っていくのだった。






 ちなみに数日後。

 エルンストから「待たせすぎて悪かった」という謝罪とともに再度呼び出しを喰らった。内容は説教でも弁償でもなく、暴漢から助けられた貴族がお礼を言いたいと訪ねてきた――というだけのことであった。




(了)



アニメ放送終了お礼ssでした!

これから配信をご覧になる方もおられると思いますので、そちらもぜひよろしくお願いいたします。


自分の人生で、トップ3になるであろう本当に幸せな三か月でした!

アニメは終わってしまいましたが、コミカライズはまだまだ続いておりますので、どうかソフィアとルイの恋物語に最後までお付き合いいただければ幸いです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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