コミックス6巻発売お礼ss:アレーネの平穏な一日
アレーネには、マイヤという二つ下の可愛い妹がいた。
「お姉様ってぇ、本当に地味で暗いわよねえ」
「…………」
母親譲りの波打つような金髪。瞳は輝くようなエメラルドグリーン。陶磁器人形のような白い肌に可愛らしい顔立ち。将来は白鳥の神に加護されること間違いなしと噂される妹は、愛らしく微笑みながら口にした。
「平凡な茶色の髪にぼんやりした紫色の目。いったい誰に似たのかしら」
「それは、その……」
「動物神様たちも、お姉様の加護は辞退なさるんじゃないかしら? ああ、もしかしたらモグラの神様は似た者同士、同情してくださるかもしれないわ。それか――」
妹は窓辺にいた小さな蜘蛛に目をやり、にやっと口角を上げた。
「蜘蛛の神とか? ふふ、お似合ーい」
口元に手を当ててくすくすと笑ったあと、妹はその蜘蛛をふっと息で吹き飛ばした。小さな蜘蛛はあっという間に転がっていき、窓の溝に落ちてしまう。
そこにノックの音がし、二人の父親が姿を見せた。
「ああマイヤ、ここにいたのか」
「お父様!」
「頼んでいた水晶のネックレスが届いたから呼びに来たんだが……アレーネ? まさか、また何か意地悪なことをしたんじゃないだろうね」
「い、いえ! そんなこと……」
以前、身に覚えのない罪でとがめられたことを思い出し、アレーネは口ごもる。そんな様子を見て父親が呆れたようにため息をついた。
「まったく……本当にぼくの娘とは思えないな。マイヤはこの歳でもう縁談がひっきりなしだというのに、どうして姉妹逆に生まれてこなかったのか」
「お父様ぁ、もう行きましょ。早く新しいネックレスが見たいわ」
「ああそうだった。さ、行こうか」
甘えるように父親の腕を絡め取り、妹が部屋を出ていく。
一人残されたアレーネは窓辺に近づき、溝でもがいていた蜘蛛をそっと助け出した。窓を開け、近くにあった葉っぱの上に置いてやる。細くか弱い足でよちよちと懸命に葉っぱの上を歩いていく姿を見ながら、アレーネはぽつりとつぶやいた。
「蜘蛛もモグラも……結構可愛いと思うんだけどな……」
アレーネは小さく息を吐き出すと、静かに窓を閉めたのだった。
・
・
・
それから数年後、アレーネは王都にある全寮制の寄宿舎校に通うことになった。
かかる費用を考えればもったいないくらいの待遇なのだが、陰気な姉と終始一緒だと息が詰まるとマイヤが父親に泣きついたこと、それを聞いた父親もまた「自分で結婚相手を探してこい」と言い出したことから、実家を追い出される口実に使われたのだ。
しかしそこは、多くの貴族子女が集う学校。
家柄によるヒエラルキーが当然のように存在し、アレーネはここでも地味で目立たない存在となった。ただマイヤのように直接悪口や嫌味を言ってくる者はおらず、食堂に行けばいつでも食事が手に入る。それだけでアレーネにとっては天国のようだった。
だが高等部に進級したある日――。
「ソフィア・リーラーを?」
「ええ。パーティーが終わるまで、校舎の倉庫室に閉じ込めていただきたいの」
学内パーティー。
そのきらびやかな会場の片隅で、突如クラスメイトのカリッサから話しかけられた。
「ど、どうして……」
「理由なんてどうでもいいでしょう? わたくしたちだと警戒されてしまいますけど、あなたでしたら無害そうですし、連れ出すことが出来るかと思いまして」
「でもわたし、そんなに話したことないし、それに」
「いいから! 頼みましたわよ!」
そう言うとカリッサは取り巻きを引き連れて、さっさとどこかに行ってしまった。一方、三度目の食事のお代わりに行こうとしていたアレーネは、その場でさああっと青ざめる。
(ど、どうしよう……)
カリッサはクラスの中でも最上位に位置する正真正銘のお嬢様だ。そのため、普段は碌に話したこともなかったのだが――。
(閉じ込めるなんて……。でも、言うこと聞かなかったら……)
居丈高にふるまうカリッサの姿が妹のそれと重なる。途端に手が震え出し、アレーネは全身に嫌な汗をかきながら必死に思考を巡らせた。
(事情を話して来てもらう? でもバラしたら、カリッサが怒るだろうし……)
仕方なくアレーネは自身が着けていたイヤリングの片方をさっともぎ取った。ぎゅっと手のひらに握りしめたまま、ターゲットであるソフィアを捜す。だがいざその姿を発見したところで、途方もない絶望に襲われた。
(よく考えたらわたし、ソフィアと全然仲良くなかった……)
女子の中でも背が高く、よくカリッサたちに絡まれているソフィア・リーラー。おとなしくて孤立しがちという点でちょっと親近感を持っていたのだが、そもそも影が薄く、存在を認知されていない自分と比べるのは失礼だ。
(どうしよう、なんとかしないと――)
しかし話しかけに行く勇気もなく、アレーネはそのまま壁際でおろおろと立ち尽くす。するとどういうわけか、当のソフィアの方から話しかけてきた。
「あの、ええと……アレーネ、よね」
「ソ、ソフィア、リーラー?」
「なんだか体調が悪そうだけど、大丈夫?」
「う、うん……実は……」
何が起きたのか分からない。
でもこれはチャンスだ――とアレーネは震える手で片側の髪を掻き上げた。
「イヤリングを落としてしまって……」
「た、大変! 探さないと」
「そ、それが、落とした場所は分かっているんだけど、一人じゃ怖くて……」
言いながら、どうしてわたしはこんな嘘をついているのだろう、と不安になる。
わたしが物を失くしたところで、彼女が一緒に捜してくれるはずがない。ああそう、大変ね、と言い捨てられて放置されるのがオチだ。どうしてこんな無謀な作戦を立ててしまったのか――。
だが蒼白になるアレーネをよそに、ソフィアはにこっと微笑んだ。
「私で良ければ手伝うわ。どこに落としたの?」
「じ、実は……」
パーティー会場を出て、校舎にある倉庫室に移動する間も、アレーネの動悸は収まらなかった。そして結局本当のことを打ち明ける勇気もなく、カリッサに命じられたまま彼女を部屋に閉じ込めてしまった。
その力は、くしくも妹から揶揄された『蜘蛛の神』によるもので――。
(どうしよう……どうしよう、どうしよう……!)
はあはあと息を切らせながら校舎を出て、人気の少ない裏庭の方へと逃げ込む。
立ち止まって荒い呼吸を繰り返していると、真っ白だった頭の中に少しずつ冷静が戻ってきた。少し落ち着いたところで、アレーネはソフィアを閉じ込めた薄暗い校舎をそうっと見上げる。
(でも、これで……)
その瞬間、とてつもない罪悪感に襲われた。
(これで……本当にいいの?)
一緒に捜してくれるはずなんてないと思っていた。そもそも、名前すら覚えられていないと思っていたのに。
それなのにソフィアはわざわざ話しかけてくれて、自分の言うことを信じてくれた。疑うことも迷うこともなく、手を差し伸べてくれた。
こんな、情けないわたしに。
(それなのにわたし……騙して……)
ふと視線を落とすと、近くの花垣で何かがきらりと光った。近づいてよく見ると、葉っぱの間に細くて綺麗な蜘蛛の糸がかかっている。小雨が降っていたのか、ところどころに水滴がついており、まるで水晶で出来たネックレスのようだ。
それを目にした途端、アレーネの脳裏に蔑んでくる妹の姿が甦った。
(ここは……家じゃない。私のことを非難する妹もいないし、冷たく当たるお父様もいない。なのに、わたし――)
まるで自分が小さな蜘蛛になってしまったかのような錯覚に陥り、アレーネは一人唇を噛みしめる。するとその直後、頭上でドン、という大きな音が響いた。慌てて顔を上げるとそこには大輪の花火が広がっており、アレーネはしばし目を奪われる。
「綺麗……」
その後も続けて花火が上がり、どこか遠いところで楽しそうにはしゃぐ男女の声が聞こえてきた。きっとパーティー会場や中庭にはたくさんの生徒たちがいて、みんな一緒に空を見上げているのだろう。
でもアレーネの隣には誰もいない。
ただ冷え切った、真っ暗な静寂が広がっているだけだ。
(しょうがない、よね……。だってわたしは――)
疲れた様子でしゃがみこみ、水滴が付いた蜘蛛の糸に触れる。相当頑丈なのか水滴が落ちるだけで糸は外れず、アレーネはぽたりと落ちていく水滴を見ながら、ふと己に問いかけた。
(……本当に、しょうがないの?)
妹のように可愛くないから。
カリッサのように強くなれないから。
だからわたしは誰にも愛されず、こんなところに一人でいるしかない。
(……違う)
暗くて内気で、みすぼらしい姉だからじゃなくて。
弱々しい蜘蛛の加護者だからじゃなくて。
わたしがここに一人でいるのは、わたしに勇気がなかったから。
たった一人、手を差し伸べてくれた優しい人を裏切ってしまったから。
「――っ!」
静かにその場で立ち上がる。再びドン、という音が上空で生じ、それを聞いたアレーネは校舎に向かって一歩を踏み出した。そのまま少しずつ、走る速度を上げていく。
(早く……謝らないと……)
普段、全力疾走などしないせいですぐに息が上がり、動きにくいドレスのせいで何度も足を取られかけた。それでもアレーネは足を止めない。
「ソフィア……!」
頭上からドン、ドンとお腹に響くような爆音が降ってくる。アレーネはその衝撃に鼓舞されるかのように、急いで倉庫室に向かったのだった。
だが結局、助けに行ったそこにソフィアの姿はなく、崩壊した扉だけが残されていた。
いったい何が起きたのかと、特大のラスト花火が上がったあともアレーネは必死になってソフィアを捜し続け――寮にある彼女の自室で再会出来た時ようやく、アレーネは自らの愚かさを謝罪した。
その後カリッサのもとにも向かい、取り巻きたちの前で「もうああいうことには協力しない」と宣言した。意外にも彼女たちはそれ以上何も言うことなく――アレーネはあらためて、自分に足りていないものが何であったかを思い知ったのだった。
・
・
・
時は流れ、アレーネは二年生になった。
食堂の出入り口に置かれたメニューの前で迷っていると、馴染みのある声で「アレーネ?」と声をかけられる。
「何悩んでるの?」
「ソフィア」
戦闘系最強とされる『ゴリラの神』から加護された友人を前に、アレーネは真剣な顔で答えた。
「お肉とお魚、どっちも美味しそうで……」
「ほんとだ。じゃあ別々の頼んで半分こする?」
「いいの?」
ぱあっと破顔し、アレーネは嬉しそうに食堂に入る。だがそこでふと足を止め、くるっとソフィアの方を振り返った。
「ソフィア、あのね」
「?」
「友達になってくれて、ありがとう」
突然の告白に驚いたのか、ソフィアはみるみる赤面した。
「そ、それを言うなら私の方こそ、こ、こんな……ゴリラなのに……」
「それを言ったらわたしなんて蜘蛛だけど」
「蜘蛛はほら、割と可愛いし……」
「えっ……」
まさかの返答にアレーネも頬を赤くする。すると奥にあるテーブルの方から、雑踏の中でもよく通るカリッサの声が飛んできた。
「ちょっと二人ともー! そんなところで何をモタついてらっしゃるの? 早く来ないといい席が埋まってしまいますわよー!」
「カリッサ……」
ソフィアが苦笑しながら応じ、そっとアレーネの隣に立った。
「とりあえず行こっか」
「……うん!」
お目当てのランチを注文し、ついでにデザートもゲットする。
お腹いっぱいになった午後の授業は、きっと眠たくなることだろう。
(了)
コミックス6巻発売お礼ssでした!
一方この頃ソフィアはリスに告白し、ドアを破壊し、爆弾を空に蹴り飛ばしています(忙しいな)












