コミックス2巻発売お礼ss:今だけは君の王子様
それは天気のよいある日のこと。
王都の真ん中にある噴水の前で、アイザック・シーアンがそわそわと待機していた。やがて目当ての姿を見つけると、ぱあっと大型犬のように破顔する。
「ソフィア!」
「ごめんアイザック、遅くなっちゃった」
はあはあと息を切らせるソフィアを前に、アイザックはぶんぶんと顔を横に振る。
「全然! おれが早く来過ぎただけで、まだ約束の時間じゃないし」
「でも待たせちゃったから、ごめんね」
えへへとはにかむソフィアは、いつもの騎士服ではなく白いブラウスとタイトなロングスカートという可愛らしい装いだった。アイザックの心音は知らず早まる。
(どうしよう……すごく、可愛い‼)
するとソフィアがこちらに手を伸ばし、にっこりと微笑んだ。
「それじゃあ行こうか、デート」
まず二人が訪れたのは、男女両方の衣服を扱う洋品店だった。
しゃっと試着室のカーテンが開き、中にいたアイザックが人差し指で頬を掻く。
「ど、どうかな……」
「すごく似合ってる。かっこいいよ」
「ほ、ほんと⁉ うーん、じゃあ買おうかなあ……」
アイザックが着ていたのはグレーのパーカーに濃紺のジャケット、下は七分丈の白のパンツで走るのにも問題ない。寮のクローゼットにはTシャツとジーンズの二種類しか入っていないので、これを機にとアイザックは一式を購入した。
「ソフィアも、ちょっと着てみたら?」
「え?」
数分後。試着室のカーテンから、ソフィアは顔だけを覗かせた。
「や、やっぱり恥ずかしいよ……」
「大丈夫だって! いいから見せてよ」
「う、うん……」
おずおずと左右に広げられたカーテンの奥から、花柄のワンピースを纏ったソフィアが現れる。ソフィアが遠慮がちに動くたび、その裾がひらひらと可憐に舞い――アイザックは背後にいた店員にすぐに声をかけた。
「あの、これもさっきのと一緒にお願いします!」
「ア、アイザック⁉」
かくして大きな買い物袋を下げた二人は、その後も王都でのデートを満喫した。屋台で軽食を買ったり、カフェで幸せそうにケーキを食べるソフィアを見たり、移動動物園として披露されていた小動物たちを愛でたり――
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、やがてアイザックとソフィアは王都が一望できるという高台に到着した。
「あーーっ、楽しかったー!」
「アイザック、小犬にモテモテだったね」
「あ、それな! なんでだろ、やっぱり『犬の加護者』ってわかるのかなあ……。そういうソフィアだって、ウサギを抱く時めちゃくちゃ緊張してなかった?」
「それはその……力加減を間違うと、本当に大変なことになるので……」
うーんと苦悶の表情を浮かべるソフィアを見て、アイザックは嬉しそうに目を細めた。そのままぽつりと心に込み上げてきた思いを打ち明ける。
「今日は本当にありがと。デートなんて初めてだから、楽しんでもらえるか心配で」
「アイザックと一緒ならどこでも楽しいよ。だってその……彼氏、なんだし」
「ソフィア……」
二人の間に沈黙が落ち、自然と距離が縮まる。アイザックがソフィアの頬に手を伸ばすと、嫌がる素振りもなく彼女はそっと目を瞑った。こくりと息を呑み込むと、アイザックは首を傾けそのまま自身も目を閉じる――
ジリリリ、というゼンマイ式時計の鐘が苛立たしげに音を立てた。アイザックは瞼を持ち上げると、のっそりと体を起こす。
「……夢、かあ~~!」
開けっ放しのクローゼットには相変わらずTシャツとジーンズだけ。
アイザックはいまだ鮮明に残るあれそれを思い出すと、耳の端まで真っ赤にした状態でわっと両手で顔を覆った。
・
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エディははあと息を吐くと、隣に立つソフィアに手を差し出した。
「時間だ。行くぞ」
「ほ、本当に大丈夫? 私こんな格好したことないし……」
おどおどと怯えた様子を見せるソフィアは真っ白なドレスを身に纏っていた。婚礼用にも見えるその衣装は細緻な装飾がいくつも施されており、彼女の華奢な体を見事に飾り立てている。エディの手ずから結い上げた髪型もよく似合っており、エディはふっと得意げに口角を上げた。
「僕の見立てに不安があると?」
「そ、そういう訳じゃないけど、でも」
「いいから堂々としていろ。お前はぼくの――恋人なんだから」
訪れたのはエディの親族らが集うパーティーだった。
会場に入った途端、女性を従えた年配の男性から声をかけられる。
「エディ! 久しぶりだな。なんでも従騎士になったそうじゃないか」
「はい。ありがとうございます」
「本家の連中はさぞかし悔しがっているだろう。まさか愛人が産んだ方に『フェレス家』の才能が流れちまうなんて」
「……」
「だがおかげでこうしてフェレスを名乗り、末席とは言え公の場に呼んでもらえたんだ。当主様に感謝しないとな」
「そう……ですね」
どろりと苦いものが喉を滑り落ちる。
隣に立つソフィアが不安そうな顔をするのにも気づかないまま、エディは取ってつけたような笑みをひたりと顔に貼り付けた。だが男性の大きな声で他の参加者もエディに気づいたのか、我も我もと集まってくる。
「従騎士とはすごいな。ぜひ『フェレス家』のために出世してくれよ」
「だがそこから正騎士になれるかは別の話だろう? しょせん妾の子じゃ――」
「とにかく『フェレス家』の名だけは汚すことのないよう注意を――」
(……気持ち、悪い……)
次から次へと好き勝手にぶつけられる『呪い』。
曖昧に微笑んでいたエディだったが、胃液が逆流するかのような不快感で胸の奥が満たされる。形ばかり手にしていたグラスがかたかたと小さく揺れ、中の発泡酒が細かく泡を浮き上がらせた。
(早く帰りたい……。だが、当主にだけは面通ししておかないと、どんな不興を招くか――)
すると突然――ばしゃがこんという複数の破砕音が混じった派手な音が、エディの背後で盛大に響いた。慌てて振り返るとグラスの脚だけを握りしめたソフィアがあわわわと蒼白になってこちらを見ている。
すぐ傍では重厚なテーブルが綺麗に真っ二つになっており、その目を疑うような光景にエディの親族らも「えっ……」と真顔になった。
「す、すみません、その、グラスを置こうとしたら、勢い余って」
「い、勢いだけでそんな風になるか⁉」
「ま、待て! こいつもしかして……『ゴリラの加護者』じゃないか⁉」
その言葉に、取り囲んでいた人垣がざっと離れる。途端に重く淀んでいた場の空気が一気に軽くなり――エディは知らず、ふっと自然な笑みを浮かべていた。注目を集めてしまい、真っ赤になって焦燥するソフィアの手を取ると、わずかについた切り傷に言及する。
「おい、ここ。怪我してるぞ」
「え⁉ あ、本当だ」
「行こう、手当する」
そう言うとエディはいまだざわつくフェレス一族を無視したまま、ソフィアとともに会場をあとにした。長い廊下を歩いていると休憩用に少し広めに作られたスペースが現れ、そこにあったソファにソフィアを座らせる。
「ほら、手出せ」
「た、大したことないし、大丈夫だよ」
「雑菌が入ったら大変だろ」
エディは内ポケットから消毒液と包帯を取り出すと、手際よくソフィアの傷を処置した。包帯を巻いていると、ソフィアがおずおずと口にする。
「エディ、大丈夫?」
「何が」
「その……すごく、苦しそうだったから」
「……」
「ご、ごめん。本当はもっと上手く助けるつもりだったんだけど……。ちょっと調整が出来なくて、つい……」
その言葉を聞いたエディは静かに睫毛を伏せた。
患部に包帯を巻き終えたあと、そっとソフィアの手を握り込む。
「だからテーブルを割ったのか」
「うっ……すみません、弁償はしますので……」
「いいさ。どうせ奴らにとっちゃ大した額じゃない」
自分をあの場から救い出そうとして付いた傷――包帯に巻かれた小さな手がどうしようもなく愛おしくなり、エディはそのまま持ち上げると、優しく口づけを落とした。
「エ、エディ⁉」
「それより、もう二度とこんな無茶はしないでくれ。……僕のためにお前が傷つくなんて、もう、耐えられないんだ……」
こんな思いを以前もした。
あれは――雪山訓練の時だったか。
(こいつは本当に……人のことになると自分がどうでも良くなるんだよな……)
じいっと視線を上げると、先ほどよりもいっそう顔を赤くしたソフィアが震えながら下唇を噛みしめていた。その緊張している姿に、エディのいたずら心がむくむくと頭をもたげてしまい――気づけば彼女の唇に、自身のそれを向かわせる。
「エ、エディ、こんなところじゃ、誰が来るか――」
「いいさ。見せつけてやればいい」
「で、でも……」
いよいよ恥ずかしさが限界に達したのか、ソフィアは強く目を瞑る。それを見たエディは堪え切れない笑いを噛みしめると、そのまま彼女に口づけた――
カーテンの向こうからわずかに差し込む朝日を浴びながら、エディはいつものようにぱちと目を覚ました。その状態のまましばらく茫然としていたかと思うと、両手で上掛けを掴みそのまま自身の頭上までがばっと引き上げる。
その顔はかつてないほど真っ赤になっていた。
(何をっ……なんて夢を見ているんだっ、僕はっ……!)
その日の食堂にて。
「……なんか今日、二人とも変じゃない?」
「な、えっ⁉ そ、そんなことないよ、普通だよ」
「アイザックは朝から顔が赤いし、エディは……ずっと無視するし」
「……」
無言のまま魚料理を口に運ぶエディを見るが、彼はなおも顔を合わせようともしてくれない。すると珍しく登校していたルイが、お盆を手にしたまま三人の前に姿を見せた。
「久しぶりだな。訓練はどうだ?」
「は、はいっ! 頑張ってます! 先輩には負けません!」
「……特に問題ありません」
(……?)
アイザックからは何故か闘志に満ちた眼差しを向けられ、エディからは獲物を狙うような目で睨まれ――何か分からないが何らかの不穏を感じ取ったルイは、ふかふかの尻尾を逆立てるかのようにぶるりと身震いした。
(了)
コミックス2巻本日発売です。どうぞよろしくお願いします!
書きながらエディの闇が深すぎてびっくりしました。












