コミックス1巻発売お礼ss:アーシェント・アードラーの優雅な一日
射撃隊隊長、アーシェント・アードラーはベッドの上で痛む頭を抱えていた。
「……あー……きっつ……」
今日は一カ月ぶりの非番。昨夜はそれを聞きつけた陸上隊隊長・ヴィクトルに連れられて、午前様になるまで酒場での呑みに付き合わされたのだ。
ちなみに海事隊隊長のシンも誘ったが「早く帰りたいんで」とすげなく断られた。
「ヴィクトルさん、まーじでうわばみだわ……蛇の加護者かよ……」
ずきずきと痛むこめかみを押さえながら、近くにあった水差しからグラスに水を注ぐ。一息に飲み干すと、少しだけ頭がすっきりした気がした。
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「さーて、何しよっかなあー」
午後になると二日酔いもだいぶ落ち着いたらしく、私服に着替えたアーシェントはふらりと王都の散策に出かけた。貴族街を抜け、にぎやかな市街地へと下りていくと、向かいからきゃあと複数の黄色い声が挙がる。
「アーシェント様! 今日はお休みなんですかぁ?」
「珍しい~。じゃああたしたちと遊びません?」
「やだぁ、私とデートですよね? ア―シェント様!」
町娘からご令嬢、花街のお姉様と実に多様な取り合わせの女性陣から声を掛けられ、アーシェントはへらっと頭を掻いた。
「そーだなーそれもいいか……っと」
だが取り巻く人垣の向こうを、見覚えのある姿がちらりと通り過ぎる。ワインのような深赤色の髪を馬の尻尾のように結い上げ、従騎士の黒い制服をきっちりと身に纏った少女。その瞬間、アーシェントは金色の瞳をすうっと細めた。
「……ごめん、ちょっと用があるからまた今度ね」
「えー⁉」
「また遊びに行くからさ」
渋る女性たちに「じゃあねー」と片手を振りながら、アーシェントは気配を悟られないようその背中を追いかける。間違いない。この世界に二つとない戦闘系最強の加護――『ゴリラの神』の加護者、ソフィア・リーラーだ。
(この時間なら、市街の警邏かな?)
アーシェントの予想通り、赤髪の彼女はアステラ通りに向かったかと思うと、店舗の主人らに見回りの挨拶を始めた。相当恐縮しているらしく、ぺこぺこと頭を下げるたびに結んだ髪の端がぷらぷらと揺れている。
(こー見ていると、ほんっとーに全っ然『ゴリラ』とは思えないけど……)
ひとしきり確認を終えたのか、ソフィアは深々と頭を下げ、店を後にしようとする。だがそこに、タイミング悪く質の悪い酔客たちが絡んできた。
(おや。どうするかねェ)
いつもであれば、女性を危険な目に遭わせる気などさらさらないアーシェントだが、ゴリラの力を見るせっかくの好機か、とその場にとどまる。
ソフィアはしばし説諭を試みていたようだが、どうやら押し負けてしまったらしく、酔客たちはソフィアの肩や腰に手を回すと、店の奥に連れて行こうとした。
あまりにあっけない幕切れに、アーシェントははあと頬を掻く。
(あー……そういや、気が弱そうな感じだったわ)
初の女性騎士候補とあって、団長からも注意しておくようにと言われていた。だがやはりこうした荒くれ事は男の仕事だろう。アーシェントは少しだけ落胆したものの、見過ごすわけにもいかず、やれやれと店の方に歩み寄る。
だが直後、店内が盛大な悲鳴が響き渡った。
「いたたたたた‼ わ、分かった! 分かったから‼」
「あ、す、すみません! でもあの、やっぱりちょっと飲み過ぎだと思います」
「うわーー! 勘弁してくれー!」
(……ん?)
アーシェントはちらりと喧騒の様子を窺う。
見れば酔客たちはソフィアによって床に綺麗に組み敷かれており、涙目のまま謝罪を繰り返していた。なかなかの体格差があるというのに、微動だにしないソフィアの姿を見て、アーシェントはそうっと物陰に隠れる。
やがてすっかり酔いの覚めた酔客たちが建物から転がり出てきたかと思うと、先ほどの店主がソフィアに向かって深々と頭を下げていた。
「ありがとうございます! 最近、手癖の悪い奴がいて」
「い、いえ、これからはお酒の量を減らしてくださるそうなので」
また何かあったら、すぐにご連絡ください! と言い残し、ソフィアは再びぺこぺこと低頭しながら立ち去った。その始終を見ていたアーシェントは、思わずひゅうと口笛を吹く。
「意外とやるじゃん」
その後もアーシェントは、尾行を気取られないぎりぎりの距離を保ったまま、彼女を追跡した。市街の見回り――といいつつも、老婦人の荷物を奪ったひったくり犯をものすごい速度で捕まえたり、車輪が外れて壊れた馬車があれば、その積み荷を両腕だけで軽々と運んで行ったり。
最終的には鍵が錆びついてしまったという金庫を、バナナの皮でも剝くような容易さで開けている様子を見て、アーシェントはやれやれと苦笑を滲ませた。
(さっすが、ゴリラだねェ……)
いつの時代でも『騎士団長最有力候補』と称される極上の加護。
国によってはそれだけで、絶大な権力を握ることだって出来る。
見た目はただの華奢な女の子なのに、おそらく並の男では何一つ適わないだろう。
(……でもだからこそ、狩りがいがあるというか)
道行く人々に感謝されるたび、何度も何度も頭を下げてはにかむソフィアを見て、アーシェントは静かに口角を上げた。
やがて再び見回りに戻ったソフィアが、ある店先でしばらく立ち止まっているのを発見し――軽快な足取りで、さも偶然見つけたとばかりに隣に立つ。
「なぁに見てんの?」
「は、え⁉ あ、アードラー隊長⁉」
「今日は休みだからアーシェントでいいよ」
上体を屈めて顔を覗き込む。髪と同じ赤色の瞳が、アーシェントの方をまっすぐに見つめたかと思うと、すぐに緊張を露にした。
「い、いえ! そういうわけには!」
「まあいいけど。で、何見てたわけ?」
「え、ええと、それは……」
ちら、と動いたソフィアの視線を辿ると、そこには『秋の新作ケーキコレクション!』と書かれたポスターがあった。栗や梨、芋などを使った新商品の説明らしく、女性が好みそうな可愛らしいケーキのイラストが描かれている。
「へえ。こういうの好きなんだ」
「あ、いえ、私がというよりは、こうした甘いものが好きな方がいるので……教えてあげたら喜ぶだろうなと」
その瞬間ソフィアの表情がふっと和らいだのを、アーシェントは見逃さなかった。同時に胸の奥にざわりとした気持ちが湧き起こり、どこか試すように彼女に提案する。
「じゃあ――今からオレと行ってみる?」
「へ⁉」
「どうせそろそろ交代でしょ。オレ今暇でさ。その、連れて来たい奴との練習にもなるんじゃない?」
きょとんと目をしばたたかせるソフィアを、アーシェントは獲物を狙うかのように見つめる。いつもであれば一も二もなく首肯され、良ければこのあともう少しだけと乞われる場面――だがアーシェントの予想に反し、ソフィアは両手を体の前に出して断固拒否した。
「も、申し訳ありません! で、出来ません!」
「……どーして?」
「じょ、上官とはいえ、男性と二人ですし、その」
「そんな意識しなくてもいいのに。ただちょっとお茶するだけだよ」
「す、すみません……でも」
「じゃあ、命令って言ったら聞いてくれる?」
「め、命令、ですか⁉ しかしその、やっぱり……」
いよいよソフィアの目がふよふよと泳ぎ始め、心なしかじわりと虹彩が潤んできた。それを見たアーシェントは「ごめんごめん」と朗らかに笑う。
「冗談だって。ほら、早く戻りなよ」
「は、はい。し、失礼します!」
あからさまにぱあっと顔をほころばせたソフィアを見て、なんてわかりやすいとアーシェントは苦笑する。そのまま慌ただしく去ろうとする彼女に向かって「あのさ、」と優しく呼びかけた。
「は、はい」
「さっきの。上官命令じゃなくて……恋人同士だったら聞いてくれた?」
「へ⁉」
突然の質問に、ソフィアは分かりやすく目を見張った。その反応に満足したアーシェントは、立ち止まってわなわなと動揺する彼女を残し「じゃあね~」とひらひら手を振ってその場を後にする。
そうして背を向けたまま歩いていたアーシェントは、はあーと胸元を掴んだ。
(あ~~……なんかめっちゃ空飛びたい……)
何だろう。狩りに失敗した猛禽類も、こんな気持ちなのだろうか。
ア―シェントは自らの胸に残る、初めての感情が何か分からないまま――背中の両翼を広げると力強く大空へと羽ばたいていった。
(了)
アーシェントの日常編でした!
コミックスでも騎士団の面々が、神栖先生の書き下ろし漫画で収録されていますので、気になる方はお手に取っていただけたら嬉しいです(*´▽`*)












