コミックス1巻発売お礼ss:あなたとお揃いの
学術都市・リトロでのアクシデントから一カ月後。
非番のソフィアは、ターユゲテー通りの一角でルイの到着を待っていた。
(うう……緊張する……。おかしくないかな……)
服はこの日のために新しく買った、白と水色の可愛らしいワンピース。
余談ではあるが、これを買いに王都に来たところをカリッサに見つかってしまい、あれそれとアドバイスを聞かされる羽目になった。
(でも見立ててもらえて良かったかも……)
窓ガラスに映る自身の姿を確認し、ちょいちょいと前髪を整える。すると予想していたのと反対の方角からルイが姿を現した。
「すまない、遅くなったな」
「い、いえ! 今来たところですので!」
上官に対する敬礼張りに背筋を正すソフィアを見て、ルイはすぐに苦笑した。
「今は仕事じゃないぞ。楽にしてくれ」
「は、はい……!」
「それじゃ、行こうか」
ルイに先導されて辿り着いたのは、王都でも最高級クラスと名高い宝石店だった。「冷やかしお断り」という圧を発する物々しい門構えを目の当たりにし、ソフィアは思わずルイの袖を掴む。
「せ、先輩? ほ、本当にここなんですか?」
「ああ。騎士団の先輩に紹介してもらった」
「先輩とは……」
「アードラー先輩だが」
キラッキラの笑みを浮かべる射撃隊隊長、アーシェント・アードラーの姿を思い出し、ソフィアはうわああと心の中だけで頭を抱えた。
異性との交際に手慣れ過ぎたあのイケメンであれば、女性向けの贈り物としてこのレベルの店を紹介するのは当然至極だろう。聞いた相手が悪かった。
これだから猛禽類とは気が合わない……と脳内ゴリラ神が憤慨するのをどうどうとなだめつつ、ソフィアは恐る恐るルイと共に入店する。
「お待ちしておりました、スカーレル様」
「今日はよろしくお願いします。さっそくですが、頼んでいたものをいくつか見せていただけますか?」
「かしこまりました」
あらかじめ連絡を入れていたのだろう、ルイの指示に店員はすぐに準備を開始した。
店内には高価なガラス張りのショーケースが立ち並び、顔が映りそうなほど磨き込まれた大理石の床が敷かれている。
居心地悪そうに全身を硬直させているソフィアの前に、店員が紺色の布張りがされたトレイを差し出した。そこには赤に始まりピンク、黄色、透明――とあらゆる色合いの裸石が並んでいる。
「指輪をご希望とのことでしたので、特に良いものをいくつか取り分けておきました。良ければ手に取ってご覧ください」
「ありがとうございます」
ルイはにっこりと微笑むと、そのうちの一つを手に取った。角度を変えながらためつすがめつ眺めたあと、ソフィアにもお伺いを立てる。
「どうだろう? 好きな石はあるだろうか」
「え、ええと……」
促され、恐る恐るトレイを確認する。私を選んでと囁きかけてくるような宝石たちに、ソフィアはおもわず嘆息を漏らした。
(どれも本当に綺麗……)
きらきらと目を輝かせるソフィアの様子に、ルイもまた嬉しそうに目を細めた。
とりあえず近くにあった青色の石を恐る恐る手に取る。硬度が高いのか、ソフィアが多少力を入れても大丈夫そうだ。
(う、いえ、強度を確かめている場合ではなく……)
その後もいくつか遠巻きに眺めつつ、ソフィアはうんうんと唸る。すると決めかねているのを察したのか、ルイがひと際彩度の高い紅色のルースを摘まみ上げた。そのままソフィアの左手を取ると、薬指のあたりにかざして見せる。
「これはどうだ? 君の瞳によく似ていると思うが」
「え⁉ あ、た、確かに」
「それにそこまで『重く』ないだろう」
(……まだ『重い』の意味を勘違いしているみたい……)
しかし確かに宝石は素晴らしく、以前ルイから貰ったネックレスともお揃いに出来そうだ、とソフィアはつい顔をほころばせた。
だがふと視線を落とした先で、他の商品の値札を目撃してしまい――その金額にはっと目を見開く。
(え……こ、こんなにするの……⁉)
ショーケースに並んでいたのは、今見ているものより遥かに小さいイヤリング。
だがその価格はソフィアの想定を遥かに、それはもう遥かに超越しており、全身の汗腺からどっと汗が噴き出した。ちなみに本物のゴリラも汗をかくらしい。
(む、無理……! こんな金額……!)
さらにソフィアはさきほどルイが宝石をかざした部位――左手の薬指に目を向け、一気に青ざめる。そういえば以前、ベッドの中でルイが「予約」という言葉を口にしたことがあった。
あれが意味するものは、もしかしなくても――
(まさかこれ……『婚約指輪』……⁉)
てっきり恋人同士が好むという、色ガラスをはめ込んだ簡素な指輪を作るのだと思っていた。
それでも十分恐縮なのだが、よくよく考えてみればソフィアは卒業式の日、ルイにプロポーズされていたはずだ。
(た、たしかに、指輪にはそうした意味があるけど、でもまだ心の準備が……)
ここアウズ・フムラでは、婚約ないしは結婚した男女が揃いの指輪をすることが多い。
しかしその際、女性の指輪は男性が、男性の指輪は女性が用意をすることがほとんどだ。特に女性は父親や家からの援助で準備をするのだが――御存じの通り、ソフィアの実家はそこまで潤沢な資産を持っているわけではない。
(り、理由を話せば……いえでも、こんな負担をかけるわけには……!)
目を泳がせるソフィアをよそに、ルイは再度その宝石を確かめると、店員に「ではこれを」と渡してしまった。このままではまずい、とソフィアは慌てて制止をかける。
「せ、先輩、あの、さ、さすがにちょっと高級すぎるといいますか……」
「言っただろう、誕生日の贈り物だと。俺が払うから気にしなくていい」
「で、ですが……!」
まっすぐなルイの視線に、ソフィアはぐっと言葉を呑み込みかける。だが内なるゴリラの神が「それは違う」と首を振っているような気がした。
(そうだ……ちゃんと言わないと)
ゴリラの加護を得るまでは、黙っている方が波風立たないと、嫌なことも困ったことにも耐え抜くばかりだった。
だがルイはそんなソフィアをきちんと受け止め、真摯に自身の気持ちを伝えてくれる。そんな彼にきちんと答えたい。
(私の気持ちを――)
ソフィアはふうーと息を吐き出すと、しっかりとルイの方に向き直った。
「あの、先輩のお気持ちはすごく嬉しいです。だからこそ――私もきちんと準備したいんです」
「……ソフィア?」
「まだ父にもきちんと話をしていないですし、出来ることならその、先輩の好意に甘えるのではなく――私が自分で働いて得たお金で用意したいんです」
もちろん従騎士の給料では、とてもではないが手が出ない。だがこれから一生懸命貯金して、いつか自分のお金でルイに指輪を準備したい――とソフィアは自らの本心を打ち明けた。
「なのでその、お気持ちはとても嬉しいのですが……もう少しだけ待っていただけると……」
すべてを伝えたソフィアは、こくりと静かに息を呑んだ。ルイはしばし押し黙ったまま、じっとこちらを見つめている。だがすぐに目尻に皺を刻むと、持っていた宝石をトレイに戻した。
「分かった。じゃあ君の準備が出来るまで、ちょっとお預けだな」
「ル、ルイ先輩……!」
せっかくの贈り物を断る形になってしまい、怒るのではないかとソフィアは少しだけ不安だった。だがそれはただの杞憂だったようだ。
「す、すみません先輩、私のわがままで……」
「いや、俺の方こそ一方的になってすまない。指輪はまた今度――君が欲しいと思った時に改めて買いに来よう」
「は、はい!」
申し訳ない気持ちと、本音を受け止めてもらえた嬉しさで、ソフィアの胸の奥がほわりと暖かくなる。そんな和やかな雰囲気に、非常に恐縮した店員の声が割り込んできた。
「も、申し訳ございません、スカーレル様。本日はその……婚約指輪のご相談だったのですね⁉」
言われた意味が一瞬理解できず、ソフィアははてと首を傾げる。
ひどく委縮した様子で頭を下げる店員に、ルイはいつもの爽やかな笑顔を浮かべた。
「いえ、気にしないでください」
「……?」
何やら途方もない勘違いをしている――とソフィアが気づいたのは、それからすぐのことだった。
「す、すみません、ルイ先輩‼ わ、私、勝手な思い違いを……!」
「俺の方こそ、色々と誤解をさせる言い方をして悪かった。きちんと説明しておけば良かったな」
相変わらず謙虚に微笑むルイを見て、ソフィアはうわああと脳内で涙を流す。
(あああ私の馬鹿! 先輩はただ本当に……『アクセサリーとしての指輪』を作るつもりだっただけなのに……!)
先ほどの店員との噛み合わない会話が気になって、ソフィアは恐る恐る尋ねてみた。そこでようやく『婚約指輪ではなく、普通の指輪を買うつもりだった』というルイの意向を告白されたのだ。
(よく考えてみれば! 当たり前ですよね‼)
あの日ベッドで囁かれた言葉を意識しすぎて、『婚約指輪かもしれない』と早合点した自分が恥ずかしすぎる。そのうえお断りまで――もう情けないどころか、穴があったら入りたい。ジャングルがあったら帰りたい。
赤面を通り越し、もはや土気色の顔色になったソフィアに向けて、ルイが嬉しそうにはにかんだ。
「だがその……俺はちょっと、嬉しかったな」
「え?」
「君が、俺との結婚を前向きに考えてくれているのだと分かって……その、俺の一方的な希望だけで進めているのではないかと、少し不安になっていたから」
いつの間にか太陽は随分と傾いており、ルイの頬に暖かい夕日が差し込む。ソフィアはその姿を見つめながら、胸の奥が締め付けられるようだった。
(ルイ先輩……)
「もちろん、急かすつもりはない。君はこれから大切な時期だし、俺もじきに正騎士としての部署異動が発表されるだろう」
だから、とルイが振り返って笑う。
「君の気持ちが変わらず、これからも俺と共にいたいと思ってくれるなら――その時に改めて『婚約指輪』を買いにこよう」
「……はい!」
目の前にルイの手が差し出され、ソフィアは力加減を確認しながらそうっと握り返した。石畳に二人分の影が長く伸びていき、ソフィアは心が浮き立つのが分かる。
やがて前を歩いていたルイが、そういえばと呟いた。
「本当に良かったのか、プレゼントはそれで」
「も、もちろんです!」
その言葉に、ソフィアは鞄の中に入っている剣飾りを思い出した。
結局指輪は断ってしまったが、事情を察した店員が「でしたらこちらはいかがでしょう」と剣の柄に結び付ける装飾品をおすすめしてくれたのだ。ソフィアが女性ながら騎士団にいる、と話したせいもあるだろう。
市場では規格外となってしまう屑石で作られているらしく、指輪の代わりにとルイが買ってくれたのである。
「君が喜ぶなら何でもいいが……。まさか君からも贈ってもらえるなんてな」
「い、いえ! 私があげたかったので!」
そう言うとルイは、繋いでいるのとは反対の手に握られていた剣飾りをかざして見せる。ソフィアがプレゼントされたものとそっくり同じ――ただし付いている宝石はルイの瞳と同じ深緑色だ。
指輪はまだまだ先の話だが、剣の飾りくらいは――というソフィアの気持ちは彼にも伝わっていたらしく、ルイは嬉しそうに目を細めた。
「お揃いだな」
「は、はい……!」
思っていたことが見透かされたようで、ソフィアはいっそう頬を赤らめる。そんなソフィアを見ながら、ルイは繋いでいた手に少しだけ力を込めたのだった。
(了)
コミックス発売記念ssでした!
明日はアーシェントの日常に迫ります。












