第四章 6(完)
幅広のベッドの上で、二人は向き合うようにして横たわっていた。
ソフィアは固く目を閉じたまま、微動だにしない。
「……」
「……」
片方の手は互いの中間点で繋がれたまま。どのくらいそうしていただろうか、言い出したはずのソフィアがついに限界を迎えてしまう。
(うう、寝れる気がしない……)
ソフィアの勇気を振り絞ったお願いに、ルイは嫌な顔一つせずに応えてくれた。本当に手を握り合っているだけで、それ以上距離を詰めることも、抱き寄せることもしない。
最大限の度胸でここまでしか出来ない己の情けなさに、消えてなくなりたいような気持ちになりつつ、ソフィアはいっそう瞼に力を込めた。
すると繋いでいたルイの指が、突然する、と手の甲を滑る。
(……‼)
「――ソフィア」
名前を呼ばれ、恐る恐る目を開ける。
どうやら狸寝入りがばれていたらしく、ルイは目が合った途端無邪気に微笑んだ。だが特段怒っているわけではないようだ――と安堵したのもつかの間、ルイはソフィアの指の股を遊ぶように撫でている。
「せ、先輩、あの」
「約束通り、手を繋いでいるだけだ」
「で、ですが」
真っ赤になるソフィアを、ルイはふふと余裕めいた笑みでからかった。ルイの長い指に翻弄されたソフィアの手は、しばらくあわあわと奇妙な動きをしていたが、やがて互いの指を一本ずつ組み合わせるような密着した繋ぎ方に落ちつく。
手のひらに触れる包帯の感触に、ソフィアはおずおずと尋ねた。
「あ、あの、痛くないですか?」
「うん? ……ああ、大丈夫だ」
証明するように、ルイはぎゅっとソフィアの手を握り込む。その力強さと温かさに、ソフィアはわずかに下唇を噛みしめた。
「……あの時は、本当にありがとうございました」
「……」
「私のせいで……こんな傷を」
「気にするな。この程度で君を守れたのだから、安いものだ」
どことなく甘い口調で笑うルイに、ソフィアはこくりと息を吞んだ。繋いでいる部分がなんだかぞわぞわして、でもこのままずっとルイに触れていたくて。
(……好きです。先輩)
この気持ちを何とか伝えたくて、ソフィアは細心の注意を払いながら、そうっと繋いでいる手に力を込めた。ガサガサとした包帯の向こう側に、確かにルイの肌があって、その事実にあらためて恥ずかしさが込み上げてくる。
やがてルイが、何かを思い出したかのように呟いた。
「そう言えば……ネックレスは、もう外してしまったのか?」
「あ、は、はい。傷つけてしまうと嫌なので」
「……普段も着けていない気がする」
「そ、その、壊したり無くしたりすると困ると、思って……」
ソフィアの返事を聞いたルイは、わずかに口をへの字にした。初めて見る表情にソフィアが驚いていると、ルイは至極真面目な顔つきで独り言のように口を開く。
「やはり、いつも身に着けられる物の方がいいか……となると、やはり指輪か」
「ル、ルイ先輩?」
「見た目にも分かりやすいし……考えてみれば、君が最初から指輪をしていれば、クライヴ殿下も諦めてくれたんじゃないか?」
「でも私、指輪は持っていなくて――」
「それは好都合だ」
すると組んでいた指を解き、ルイは再びソフィアの手を引き寄せた。
上体を起こしてベッドに肘をついたかと思うと、そのまま口を軽く開き――ソフィアの薬指の根元に甘く噛みつく。湿り気を含んだ咥内の感触や、薄い唇の柔らかさがダイレクトに伝わってきて、ソフィアはたまらずひゃああと頬に朱を走らせた。
「ル、ル、ルイ先輩⁉ あ、あの、これはなにを」
「予約だ。ここに嵌める指輪を、今度買いに行こう」
「よ、予約って、でもあの」
「誕生日のプレゼントを何にしようかずっと迷っていたが、ようやく決まった。まずは君が好きな宝石からだな」
「プ、プレゼントって、以前洋服もいただいたのに、これ以上は」
「俺が君に贈りたいんだ。それに以前先輩方が心配したような、重いものは選ばない」
(先輩、だからそれは、違う意味の『重い』です!)
好きなものをかじるのは、はたしてリスの習性なのだろうか。
にっこりと微笑むルイを前に、ソフィアは言葉を失ったまま、頭から湯気を上らせることしか出来なかった。
そして翌日。
無事に復旧していた王都行きのバスに乗って、ソフィアとルイは帰宅した。やはりほとんど眠れなかったため、ソフィアはバスに乗っている間中、完全に熟睡。
珍しいことにルイもうとうとと船を漕いでおり、二人は肩を寄せ合うようにして無事王都にたどり着いたのだった。
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それから一か月後、ソフィアのもとにクライヴから手紙が届いた。どうやらリーンハルトの流行り病は収束したらしく、今は王太子選に向けて最後の追い込み中なのだという。
エヴァンは相当のスパルタらしく、やれ稽古だ修行だと振り回され、女性とお茶を飲む時間もないと嘆く姿が目に浮かぶようだった。
今は少しずつ『ラーテルの加護』を使う時間を増やしているのだという。最初のうちは何度も暴走し、そのたびに騎士団連中から取り押さえられた。
だが最近ではある程度精神を維持出来るようになり、加護に吞まれる頻度も減ったらしい。
『――わたしはまだ、自分が王にふさわしいとは思っていない。それでも、すこしでも兄上の気持ちに応えられるなら、やれる限りは頑張ろうと思う』
(クライヴ殿下……)
手紙の最後には、ぜひ一度リーンハルトに遊びに来てほしい。ただしルイはいらない、と締めくくられており、ソフィアは思わず苦笑した。
(リーンハルト……今度のお休みにでも行ってみようかな)
その時は申し訳ないがルイも一緒に。それからリーフェとの約束どおり、エディも。となるとアイザックも行きたいと言うだろうし……と考えながら、ソフィアは丁寧に便箋を封筒にしまい込んだ。
まもなくアウズ・フムラに冬が来る。
雪が解けて春になったら――またみんなで、会いに行こう。
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ある年、リーンハルトに新しい王が誕生した。
普段は非常に温和で、臣下や使用人にも優しいと評判の王様だったが、いざ戦いの時になると誰よりも先頭に立って戦う勇壮さを秘めていたそうだ。
彼は戴冠と同時に、一つの王命を出した。
それはリーンハルト国内における奴隷制度の撤廃――売買の禁止、商人の摘発、差別的取り扱いの改善を要求するもので、一時は国をおおいに騒がせたらしい。
だがどれほどの反論があろうとも、王は決して諦めることはしなかった。また王の側近として仕えていた元・奴隷が非常に優秀だったこともあり、民意は次第と奴隷に対する考え方をあらためていったのだという。
それはやがてリーンハルト全土に広がり、かの王国は優秀な王や側近、そして堅物な騎士団長のもと、末長く繁栄を続けたのであった。
そんな名君だったが、ただ一つだけ周囲を困らせていることがあったそうだ。なんと即位してからしばらくは、ひたすら縁談を断り続けていたのである。
王はとても整った風貌をしていたため、隣国の王女や公爵家の令嬢など、良い話はそれこそ山のように押し寄せた。だが王はそれらにすべて遠慮がちに断るだけで、誰か一人を選ぶことはしなかったのだという。
街の噂では「どうしても忘れられない人がいるのでは?」と囁かれていたが、その真意は未だ謎のままであった。
そんな王様はきっと今日も、不愛想な親友とともに、ウサギ耳の騎士団長が持ってくる見合い話から逃げ続けていることだろう。
それはもう少しだけ、未来のお話。
(了)
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