第四章 5
その直後、ソフィアは脳内で「しまったーー!」と頭を抱えた。
(い、言い方ーー! この言い回しって、その、なんか、多分色々違う!)
ソフィアが想像していた以上に、このベッドは広かった。だから単純に、二人で一緒に使っても大丈夫なのでは、という意味で提案をしたかったのだ。だがどこをどう聞いても、そういうことを期待しているようにしか思えない。
「ち、ち、違うんです‼ このベッド、寝てみたらすごく大きくて、二人で使っても窮屈じゃないかなと思っただけで、二人で使いませんかっていう意味で、それで」
「わ、分かったから、とりあえず落ち着け」
がばりと身を起こし、身振り手振りで言い訳するソフィアを見て、ルイもまた慌てて起き上がった。位置は遠く離れたまま、座った状態で二人は向かい合う。
「俺なら本当に大丈夫だ。君こそ疲れただろう、ゆっくり休んでくれ」
「で、でも、先輩、ソファに収まってないですし、明日のことを考えたら、先輩もちゃんと体を休めるべきだと思います!」
「しかし……」
「わ、私なら、本当に、き、気にしないので……」
絞り出すように紡いだソフィアの言葉に、ルイはしばし口をつぐんでいた。だがこちらに聞こえるかどうかという小さな声で「それはそれで傷つくんだが……」と零す。
よく聞こえなかったソフィアが「先輩?」と尋ねると、ルイはすぐに苦笑した。
「何でもない。…‥本当にいいのか?」
「は、はい!」
するとルイはゆっくりソファから立ち上がった。徐々に接近してくる人影に追われるようにベッドの端に身を寄せたソフィアは、反対側を向いて慌てて丸くなる。空けていた場所がぎしりと軋み、ソフィアの背中ごしにルイの体温が近づいた。
「すまない。……そちらにはいかないようにするから、安心してくれ」
「は、はい……」
おやすみ、というルイの短い挨拶のあと、室内は再び沈黙に包まれた。ソフィアは背を向けたままじっと目を瞑る――が、当然眠れるわけがない。
(うう、私の馬鹿……)
だがこれでルイがゆっくり休めるのであれば、と懸命に頭の中を無にする。だが心臓は高まるばかりで、睡魔が訪れる気配はまったくない。
もう今夜は一睡できないかもしれない……とソフィアが半ば諦めの境地に達した頃、背後から密やかなルイの声が聞こえてきた。
「ソフィア? ……もう眠ってしまったか」
「す、すみません、まだ、起きてます……。なんだかその、眠れなくて……」
「そうか……。実は俺もだ」
え、とソフィアは思わず振り返った。ルイは相変わらず背を向けたままだが、その声にはどこか苦笑が滲んでいる。
「情けない話なんだが、やはりその……意識してしまって」
「先輩……」
「怖がらせるつもりはない。ないんだが……その、……どうしたらいいか、自分でもよく分からなくてな」
そろそろと顔を戻したソフィアは、照れた顔を隠すように上掛けを手繰り寄せた。どくどくと音を立てる胸の中心に自身の手の平を押しつける。
緊張している。どうしようもなく意識している。
でもそれはきっと、ルイも同じなのだ。
(私……先輩の優しさに甘えてばかりで……)
初めてルイの家で過ごした夜。ソフィアは恐怖で一度彼を拒絶してしまった。もし今ソフィアが同じことをされたら――きっとものすごく傷つくだろう。
でもルイはそんなソフィアを許してくれた。怖がらせてごめんと、じっくり考える時間をくれた。それに気づいた途端、ソフィアの心臓がひときわ大きく音を立てる。
ソフィアは改めて寝返りをうつ。
目の前には、ルイの逞しくてしっかりとした背中。穏やかに呼吸するそれがどうしようもなく愛しく見えて――気づけばソフィアは、ルイの背中にぎゅっと抱きついていた。
「……ソフィア?」
「……」
そのままぐいと顔を押し付ける。
予想よりも固い背中の感触に、ソフィアの鼓動はいやおうなしに高まった。ルイはしばらくそのままの体勢を維持していたが、やがてはあとため息を零す。
「ソフィア」
「……」
何も答えないソフィアに対し、ルイはうーむと眉を寄せていた。
しばらくして、ルイの胴体に回していたソフィアの手に、包帯に包まれた彼の手がそっと重なる。そのまま、優しく引き剥がされてしまった。
あ、とソフィアが顔を上げると――そのまま手首を掴まれ、くるり、とルイが体の向きを変えた。
「――ッ⁉」
向き合う形になってしまい、ソフィアは羞恥から離れようとする。だがルイはソフィアの手首をがっちりと掴んでおり、どこか不敵に微笑んだままだ。すぐそばに枕に寝転ぶルイの端正な顔が迫り、ソフィアは一気に赤面する。
「あ、あの、す、すみません、私」
「どうして謝る?」
「と、突然抱きついたりして、その」
「ああ、そうだな」
そう言うとルイは、掴んでいた手をするりと滑らせると、ソフィアの指先までを手のひらで包み込んだ。そのまま手繰り寄せたかと思うと、半端に開いたソフィアの手のひらにちゅうと口づける。
「ああ、あ、あの」
「人がせっかく我慢しているのに、君はずるい」
「が、我慢って、やっぱり、その」
はくはくと口を開閉させるソフィアの様子に、ルイはふっと目を細めた。長い睫毛。目じりによる皺。手のひらに触れたのと同じ温度の吐息。
その全てがソフィアの目の前にある。
「おおかた、俺に申し訳ないと思ったんだろう?」
「……は、はい……」
「あまり俺をみくびるな。一度言ったことを違える気はない」
「で、でも」
あのな、とルイがいたずらっぽく微笑む。
「震えながら抱きついてきた相手にどうこうしようなんて、さすがに胸が痛む」
「ふ、震え……?」
そこでようやくソフィアは、自分が緊張でがちがちになっていたことに気づいた。おそらくルイの背中越しにも、この動揺が伝わっていたのだろう。情けなさと恥ずかしさで一気に顔が熱くなり、ソフィアはたまらず顔を隠す。
だがルイはそんなソフィアの片手を握りしめたまま、軽く力を込めた。
「そんなに無理しなくていい」
「で、でも」
「ソフィアが大丈夫と思うまで、俺はいつまででも待つから」
上掛けの隙間から、恐る恐る顔を覗かせる。ルイの深緑の瞳は暗闇の中でも変わらず綺麗で、ソフィアはしばらく押し黙った後、こくりとおとなしくうなずいた。
それを見て、ルイもよしと笑みを返す。
「少しは落ち着いたか? そろそろ寝よう」
「は、はい……」
ルイは繋いでいた手を離すと、毛布に埋もれていたソフィアの頭を優しく撫でた。そのままくるりと背を向けようとする。
だがその直後、ソフィアはルイの腕を掴んだ。
「……ソフィア?」
「あ、あの、先輩の言う通り、また全然、覚悟とか、出来ていないんですけれど……」
喉元に下りて来た怯えを、こくりと呑み込む。
ゴリラの神様、私にもう少しだけ勇気をください。
「い、いつか、大丈夫になりたいから――その、今夜は……て、手を、握って寝ても、いいですか……?」












