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第四章 3



 やがてレストランを出た二人は、バス停に向かって歩いていた。空には星がいくつも瞬いており、ソフィアは随分遅くなってしまったと驚く。

 暖房の効いたレストランだったためか、すぐに冷たい夜風がソフィアの背を撫でた。思わずぶるりと肩を震わせていると、肩にとさりとジャケットがかけられる。


「せ、先輩⁉」

「寒いだろう? 俺ので申し訳ないが、風邪をひくよりはいいかと思ってな」

「だ、大丈夫です! ルイ先輩の方こそ」

「加護のせいか、比較的寒さには強い。気にするな」


 そう言うとルイはにっこりと笑うと、ごく自然にソフィアに手を差し伸べた。恐る恐るその手を取ると、ルイはしっかりとソフィアの手を包み込む。


「さすがに夜は冷えるな」

「そ、そうですね」


 たどたどしく答えながらも、意識はつい繋がれている手に集中してしまう。包帯越しのルイの手のひらは暖かく、先ほど感じた寒さが一気に吹き飛んでしまうかのようだった。


(うう、嬉しいけど、恥ずかしい……)


 気のせいか、頬がじんわりと熱い気がする。大通りにはまだ多くの人出があり、ソフィアは彼らからどう見られているのだろうか、と懸命に足を進めた。王都でなくて本当によかったとソフィアが安堵していると、ようやく目指していたバス停が見えてくる。

 だがそこに留まる人の多さに、二人はあれと足を止めた。


「すみません。何かあったんですか?」

「どうも、バスのエンジンが故障したらしくてね。代わりもないし、今日はもう王都行きは出ないらしい」

「ええっ⁉」


 どうやらこの混雑は、帰りの足を失って困惑していた人々のようだ。ルイはお礼を言うと、どうしたものかと首を傾げた。


「まいったな。ここには鉄道は通っていないし……」

「あ、あの、私多分走れると思うので、大丈夫かと」

「だめだ、何キロあると思ってる。それにいくらゴリラの加護があるとはいえ、こんな夜中に危険すぎるだろう」

「う、で、ですが……」


 だがこのまま立ち尽くしていても、何が解決するわけでもない。

 どうしたものか、と帰る方法を考えていた二人だったが、さらに運悪く鼻先にぱた、と小さな水滴が落ちてきた。それは次第に足音を増していき、ソフィアは「雨だ!」と飛び上がる。


「ど、どうしましょう⁉ このままでは……」

「――仕方ない」


 ルイはソフィアの手を握ったまま、すぐさま来た道を戻った。もしやあのレストランで雨宿りさせてもらうのだろうか、と胸を撫でおろしたソフィアの期待とは裏腹に、ルイは店を通り越すと、そのまま大通りを速足で通り過ぎる。


(え? ど、どこにいくの?)


 びしょぬれになりながら、二人はルイの先導の下、足早にどこかへと向かっていた。雨脚はさらに激しくなっていき、前を歩くルイのシャツは濡れて色濃く変色している。

 やがてルイが足を止めたところで、ソフィアもつんのめるようにしてとどまった。目の前の建物を見た途端、一瞬で思考のすべてが吹き飛んでしまう。


(こ、ここ、もしかして……)


 そこは観光客や旅行客らが滞在するための、きらびやかな宿泊施設だった。



(ど、ど、どど、どど……)


 ドラミングの音ではない。


(どうしようーー⁉)


 暖かいシャワーを頭から浴びながら、ソフィアは心の中で絶叫していた。立ち上る湯気の中、たまらず両手で頭を抱える。


(いや、悩んでいる時間はないんだけど! 早く出ないとルイ先輩も風邪をひいてしまうし、でも、ええ⁉ ふ、普通に出て良いの⁉)


 分からないー! と声にならない悲鳴を上げながら、ソフィアは素早く体と髪を洗っていく。こんな時カリッサやアレーネだったら、余裕を持った応対が出来るのだろうか、と情けなくなりながらソフィアは瞑目した。



 ――この雨の中、移動し続けるのは危険。

 一晩ここに泊まって、翌朝バスの修理が終わるのを待つか、それが叶わない場合は馬車で移動しよう――というのがルイの提案だった。


「驚かせてすまない。だがあのままでいるよりは良いかと思って」

「は、はい! そ、そうですよね!」


 幸い、与えられた休暇はあと二日残っている。ディーレンタウンも休みなため、無理をして今日中に王都に帰る必要はない。


(で、でも、ルイ先輩と、泊まりだなんて……)


 するとそんなソフィアの動揺が手に取るようにわかったのか、ルイは眉尻を下げると困ったように笑った。


「心配するな。ちゃんと二部屋とるから」

「え?」

「言っただろう? 俺たちのペースでいけばいいと」

(せ、先輩……)


 かつてルイから言われた言葉を思い出し、ソフィアはたまらず唇を噛みしめた。ふがいない自分への落胆と、ルイの優しさがじんわりと混ざり合う。ルイもそんなソフィアの姿に安堵したのか、ようやくフロントへと向かった。

 だがフロントクラークの困惑した顔に、ソフィアはなんだか嫌な予感を察知する。


「――大変申し訳ございません。本日、宿泊希望のお客様が大変多く……」

(う、嘘ぉ……)


 もしかしなくてもバスのせいだろう。どうやら同じような考えに行きついた人は多かったらしく、ソフィアたちは一歩出遅れてしまったようだ。


「あいにく、あと一部屋しかご用意出来ません」

「……仕方ない、君はここに泊まってくれ。俺はまた別の宿を探す」

「え、で、でも」


 譲ってくれるというルイを前に、ソフィアはえっと瞬いた。


(他で探すって言っても……きっとどこも似たような状態なんじゃ……)


 今からまたルイだけを豪雨の中に放り出し、あてもなく客室を探させるというのか。とんでもない、とソフィアは大慌てで首を振った。


「わ、私なら、大丈夫です! だから、ルイ先輩もここに泊まりませんか?」

「……いいのか?」

「は、はい! この雨の中、また出歩くのも大変ですし……」

「……」


 ソフィアの提案に、ルイはしばし逡巡しているようだった。だがすぐに振り返ると「すみません」と部屋の手配を進めてもらう。それを見てソフィアはほうと息をついた。


(ひ、一部屋って言っても、同じベッドに寝るわけじゃないし……。い、一緒の部屋で寝るだけなら、なんとか……)


 だがソフィアの予想は見事に裏切られ――正確にはきちんと確認しなかったのが悪いのだが――二人が通された部屋は、ベッドが一つしかない部屋だった。


「……」

「本来はおひとり様用のお部屋なので、ご不便をおかけして申し訳ございません。毛布と部屋着はこちらに置いておきますので、ご自由にお使いください」

「はい。ありがとうございます」


 爽やかに応じたルイに頭を下げ、ベルマンはバタンと扉を閉める。その間ソフィアは、扉の傍で呆然と立ち尽くしていた。

 室内は、高級感のある外観に負けず劣らず、実に洗練された装飾が施されていた。フルール・ド・リスの壁紙や猫足のソファセット。鏡台の前には小瓶に入った薔薇水や香水が置かれており、それらは等しく暖かなガス灯の光に照らされている。

 だが何度見ても、ベッドは一つしかない。


(一人用……そうか、こういう部屋もあるのね……)


 実はソフィアが知る宿とは、避暑地や観光地に用意された家族向けのものだった。

 そうした施設は一室が広く、家族がまとめて泊まれるようになっているところがほとんどで、もちろん夫婦が寝るための寝台のほか、子どもたち用のベッドも別に用意されている。


 だがここリトロは学術都市という特徴のためか、単身での旅行者や研究者が多い。そのため一人用、二人用という部屋がほとんどで、ソフィアの想像していたような大人数用の空間ではなかったのだ。

 呆然と立ち尽くすソフィアの前に、ルイが部屋着を差し出した。


「とりあえず先にシャワーを。そのままでは風邪をひくぞ」

「あ、は、はい! し、失礼します……」


 そうして逃げるようにシャワー室に駆け込んだまま――現在に至る。




 

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