第四章 2
「満足いただけたようで何よりだ」
「は、はい! す、すみません、こんなに素敵なお店……」
「デートだと言っただろう? それに、この間頑張った分のご褒美だ」
「この間……」
その言葉に、ソフィアは静かにクライヴ殿下のことを思い出した。
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ジルの逮捕から数日後、アシュヴィンは無事に従者へと復帰した。エヴァンの応急処置が功を奏したらしく、幸い大事には至らなかったらしい。
ちなみにそれとなく、エヴァンと話していた日のことを尋ねてみると「騎士団に勧誘されていた」とのことだった。強い人間がとにかく大好きなエヴァンは、カンガルーの加護者であるアシュヴィンに目をつけていたらしく、たびたび声をかけられていたらしい。
たしかに言われてみれば、クライヴを裏切れという内容のことは口にしていなかったような気もする。
(なんてややこしい……)
またソフィアが見つけ守り抜いた証拠と、今回の事件の証言もあり、ジルはリーンハルトに送還されると同時に起訴、王太子候補からも外されるそうだ。
ロバートの遺志も、これでようやく報われることだろう。
やがてクライヴは、再び母国へと戻ることになった。
隣にはすでに教育係として居丈高なエヴァンがおり、クライヴが苦笑しながらソフィアに片手を差し出す。
「君たちには本当に世話になった。……ありがとう」
「こちらこそ、殿下がご無事で良かったです。どうぞ、帰りもお気をつけて」
「ああ。今度は爆破されないといいね」
軽口を叩くクライヴと、ソフィアは笑いながら握手を交わした。
するとクライヴがそのまま、ぐいとソフィアの手を引っ張る。ゴリラの力を発揮する間もなくソフィアがバランスを崩すと、その耳元でクライヴがぼそりと呟いた。
「あいつに飽きたら、いつでもリーンハルトにおいで」
「で、殿下?」
「それまで席を空けて――おっと」
するとしっかりと掴まれていたクライヴの手が、突然びきりと不自然に浮き上がった。視線をずらすと、クライヴの手首を掴むルイの姿があり、やがてソフィアの手から丁寧に引き剥がす。
「殿下? 姑息な真似はおやめください」
「前から思っていたけど君が口にする殿下には敬意が足りないたたたた」
「あの時の握手は、これよりずっと痛かったですけどね?」
(ルイ先輩……根に持ってる……)
そのままクライヴの手を取ると、ルイはしっかりと握り込む。
クライヴは逃げ出すことも出来ず、ぎこちない笑みを張り付けたまま、男同士の固い握手を交わしたのであった。
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最後の別れの場面を思い出し、ソフィアはおもわず苦笑した。
「本当に、色々ありましたね」
「ああ。……まさか君が、クライヴ殿下からプロポーズされていたとは」
(ひ、ひいー!)
ピンポイントの指摘に、ソフィアは手にしていたグラスの脚を折りそうになってしまった。
事件後しばらくして、ソフィアはどうやってロバートの隠された遺品に気づいたのか、という話題になった。言うべきか言わざるべきか逡巡するソフィアをよそに、クライヴが実に誇らしげにプロポーズのくだりを含めて話してしまったのだ。
アイザックは今まで見たことがないほど目を見開いて放心し、エディは呆れたようにじと目でソフィアを睨んでいた。それだけならまだ良かったのだが――タイミング悪くルイの耳にもその話が入ってしまい、ソフィアはぎゃーと背筋を凍らせたのだ。
その時はすぐに任務が入って流れてしまったが……どうやら、ルイの中ではまだ終わっていない話題だったらしい。
「あ、あのですね。殿下のプロポーズはその、私ではなく、おそらく私のゴリラの力が必要だっただけというかですね」
「そうか? クライヴ殿下は、他の誰でもなく君だからと言っていたが」
「い、言っていた、とは」
「殿下と二人で話すことがあってな。その時に尋ねた」
(ひ、ひいいー!)
静かにグラスを傾けるルイを前に、ソフィアは逃げ出したいほどの動揺に襲われていた。もちろんちゃんと断ったのだから、ソフィアが引け目を感じることはない。
が、感情が理屈ではないのも分かる。
「す、すみません……でもあの、きちんとお断りしました。だから……」
「……」
返事をしないルイの様子に、ソフィアはしゅんと肩を落とした。
やはり『ルイ以外好きにはならない』と宣言しながら、他の男性から言い寄られる形になってしまったのは、自身の不徳の致すところである。余計な不安をさせてしまった……とソフィアはたまらずうつむいた。
するとテーブルの奥から、ルイの堪えきれない笑いが零れる。
「す、すまない……そんなに落ち込まないでくれ」
「ル、ルイ先輩?」
「いや、悪いのは俺だな。……意地悪な聞き方をしてすまなかった」
「お、怒って、ないんですか?」
「どうして怒るんだ? 君はちゃんと俺のために断ってくれた。それだけで俺は、十分すぎるほど嬉しかったが」
ソフィアがそろそろと顔を上げると、いつもの優しい笑顔のルイと目が合った。その瞬間、緊張の糸が一気に切れたような気がして、ソフィアは思わず脱力する。
やがて目の前に、新しい皿が運ばれて来た。
もうコースは終わったはずでは――とソフィアは首を傾げながら料理に目を向ける。その正体を見た途端、驚きに目を見開いた。
「こ、これは……」
深い瑠璃色と金のラインで装飾された幅広のリム皿。その中央に、真っ白なショートケーキが輝いていた。
スポンジとクリームが層をなし、その合間には熟した苺が挟まれている。上には艶々と光を弾く一際大きな苺が乗っており、繊細な蝶の形をしたチョコレートの飾りが添えられていた。
言葉を失うソフィアに向けて、皿を掲げた給仕係が微笑みかける。
「――お誕生日、おめでとうございます」
「――!」
予想だにしない言葉に、ソフィアは慌てて正面に目を向けた。するとテーブルの向こう側で、ルイがしてやったりと笑みを浮かべている。
「ル、ルイ先輩、これ……」
「本当は当日に祝いたかったんだが、それどころじゃなかったからな」
「お、覚えていてくれたんですか?」
たしかに数日前、ソフィアは誕生日を迎えていた。
去年はその日を境に儀式――ゴリラの加護が発現してしまい、流されるままに騎士団に所属させられた――ある意味思い出深い日でもある。
だがそれ以前のソフィアは、誕生日というものをまったく特別視していなかった。良家のご令嬢であれば、友人たちを招き盛大にパーティーを開くものなのだろうが、ソフィアの実家は田舎の辺境地。そうした意識は非常に薄い。
ましてや招きたい友人もいないと、ソフィアは誕生日の日もずっと普段と変わらぬ日々を送っていた。両親からは毎年、手紙と小さなプレゼントが送られてきていたので、それにお礼の手紙を書いていたくらいか。
ルイに教えたのだって、確か勉強を習った日の雑談として、さらりと口にしただけのはずだ。ソフィア自身、今この時まで忘れていた。
(私の、誕生日……)
自覚した途端、急激に嬉しさがこみあげてきて、ソフィアは耳まで赤く染め上げた。誕生日なんて、ただひとつ年をとるだけの日だと思っていたのに。特別な人からお祝いされることが、こんなにも幸せだったなんて。
「あ、あの、ありがとうございます!」
「喜んでもらえてよかった。来年は、ちゃんとその日にお祝いしよう」
「……はい!」
来年。一年後。
季節が巡って、新しい秋が来るまで。
その時まで、ルイとこうして一緒にいてもいい――いられるということ。
(私も、先輩の誕生日には何かお祝いしよう……!)
ルイといると、大切な未来の約束が次々と増えていく。
その初めての楽しさを胸に、ソフィアは心の底から感謝した。












