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第一章 8



(ど、どうしよう、ゴリラってばれた……)


 こんな乱暴な力を持っているなんて、きっと嫌な思いをさせるに違いない、とソフィアはエディの視線から逃れるようにうつむいた。

 だが意外なことに、腹の底から悔しがるエディの声が続く。


「くそ、どうして僕じゃなかったんだ……!」

「……へ?」

「へ、じゃない! お前、『ゴリラの神』の加護がどれだけ希少で素晴らしいものなのか、分かってないのか⁉」

「そ、それは……」


 するとソフィアの気持ちを代弁するかのように、アイザックが首を傾げた。


「おれも知らないや。何その『ゴリラの神』って」

「お前もか! ……まあいい、確かにほとんど確認されない希少種だからな……」


 するとエディは、まるで頭の中で辞書を紐解いているかのようにつらつらと語り始めた――ゴリラの時速は四十キロに達すること。腕力は人の七倍、握力に至っては十倍の五百キロを超すことなどを、ソフィアはその場で知らされる。


「そして何より、ゴリラの加護者は圧倒的に数が少ない。その優れた肉体能力はこの世界に二つしかない『戦闘系最強クラスの加護』のひとつだと言われているんだ!」

「は、はあ……」

「それなのに! どうしてお前は! あんなヘラヘラと! 少しは威張れよ!」


 今にも地に伏せて泣き出しそうな勢いのエディを前に、ソフィアは改めて戸惑いを覚えていた。

 冷たく近寄りがたい印象のあったエディだったが、実際は誰よりも早くソフィアの正体に気づいており、彼女が本気の能力を出すのを今か今かと待っていたのだろう。

 どう声をかけたらいいか分からず当惑するソフィアに対し、アイザックは再びその大きな目をキラキラさせながら、ソフィアの方を振り返った。


「なんかわかんないけど、すごいんだな!」

「あ、はい……なんかすみません……」


 やがて少し落ち着いたのか、エディがようやく顔を上げた。はあと疲れたため息を零した後で、二人に向けて口を開く。


「まあ、なんというか――助かった」


 ありがとう、とかすかに紡がれた言葉に、ソフィアとアイザックは安堵したように微笑む。するとアイザックが対戦相手を称えるかのように、すっと手を伸ばした。


「改めて自己紹介。おれはアイザック・シーアン。犬の加護者で走るのが得意!」

「……エディ・フェレス。十六。加護については黙秘」

「なんで?」

「お前な。加護の種類によっては弱点になることもあるんだ。そうほいほいと他人に教えるもんじゃない」

「そ、そんなー! おれ言っちゃったじゃんかー!」


 悲愴に眉尻を下げるアイザックを見て、ソフィアは思わず笑ってしまった。すると二人が言葉を促すようにじっとこちらを見ている。


「ソ、ソフィア・リーラー、です。加護はゴリラで、……あまり、言わないでいただけると、嬉しいです」


 その言葉にアイザックは『分かった!』と快諾し、エディは『どうせすぐばれるだろうが、分からない馬鹿はそのままにしておきたい』とにやりと笑う。

 ゴリラの加護者であることがばれたというのに、思いもよらぬ反応が返って来て、ソフィアはじんわりと胸の奥が暖かくなるのを感じていた。

 やがてアイザックがうん? と眉を寄せる。


「あれ、もしかしておれとエディ、同い年か?」

「今頃気づいたのか」

「いやだって見ても分かんないし……」

「同じ受験生の情報くらい、事前に調べておくものだろうが」

「あ、わ、私も同じです! 十六……」


 するとアイザックはいっそう喜色を顔に滲ませた。先ほど犬の加護者だと聞いているせいか、ぴこぴこと動く犬耳とばっさばっさと揺れる尻尾の幻覚が見える。


「ほ、ほんとに⁉ じゃあおれら、十六歳トリオだな!」

「おい、勝手にまとめるな」

「で、ですね」

「お前も受け入れるな!」

「よーっし! みんな合格しますようにー!」


 二人の手をそれぞれ握ると、アイザックは嬉しそうに高々と振り上げた。煩わさしさを露わにするエディを見て、ソフィアもまた思わず苦笑する。

 不思議と嫌な思いはない。

 しかし同時に、心の隅で寂しさを感じていた。


(せっかく知り合えたのに、もう会えないのか……)


 試験をまともに受けていないソフィアは、おそらく不合格だろう。

 スカウトの効力は継続するので、来年も再来年も受験することは出来る。だがやはり自分のような内気で戦いを恐れる人間は、騎士団に入る器ではないと思ってしまうのだ。


(でもどうか二人は、合格しますように……)


 ソフィアは心からそう祈り、この一瞬を忘れまいと微笑んだ。







 だが数日後、校長室に呼ばれたソフィアは自分の耳を疑った。


「――合格、ですか?」

「はい。おめでとうございます」


 聞き直したところで返事は同じだ。

 はて、と首を傾げたソフィアはおそるおそる校長に確認する。


「あの、実は私、試験を半分ほど棄権したんですが」

「もちろん聞いていますよ」

「では何故⁉」

「詳細まではわたしも分かりませんが、とにかく結果が良かったからなのでは?」


 嘘だ、そんなはずはない、とソフィアは頭を抱えた。

 だが校長は、栄誉ある従騎士に我が校の生徒がと喜ぶばかりで、気に留めている様子もない。


「とはいえあなたはまだ学生ですので、今後も変わらず勉学には励んでいただきます。その上で放課後の大部分を、従騎士団の訓練に充てていただきたいそうです」

「放課後……」

「後日、合格者だけを集めた入団式があるそうなので、詳しくはその時に確認をしてください。ほら、急がないと午後の授業が始まってしまいますよ」

「あ、し、失礼します!」


 タイミングよく予鈴が鳴り、ソフィアは混乱したまま、校長に向けて頭を下げ慌ただしく教室に向かった。

 するとそこでさらなる驚きに遭遇する。




「――どう、して……」


 午後の授業はホームルームで、先週から取り組んでいる自由課題の続きをするはずだった。

 だが教壇に上がるクラス担任の後ろに、見覚えのある二人の男子生徒が並んでいる。


「午後になってしまって悪いが、転校生を紹介する。自己紹介を」


 すると背の高い方の男子が『はいっ!』と溌溂とした声で応じた。


「アイザック・シーアンといいます! 犬の加護者で、走るのが得意です。よろしくお願いします!」


 にこ、と「人の良さそうな」を体現した笑みを浮かべるアイザックに、教室内はにわかにざわついた。

 さらにもう一人――こちらは少し背が低いが、抜群に涼やかな美貌を持っており、人によっては冷たいと評しそうな硬質な声を発する。


「――エディ・フェレス」


 そのあまりに短い名乗りに、再び教室は動揺の中に包まれた。

 だが決して悪いものではなく、むしろ女子生徒の間では「えっなにかっこいい」「どこの家? 王都外だよね?」と色めきだつ様子すら伺える。

 そこに担任が発した一言で、教室内はさらなる驚きと歓声に満ち溢れた。


「二人は今年から、従騎士団に所属することとなったそうだ。そのため移動しやすいこちらへと引っ越してきたらしい」

「えっ⁉ じゃあ二人とも従騎士で、将来は……王立騎士団ってこと⁉」


 誰かの叫びに、女子の気迫がぶわりと変わった。

 一方でソフィアは二人に気づかれないよう、必死になって机上で顔を伏せている。


(どうして二人がここに⁉ 従騎士に合格した……のは嬉しいけど、なんでよりによって私と同じ学校に⁉)


 とにかく絶対にばれてはならない、と呼吸の頻度すら最低限度に落とし、時が過ぎ去るのを待つ。だがソフィアの願いも虚しく、突然ぱっと目を見開いたアイザックが、ぶんぶんとその長い腕を振り上げた。


「あ! ソフィアだ! やっぱり同じクラスだったよ、なあエディ!」

「うるさいな、とっくに気づいてるよ」

「ソフィアー! これからまた三人でよろしくな!」

「……」


 途端に静まり返る教室。


(ああ……っちゃーー……)


 まるで酸素がまるごと盗まれたかのような息苦しさを感じながら、ソフィアはそのまま深海の底で眠る貝になってしまいたかった。



 

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― 新着の感想 ―
従騎士物から一躍学園小説も兼ねていたとか。面白さに輪がかかってきました。
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