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第三章 10



 一階でのびていたクライヴの部下たちが、せっせと邸の外へ運び出されて行く。派手に破損した建物をあーあと見つめたあと、アーシェントはやれやれと苦笑した。


「ソフィア・リーラー、アイザック・シーアン。よくやった」

「あ、ありがとうございます!」

「しかしまあ、もう少し待てなかったものかねェ」

「も、申し訳ございません……」


 ソフィアは腕と足、アイザックは頭と足に包帯を巻かれた状態で、二人はすぐさま腰を折った。直角の姿勢のまま動かない彼らを前に、アーシェントはまあまあと顔を上げさせる。


「まあでも、エヴァン殿下まで来ちゃったらそうもいかないか。それに今回のケースとしては最善の判断だった。『蛇の加護者』による毒には、特殊な血清を一刻も早く投与する必要があるからね。早期解決という点では申し分ない」


 よくやった、という言葉を耳にした二人は、ようやくおずおずと顔を上げた。ソフィアがこっそり隣を見ると、アイザックがにかっと笑みを浮かべる。それを見てソフィアもつられるように微笑んだ。

 アーシェントによる説教も終わり、ソフィアは改めて現場へと戻る。特に被害の大きかった三階では、いまなお医療班による応急処置が進められていた。中でもアシュヴィンはジルによる毒の被害が大きく、すでに病院へと搬送されている。

 ソフィアはその足で、処置を受けているルイとクライヴの元へと向かった。


「先輩、だ、大丈夫ですか?」

「ああ、これくらいなんともない」


 軽く応じたルイだったが、その両手は幾重にも包帯が巻かれており、抑え切れない血がわずかに滲んでいた。その姿にソフィアが胸を痛めていると、同じく隣で処置を受けていたクライヴが掠れた声を零す。


「……すまない。わたしのせいだ」

「クライヴ殿下……」

「この力を使うつもりはなかった……こうなることは、分かっていたのに」


 クライヴの鋭い鉤爪は無くなり、肌も元の色に戻っていた。ただ髪だけは、いまだに黒と灰が混じったままだ。おそらく加護の力を発揮した名残だろう。

 やがて医療班が立ち去ったあとで、ソフィアは恐る恐る問いかけた。


「どうして、本当の加護を隠しておられたんですか?」

「……怖かったんだよ」


 クライヴを加護したのは『ラーテルの神』だった。動物としては小型だがその性格は非常に獰猛で、ライオンだろうがワニだろうが単身で果敢に立ち向かう。

 強力な武器となる鉤爪はもちろん、その体は非常に頑強で、多少の衝撃には耐えうる強靭さ――さらに毒が効かないという特性は、ゴリラや豹の神とはまた違った意味での『最強』といえるだろう。

 だがその唯一の難点が、堪え切れない『破壊衝動』なのだ。


「この力は一度発動すると、わたしでさえいつ収束するか分からない。おまけにその間、目についた物はすべて敵と認識してしまうんだ」

「だから、私たちが分からなかったんですね……」

「謝って許されるものじゃないと分かっているが……本当に申し訳なかった」


 クライヴはそのまま、ソフィアとルイに向けて深く頭を下げた。


「わたしは……やはり、王には向いていない。こんな恐ろしい加護……誰だって傍にいてほしくないだろうし……。ほんとうに……ただの『いたちの加護』なら、良かったのに、なあ……」


 クライヴはぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。その顔はいつものように穏やかだったが――やがてその瞳から、透明な涙が零れ落ちた。

 長い睫毛に玉を結ぶように、ぱた、ぱたと床板の色をまだらに染める。


「どうして……どうして、こんな加護なんだろう……」

「殿下……」

「ごめん……ほんとうに、ごめん……」


 ソフィアはちらりとルイの方を見た。どうやら彼も同じことを思っているようで、ソフィアは俯くクライヴの前に膝をつくと、そうっと彼の手を握りしめる。


「こんな加護、なんかじゃありません」

「でも……」

「おかげで、ジル殿下を捕らえることが出来ました」


 ソフィアが軽く力を込めると、クライヴはようやくわずかに顔を上げた。前髪の合間からのぞく漆黒の瞳を前に、ソフィアはにっこりと微笑む。


「この力がなければ、私はあのままジル殿下にやられていました。ロバートお兄様が残してくださった証拠も、きっと奪われていたでしょう」

「……でも、わたしは、君を……」

「私なら大丈夫です。だって『ゴリラの加護者』ですから。あれくらい、全然平気です」

「俺もです。小動物だからって舐めないでください」


 ソフィアとルイの明るい調子に、クライヴはしばらくぽかんと口を開けていた。だが繋がれているソフィアの手を恐々と握り返すと、静かに唇を引き結ぶ。


「……そう、だね。……うん。そうだった」


 そのままクライヴは何かを噛みしめるように、何度かゆっくりと頷いた。

 やがて顔を上げると、はにかむように口角を上げる――が、その後頭部を誰かが勢いよくはたいた。びっくりして上を向いたソフィアの目線の先には、拳を握りしめたまま完全にぶち切れている包帯姿のエヴァンがいる。


「クライヴ・バジャー! お前だけは許さん!」

「エ、エヴァン殿下! お、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるか! あれだけの力を持ちながら、それを隠匿していただと⁉ ふざけるなよ!」


 あまりの怒号に耳を押さえつつ、クライヴが殊勝に謝罪する。


「も、申し訳ありません、エヴァン殿……。ですが、わたしはこれで正式に王太子候補を降りる決心を……」

「何を言っている? 王になるのはお前だろうが」


 はい? とクライヴだけでなく、ソフィアとルイもきょとんと瞬いた。だがエヴァンは眼鏡を光らせつつ、当然だとばかりに息巻く。


「その身体能力、防御力、攻撃性! どれをとっても一級品だ! どうしてこんな素晴らしい力を隠していた⁉ アシュヴィンの奴もこんなことなら早く言え‼ くそっ、時間が惜しい! 明日から俺がつきっきりで鍛え上げてやるから覚悟しろ‼」

「で、殿下、さすがに明日からは厳しいのではないかと……」

「む。では明後日からだ! 何でもいい、俺が最強の王に仕立ててやる!」


 何故か喜色満面なエヴァンを前に、クライヴは一瞬放心しているようだった。やがてようやく事態を理解したのか、恐る恐るエヴァンに尋ねる。


「あ、あの、エヴァン殿……失礼ながら、あなたはわたしのことを嫌っておられたのではなかったのですか?」

「何を言っている?」

「だ、だって、先日のお茶会でも『ちゃっかり兄の席に座っている奴もいる』とか『お前もロバートのように、急にいなくならなければいい』とか言われた、ような……」

「? 俺が知らぬうちに候補になっていたのだから、そう思うのは当然だろう。それにロバートのようにまた不審なことに巻き込まれるな、という忠告をしただけだが?」

(あれ、本気で言っていたんだわ……)


 二人の会話を実際に目にしていたソフィアは、ううむと眉を寄せた。

 お茶会で聞いた時には、クライヴに対して随分当たりが強いと思っていたエヴァンだったが、実際は恐ろしいほどの口下手――険のある言い方しか出来ない性格のようだ。

 当のクライヴも予想外だったらしく、困惑したように言葉を濁らせる。



 

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