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第三章 5



「蛇の加護者って、一体」

「……俺の知る限りでは、一人しかおらん」


 するとかろうじて意識を紡いだアシュヴィンが、苦々しく吐き出した。


「もう……大丈夫です……早く、しないと、クライヴ様が……」

「! クライヴ殿下はどこに⁉」

「一緒に運ばれたところまでは覚えています……おそらく、近くには……」

(この邸のどこかに、殿下も捕らえられている……!)


 今までの騒動で、おそらく犯人もソフィアたちの存在には気づいているだろう。そのまま逃げるだけならまだしも、万一クライヴに危害が及ぶことになれば――とソフィアは焦燥する。

 やがて吹っ飛ばされていたアイザックが、ソフィアたちの元に駆け付けた。


「ソフィア、無事か⁉ アシュヴィンが……って、な、なんで、ここにエヴァン殿下が⁉」

「話は後だ。奴を追いつめる」


 するとエヴァンは背筋を正し、すううと深呼吸した。突然の行動に驚くソフィアたちの前で、ゆっくりと白い睫毛を持ち上げる。

 その瞬間、エヴァンの白い髪がひょっこりと浮き上がった。正確には髪ではなく、髪の下から――頭頂部に二つ、長い耳が生えていたのだ。

 その姿を見たソフィアは、もしやと問いかける。


「エ、エヴァン殿下、そ、その、耳はまさか……」

「うるさい! 俺だって人に見られたい姿ではない‼ だが今はそんなことを言っている場合ではないからな!」

「エヴァン殿下……『ウサギの加護者』だったのか……」


 ぴんと立ったふかふかの耳。

 片方はまっすぐ立てたまま、もう一方はしきりに後ろから前にと巡らせている。


(ウサギの加護……能力はたしか、圧倒的な聴覚……)


 ウサギの加護者の聴力は、普通の人間よりはるかに優れており、また距離もかなりの範囲まで聞き及ぶことが出来る。おまけに耳だけではあるが、ウサギの姿容も現れているため、リスに変身してしまうルイと同様、特別に加護が強い人物といえるだろう。

 おそらくだが、エヴァンはこの聴力でいち早くクライヴの事件を聞きつけ、現場まで直行して来たに違いない。

 やがてぴん、と片方の耳が跳ねた。


「三階。東に位置する部屋だ。もう一人はさらに上だな。行くぞ」

「は、はい!」


 言うが早いか、エヴァンは踵を返して走り出した。その勢いにつられるように、アイザックも後に続く。ソフィアも慌てて立ち上がろうとすると、座り込んでいたアシュヴィンがその腕を掴んだ。


「アシュヴィンさん?」

「オレも行く。連れて行ってくれ!」


 寡黙な彼には珍しい、憔悴しきった表情にソフィアはこくりと息を吞んだ。だがすぐにしゃがみ込むと、その背中にアシュヴィンを背負う。そのまま苦も無く立ち上がると、人ひとり抱えているとは思えない速度で走り始めた。


「ソフィア殿……あなたは一体……?」

「すみません! これが終わったら、全部説明しますから!」


 エヴァンを先頭に、四人は三階まで一気に駆け上がる。廊下の左右にずらりと並んだ客室の扉には目もくれることなく、突き当りにある社交室の扉めがけて走り続けた。やがてエヴァンを追い越したアイザックが、そうりゃっと勢いよく扉を蹴破る。


「動くな! クライヴ殿下拉致の容疑で……」


 だがアイザックの言葉はすぐに途切れた。続くエヴァンは険しい顔つきで眉を寄せており、最後にソフィアが部屋に飛び込む。

 アシュヴィンをその背から下ろしながら、ソフィアは愕然と窓辺を見つめた。


「あなたは……」

「……」


 不敵な笑みを刻む端正な顔。

 そこに立っていたのは、最有力王太子候補であり、クライヴが敬愛する――ジル・セルピエンテだった。





「ジル・セルピエンテ――『蛇の加護者』。やはりお前の仕業だったのか」

「エヴァン殿……まさかあなたまでここに来るとは」

「お前が行動を起こすのであれば、俺たちが本国に戻るまでの間だと睨んでいた」


 するとエヴァンは、腰に佩いていた長剣をすらりと引き抜いた。


「クライヴ・バジャー拉致、並びに……ロバート・バジャー毒殺の容疑で、お前を拘束する」

(ロバート……バジャー⁉)


 エヴァンの口から出た名前に、ソフィアは一瞬耳を疑った。ロバート・バジャー――クライヴの兄の名前が何故ここで出てくるのか。

 それはジルも同様だったらしく、微笑をたたえたまま小首を傾げる。


「……何故、ロバートのことまで出てくるのかな?」

「ロバート・バジャーの死因は病死とされていた。だがあれほどの男が、病などに負けるはずがない。俺は不審に思い、家の者を使って秘密裏に調査させた。その結果、ロバートの病と酷似した症状が出た事例を発見した――『蛇の加護者』による毒だ」

「それはおかしいな。だってロバートの死後、不審な点がないか調査したのは君たち騎士団のはずだ。その時『何も不審なものは検出されなかった』という報告書が出ていたと思うけど?」

「ああ。ロバートの体から毒物は発見されなかった。ただし――計器で測定できる量ではなかった、という可能性がある」


 エヴァンの言葉に、ソフィアは以前クライヴから聞いたロバートの様態を思い出した。


(たしか……熱に侵され、最後は言葉も発せられなくなったと……)


 原因不明の病だったため、クライヴも隔離を余儀なくされた。ただ親友であったジルだけは、その危険も顧みず毎日のように看病を続けていたと――


(毎日……?)


 疑惑を感じ取ったソフィアは、はっと目を見張った。

 ほぼ同時にエヴァンが口を開く。


「『蛇の神』の毒牙は、相手の血液に送り込むことで効果を発揮するものが大半だ。だがその場合、検死の際にすぐに毒が発覚してしまう。だからお前はまず『死なない程度の毒』でロバートを病に見せかけた。その後時間をかけて、体内に毒を巡らせ続けたんだ」


 ごく微量の毒であれば、体の自浄作用で自然と体外へ排出される。

 だがロバートは体力的に弱り切っており、その血液に少しずつ流し込まれた毒は、知らず知らずのうちに彼の臓器を破壊していったのだろう。毒が流れ、消え、傷だけが残り――やがてそれ自体がゆるやかに機能を停止する。


「直接それが原因で死んだわけではないから、致死量の毒素は検出されない。お前は奴が死なないギリギリの量の毒を、長期にわたって投与し続けたんだ」


 エヴァンの告発に、ソフィアの隣に立つアシュヴィンも驚愕しているようだった。だが当のジルは優雅な笑みを浮かべたまま、まるでお茶会のような気軽さで応じる。


「たしかに、それであれば毒は出てこないかもね。でも、それを証明できる方法はあるのかな?」

「何?」

「騎士団長の君なら知っての通り、リーンハルトでは現行犯か証拠物品による逮捕が原則だ。仮にぼくがそれを行ったとして、物的証拠がなければ検挙は出来ない」

「そんなもの、お前を本国に連れ帰ってからどうとでもなる」

「過激だね。……ぼくが君と同じ、王太子候補と分かっているのかな?」


 たしかにこの現状を見れば、クライヴ誘拐の件は逃げられないだろう。だがエヴァンの唱えるロバート暗殺説に関しては、はっきりとした証左がない。

 実際ジルの態度は余裕に溢れており、ソフィアはこちらの不利を感じ取った。だがエヴァンは臆することなく言葉を続ける。


「当然だ。幸いそこにお前の毒を受けた奴もいる。言い逃れは出来んぞ」

「その毒がロバートを殺したものと一緒かどうかなんて、分からないだろう?」

「黙れ! この期に及んで……!」


 エヴァンは苛立ちをあらわにすると、靴裏で力強く床を蹴った。そのまま長剣を振りかぶる――が、ジルの方が一瞬反応は早く、ぬるりと滑るように体をずらしたかと思うと、エヴァンの体を拘束する。そのままぎちりと関節を締め、床に組み伏せた。


「――ぐっ!」

「ウサギはこれだから仕留めやすい。……捕食される側がいい気になるなよ」

「エヴァン殿下!」



 

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