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第三章 4



「ま、まずい! 匂いが近づいて来る!」

「えっ⁉」


 二人は隠れようとするが、それよりも先に柄の悪い男たちが姿を見せた。こうなれば仕方がない、とソフィアは名乗りを上げる。


「――第百五十六期従騎士団所属、ソフィア・リーラーです。この建物は要人誘拐事件に関与していると判断します。全員ただちに投降してください」

「従騎士だあ?」

「嘘つくんじゃねえ!」


 当然男たちは怯むことなく、ソフィアたちに襲い掛かった。アイザックは素早くソフィアの前に立つと、その長い足で男たちを蹴り飛ばす。


「嘘じゃない! ソフィアはおれたちの仲間だ!」


 力強く吼えたアイザックは、続けて男たちを一気に制圧し始めた。ソフィアもまた退路を確保しようと振り返る。だが男たちに先回りされ、行く手をふさがれてしまった。


「嬢ちゃん、悪いことは言わねえ。ちょっと大人しくして――」


 先頭にいた男は、その言葉を終えることなく壁に磔にされた。しゅうと背中から煙を立てるその光景に、残された他の男たちががたがと怯えながらソフィアを見つめる。

 どうみても細身の女性――だがその背後に、何故か筋骨隆々で黒々とした何かの影が見えるようで、男たちはひいいいと震え上がった。


「――すみません、大人しくしてもらえますか」

「す、すみま……」


 ソフィアは出来る限り優しく、男たちのみぞおちを殴りつけた。針金を抜かれたぬいぐるみのようにくたりとした男たちを、ソフィアは壁沿いにそうっと押しのける。

 アイザックの方もあらかた片付いたらしく、ソフィアはようやく駆け付けた。


「アイザック、大丈夫⁉」

「ああ! これくらい何でも――」


 だが次の瞬間、アイザックの姿がソフィアの視界から消えた。

 同時に現れた人影を見て、ソフィアは言葉を失う。


「どう、して……」

「……」


 そこにいたのは、クライヴの忠実な部下であった――アシュヴィンだった。



「アシュヴィンさん、一体何を……」


 動揺を隠せないまま、ソフィアはたまらずアシュヴィンを問いただした。だが返事はなく、アシュヴィンはゆっくりと両拳を自身の顔の前に構える。

 すると一拍後――ソフィアの鼻先を何かがかすめた。


(――早い!)


 すんでのところで身をそらして躱す。それはソフィアに突きつけられたアシュヴィンの右拳だった。あまりの速さに視認できなかったソフィアは、ぞくりと背筋を凍らせる。


(何この力……まともに食らったら、ひとたまりもない……!)


 おそらくアイザックも、この力で弾き飛ばされたのだろう。ソフィアがすぐさま間合いを取ると、アシュヴィンも同じく距離を空ける。再び拳を構えると、前後に弾むように体重を移動させていた。

 初めて見る構えだ。何か特殊な体術だろうか。


「アシュヴィンさん、やめてください! どうして、こんな……」


 たまらずソフィアは叫んだが、アシュヴィンはそれに応じないまま、一息にこちらへ跳躍した。蹴り出しが凄まじく強く、瞬く間に彼我の距離が詰められる。

 そして打ち込まれる拳。右に左にと次々と叩き込まれるそれに、ソフィアは必死になって対抗した。だがすべてから逃れることは出来ず、よけきれない分は前腕部で受け止める。


(間違いなく何かの加護……だけど、一体何の加護者なの⁉)


 さすがに打たれ続けるのも限界だ、とソフィアは仕方なく反撃を繰り出した。だがアシュヴィンはそれを器用に受け流すと、返す刃のように拳を突き立てる。


「――ッ!」


 肩に強い衝撃が走り、ソフィアはたまらず顔を歪めた。

 このままではまずい、と少々力を込めてアシュヴィンを殴打する。


「……!」


 これはさすがに効いたのか、アシュヴィンは短く呻いた後、わずかに後ずさった。だがすぐに体勢を立て直すと、三度ソフィアに向けて拳を掲げる。


(どうしよう……このままじゃ……)


 すると逡巡するソフィアの耳に、強い叫び声が突き刺さった。


「おい! そいつを抑えられるか!」

「!」


 アイザックではない。だが覚えのあるその声に、ソフィアはアシュヴィンの隙を見て視線を向けた。そこにいたのは白い髪の男――王太子候補のエヴァンだ。


(エヴァン殿下⁉ どうしてこんなところに?)


 一番に浮かんだのは、彼がこの誘拐事件の犯人ということ。だがソフィアの予想とは裏腹に、エヴァンは必死の形相でこちらに叫び続ける。


「後ろから羽交い絞めにしろ! 首元に傷がないか⁉」

「か、簡単に、言われて、も……!」


 だがソフィアとしても打つ手がなく、仕方なくエヴァンの言う通り、アシュヴィンを拘束するため向き直った。突進してくるアシュヴィンとの間合いを測ると、ぎりぎりのところで両手を伸ばす。

 そのままアシュヴィンの肩を掴むと、ソフィアはふわりと床を蹴った。アシュヴィンを飛び越えるように綺麗に中空を前転すると、体をひねりながら彼の背後に着地する。

 すぐに体を転回させると、アシュヴィンの脇に両腕を差し入れた。


「……‼」


 もがくアシュヴィンの腕から必死に顔をそらしながら、ソフィアは指示通り首元を確認する。すると首筋に二つの赤い点が見えた。


「な、何か、あります!」

「いいぞ、少しだけ耐えろ!」


 するとエヴァンはこちらに駆け寄ったかと思うと、右手に鋭いナイフを携えた。ひい、とソフィアが蒼白になるのも構わず、その刃先をまっすぐアシュヴィンに向ける。

 たまらず目を瞑ったソフィアのすぐ鼻先で、ひゅ、と風を切る音がした。恐る恐る目を見開くと、先ほど発見した二つの点に斜めに傷が走っている。


「――ッ!」

「ア、アシュヴィンさんっ!」

「離すな! このまま押さえ込め!」


 そう言うとエヴァンは、苦しみもがくアシュヴィンの首元を掴んだ。自らが付けた傷口から血を絞り出しており、やがてふつりと糸が切れたかのようにアシュヴィンは床に倒れ込む。

 はあ、はあとソフィアは荒々しく息を吐き出しながら、ようやく大人しくなったアシュヴィンから手を離した。それを見てエヴァンもほっと肩を落とす。


「上出来だ。お前、名は何という」

「え、あ、ソ、ソフィアと申します……」

「ソフィア。お前、俺のものにならないか」


 突然の告白に、ソフィアは目を剥いた。


「はい⁉」

「女でありながらそれだけの腕前に胆力。すぐにでも欲しい」

「あ、あの、今はそんな場合では」

「む。そうか?」


 どこか不満げな顔つきのエヴァンをよそに、ソフィアはすぐにアシュヴィンの止血を開始した。だが切り口が綺麗だったためか、すでに大部分は塞がりつつある。


「アシュヴィンさん、しっかりしてください!」

「……ソフィア……殿……?」


 ようやく意識が戻ったのか、アシュヴィンはうっすらと瞼を持ち上げた。何度かぱちぱちと瞬くと、勢いよくがばりと起き上がる。


「クライヴ様‼」


 だが血流が追い付かなかったのか、すぐにう、と額を掴んだ。ソフィアが慌てて支えていると、それを見ていたエヴァンが冷静に呟く。


「やはり、毒か」

「毒……?」

「『蛇の神』に加護された者のなかに、毒牙の能力を発現する者がいる。神経毒に筋肉毒、出血毒と種類は様々だが……こいつが食らったのは、幻覚作用のあるものだろう」


 その言葉に、ソフィアはようやく理解した。

 何度呼びかけても応じなかったアシュヴィン。おそらくあの時、彼は朦朧とした意識のなか、本能的に自身を守ろうと動いていたのだろう。



 

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