第三章 2
「お願いだソフィア。……これからもわたしの傍にいてくれないか」
「……」
だがソフィアは俯くと、ふるふると首を振った。
手のひらに置かれていた宝石を、恐る恐るクライヴへと返す。
「申し訳、ございません。……お受けすることは、出来ません」
「……理由を聞いても?」
ソフィアはこくりと息を吞むと、まっすぐにクライヴの目を見た。
「好きな方がいるんです。だから、殿下とは……」
「もしかして、ルイかな?」
「ど、……⁉」
どうしてそれを、と言おうとしたが、思わず言葉に詰まってしまった。それがより確信を与えたのか、クライヴはふふと笑いを零す。
「なんとなく、そんな気がしたんだよねえ」
「い、いったいいつ……」
「初めて騎士団で会った時かな。彼は君が部屋に入ってきた途端、ずっとそちらばかり見ていたしね。でもはっきり分かったのは、君を庇った時かな」
「カップを投げられた……あの時ですか?」
「うん。わたしが止めるよりずっと先に、彼は君の元に駆けだしていた。反応が良すぎて驚いたよ。だからきっと、どちらかに好意はあると思っていたけれど……そうか、だいぶ遅かったみたいだね」
やれやれ、とクライヴは泣き笑いのような表情を浮かべながら、戻された宝石を握りしめた。
「困らせてごめんね。……君には本当に、世話になったよ」
「殿下……」
「明後日の正午、リーンハルトへ発つんだ。もしも時間があったら、見送りにだけ来てくれないかな」
困惑するソフィアを咎めることなく、クライヴは嬉しそうに微笑んだ。
そして二日後。
クライヴが滞在していた邸の正門前で、均一なエンジン音を上げる自動車に、アシュヴィンが大きなトランクを豪快に積み込んでいた。車体正面には、バジャー家のエンブレムが輝いている。
そのすぐ傍にソフィアとルイ、アイザックとエディといった関係者がずらりと集まっていた。ちなみに王族やリーンハルトに関係の深い貴族らも、見送りに来たいと申し出たそうだが、あまり仰々しいことはやめて欲しいとクライヴがすべて断ったらしい。
「ソフィア。君のおかげで、楽しい滞在生活だったよ。ありがとう」
「は、はい」
「アイザックとエディも。使用人の真似までさせて悪かったね」
「い、いえ!」
「仕事ですから」
「それから――ルイ」
は、と短く応じたルイの前に、クライヴは堂々と歩み出た。ルイの手を取ると、どこか挑戦的ににやりと微笑む。
「君とはもう少し、語っておきたかったな」
「はい?」
「いや何――同じ女性を好きになった者同士、積もる話もあるだろう?」
後半声量を一気に落とし、にいと細められたクライヴの瞳を見て、ルイはわずかに目を見開いた。かあ、と目元が赤くなるルイを見て、クライヴが笑いをこらえる。
「安心して。わたしはもう、砕け散っているから」
「砕け……? はあ⁉」
「でもダメになったらすぐ教えてくれ。いつでもリーンハルトから飛んでくる」
心なしか握っている手に力が込められ、ルイは眉間に皺を寄せた。だが受けて立つとばかりに、ルイもまたぎりりと手の甲に血管を浮き上がらせる。
「それはそれは、ご高配賜りありがとうございます。ですがあいにく――その心配はないかと」
「へえ、随分と自信があるんだね。でもそれを慢心というのでは?」
「相手のいる女性を口説こうとする軽薄さよりはいいのではありませんかね」
「言っておくけど、わたしは本気だったからな? ……というかよくよく考えてみれば、こいつとは服の趣味も合わなかったな。まったく、どうしてこいつなんだ」
「殿下、聞こえておりますが」
ははは、と互いに朗らかな笑顔のまま、固い握手を隅の方で続ける二人。何と話しているかは聞こえないが、とにかく恐ろしい気配がする――と各々の動物神からの警戒を受信したアイザックとエディは、揃えたようにそっと顔をそむけた。
その一方――ソフィアは荷物を積み込むアシュヴィンの元に歩み寄った。山と積まれている鞄を手に取ると、はいと手渡す。
「手伝います」
「……ありがとうございます」
アシュヴィンはわずかに眉を上げたが、相変わらず淡々とした調子で礼を述べると、ソフィアから差し出された荷物を受け取った。ぎっしりと隙間なく詰め込まれて行く荷台を前に、ソフィアは恐る恐るアシュヴィンに伝える。
「あの、アシュヴィンさん」
「なにか」
「その……殿下のこと、よろしくお願いします」
するとアシュヴィンは、再び驚いたように目を見開いた。
だがすぐに「もちろんです」とだけ返すと、ソフィアの抱えていた最後の鞄を手に取る。そんな彼の背中を、ソフィアはどこか祈るような気持ちで見つめていた。
そうしてクライヴはリーンハルトへ旅立った。
窓から身を乗り出して手を振るクライヴに、ソフィアは苦笑しながら振り返す。やがて車が見えなくなった頃、ようやくゆっくりと腕を下ろした。
騎士団に戻るぞというエディの声を合図に、四人は帰路につく。すると隣を歩いていたルイが静かに問いかけてきた。
「ソフィア、その」
「はい、なんですか?」
「いや、……ええと」
だがすぐ前を歩くアイザックとエディの方をちらりと一瞥すると、ルイはそれ以上の質問を断念する。
「……何でもない」
「は、はい?」
そのまま市街地の見回りを兼ねつつ、四人は騎士団領へと帰り着いた。ソフィアたちはこれから訓練、ルイは新たな任務の準備があるらしく二手に分かれる。
「三人とも、任務への協力感謝する。また何かあったらよろしくな」
はい、とそれぞれ応答し、ソフィアたちは従騎士の訓練所へ向かおうとした。だが上空から突然、ばさささと慌ただしい羽音が降りてくる。
「救援要請、救援要請! 国境付近で事件発生! 自動車が突然爆発したらしい!」
(自動車が……爆発⁉)
伝令役の鳥の加護者の言葉に、ソフィアは大きく目を見開いた。
大型貨物の役割を果たすバスや汽車は、公共機関としてだいぶ認知されてきたものの、いまだに珍しい王都ならではの技術だ。自動車はそれを小型に改良したもので、騎士団では何台かは保有しているものの、個人で所持している家は大陸でもまだ少ない。
(もしかして……クライヴ殿下⁉)
慌ててアイザックとエディを振り返る。二人も同じ結論に行きついたらしく、三人は揃って頷いた。エディがすぐに叫ぶ。
「お前らは先に行け! 車より早い!」
「りょーかいっ!」
「りょ、了解!」
言うが早いか、アイザックとソフィアは地面にしゃがみ込むと、ぴたり、とまったく同じ構えをとった。ソフィアは降下訓練に付き合う代わりに、アイザックからずっと『陸上における正しいスタートの姿勢とは』を教わっていたのだ。
やがて、どん、と空気の塊を蹴り飛ばすような音がして、二人の姿は一瞬にしてエディの前から消え去った。残された砂ぼこりにごほと咳き込みながら、エディは思わず眉を寄せる。
「あいつら……また速くなってるな」
エディはすぐに踵を返すと、騎士団棟へ戻ったルイを追いかけた。












