第三章 良き王の加護
結局、従騎士になって初めてのソフィアの夏季休暇は、使用人の仕事で終了した。護衛代わりに入っていたという旨を伝え、従騎士の仕事に戻ることを執事頭が伝えると、使用人たちはそれぞれ様々な反応を見せていた。
アイザックの周りには男性使用人が集まり、「お前すごいな!」「リーンハルトにも遊びに来いよ!」と肩を抱かれたり揺すぶられたりと大人気。
一方エディの周りにはメイドたちが取り巻いており、それぞれ可愛らしい封筒やカードを手に、ギラギラした熱い視線でにじり寄っていた。
その光景にソフィアが舌を巻いていると、こっそりとリーフェが近づいて来る。
「まさか、従騎士だったなんてね」
「せ、先輩! あの、騙すような真似をして、すみませんでした……」
「別にいいわ。あんたたちが只者じゃないってのは分かったし」
するとリーフェはこほん、とわざとらしく咳払いをした。
「そ、それより、その」
「はい?」
「あ、あの時は……あ、ありがとね」
もごもごと言葉を濁らせるリーフェに、ソフィアははてと首を傾げる。
「何かありましたっけ」
「バ、バルコニーから落ちた時よ!」
「そ、そういえば、そんなことも……」
「あ、あたし、あの時お礼を言っていなかったでしょ。だから……」
お礼を言いつつ、何故かふんと顔をそむけるリーフェを見て、ソフィアはいつものように眉尻を下げた。
「気にしないでください。それより短い間でしたが、色々と教えて下さりありがとうございました。先輩のおかげで、無事に仕事が終えられました」
「……あんたってほんと、お人よしっていうか、なんていうか」
「へ?」
「まあいいわ。……今度、仕事が落ち着いたら、リーンハルトに来なさい」
ぽかんとするソフィアを前に、リーフェは短くため息をつくと苦笑を滲ませた。そのまま小さな紙きれをソフィアの手に握らせる。
「来る前には連絡して。美味しいカフェと、食べ歩きのポイントを案内してあげる」
「ほ、本当ですか⁉」
ソフィアはわあと顔をほころばせた。それを見たリーフェはどこか得意げに微笑む。そしてその直後、ソフィアだけにこっそりと耳打ちした。
「ついでに、エディ様も連れて来てくれる?」
「え? ど、どうして……」
「な、なんでもよ! いいわね⁉」
あまりの迫力に負けたソフィアは、とりあえずこくこくと素早く頷いた。
そして数日後。
久しぶりに登校したディーレンタウンの中庭で、女子生徒たちが嘆きの大合唱を響かせていた。
「クライヴ様、もうお別れなんて寂しすぎますわ……」
「みんなごめんね……でも君たちと過ごした時間は、本当に大切な宝物だから」
「クライヴ様ぁ……」
(す、すごい……)
原因は朝礼で告げられた、クライヴとアシュヴィンの帰国の知らせだった。あの会議でジルが告げていたように、いよいよリーンハルトへ戻る時が来たようだ。
転校当初はソフィアにべったりだったクライヴだが、いつの間にか多くの女子の心を懐柔しており、別れを知った彼女たちは眦に大粒の涙を浮かべている。
ソフィアは周囲に警戒を払いつつ、その光景を呆然と見つめた。するとやれやれと顰め面をしたエディと、頭の後ろで腕を組んだアイザックが隣に立つ。
「まったく、ようやく肩の荷が下りたな」
「でも良かったな。リーンハルトも落ち着いたみたいだし」
「うん。そうだね……」
だがソフィアの心には、やはり王太子候補のことが引っ掛かっていた。クライヴがリーンハルトに戻れば、今まで中断されていた選抜が本格的に始動するのだろう。
(やはりジル殿下が後継になるのかしら……)
ソフィアも直接話してみて、彼の持つ異常なまでの迫力を知った。あれこそが王に必要な資質であるというならば、ジルは間違いなく王太子に選ばれる。ましてや他国の民であるソフィアが口を挟む余地などなかった。
やがてあれやこれやと引き留めてくる女子生徒を残し、クライヴがこちらに歩いて来た。ソフィアの姿を見つけると、いつものようににこりと微笑む。
「ソフィア。ちょっといいかな」
「わ、私ですか?」
「うん。出来れば二人で話したいんだけど」
ちらりと向けられたクライヴの視線に、エディは何も言わずすっと瞼を伏せた。一方アイザックは複雑そうな表情を浮かべていたが、エディに横から突かれ渋々口を閉じる。
クライヴは背後にいたアシュヴィンを一瞥したあと、素早くソフィアの手を取った。
「こっちこっち」
「ちょ、ちょっと、待ってください」
どこか浮足立った様子のクライヴに連れてこられたのは、庭園の隅にある温室だった。ガラス張りの扉を開けると、淡く色づいた薔薇があちこちに咲き誇っている。クライヴはソフィアの手を握りしめたまま、中央にある四阿へと向かった。
どうやら他に人の気配はなさそうだ、と護衛任務を遂行するソフィアをよそに、クライヴはくるりと振り返った。
「ここなら邪魔が入らないかな」
「邪魔、ですか?」
「うん。わたしの一世一代の告白だから」
へ、とソフィアが瞬いていると、クライヴは懐から小さな箱を取り出した。どこかで見覚えがある……とソフィアは記憶を手繰る。
そこで以前、執務室で見せられた青い宝石だったことを思い出した。
「これ、覚えているかな」
「は、はい」
「あの時は君が怖がるかと思って、きちんと言えなかった。でも……このまま君と別れるくらいなら、その前にちゃんと伝えようと思って」
するとクライヴは蓋を軽く押し開くと、中に入っていた宝石を指先で摘まみ上げた。長い指先で弄ばれた宝石は、キラキラと奇跡のような輝きを放っている。
「ソフィア、実はこれはね――手紙と一緒に託された、兄のもう一つの遺品なんだ」
「お兄様からの、ですか?」
「うん。……これは我が家の、バジャー公爵家に伝わる宝石だ。代々の当主――その配偶者に贈られる。本来であれば後継である兄上が、婚姻を決めた女性に渡すはずのものだったんだけど……あいにく、それはかなわなかったからね」
「そ、そうだったんですね……というか、こ、婚姻⁉」
のっぴきならない言葉が聞こえ、ソフィアは思わず問い返した。だが聞き間違いではないらしく、クライヴはそっとソフィアの手を取ると、その大粒の石を握りこませる。
想像していたほどの重さはなく、ソフィアはあれ? と疑問を抱いた。
「そうだよ。本当はあの時さくっと、受け取ってもらうつもりだったんだけどな。……半端な気持ちが見透かされていたのか、君はすぐに断った。だから、わたしも改めてきちんと言わなければと思って」
「で、殿下?」
「――ソフィア。わたしとともに、リーンハルトに来てほしい。もちろん今すぐにとは言わない。だけどここを卒業したら迎えに来るから……どうか、わたしの妻になってもらえないだろうか」
手のひらに収まっていた宝石が、途端に重たく感じられた。
突然のプロポーズにソフィアの頭は真っ白になる。
「な⁉ え⁉ ど、どう、して……」
「一番の決め手は、やっぱり会議の時かな。君は笑ってごまかすことも出来たのに、それをしなかった。自分が非難されると分かっていながら」
「あ、あれは……わ、私が言いたかっただけで」
「うん。君はきっとそう言うと思った。強くて優しい――ゴリラの加護者」
ソフィアの手を取ったまま、クライヴは静かに目を細めた。そこには普段の軽妙な彼はおらず、ずっと大人びた眼差しを見せている。












