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第二章 7



(ルイ、先輩……)

「……それは少々、やりすぎではありませんかね」


 続けてクライヴが言葉を発し、ソフィアはすぐにそちらに目を向けた。どうやらルイがソフィアを庇ったのと同時に、立ち上がったクライヴが候補の腕をぎりと掴んでいる。


「き、貴様! よくも僕の邪魔を……」

「女性を傷つけるのは、わたしの美学に反しますので」


 腕をわし掴んだままにっこりと微笑むクライヴを、候補は苛立ちのまま振り払った。その光景を前にソフィアはしばしぽかんとしていたが、そこでようやくクライヴと目が合ってしまう。


(ま、まずい……!)


 そう言えば姿を隠しておかなければならなかった! とソフィアは一瞬で青ざめた。庇いに来てくれたルイも振り返り、じっとソフィアの方を見つめている。


(どど、ど、どうしよう……お、怒られる……)


 だがルイはソフィアのことを咎めるでもなく、静かに「大丈夫でしたか?」とだけ告げた。予想外の反応に頷くことしか出来なかったソフィアを見て、ルイはわずかに笑みを浮かべる。

 やがてその場をとりなすように、ジルが短く手を叩いた。


「静粛に。レディ、お怪我はありませんでしたか?」

「あ、は、はい」

「それは良かった。レンデル殿、後で少々お話が」

「も、申し訳、ございません……」

「クライヴも」

「はい。大変失礼いたしました」


 ジルが取り仕切り始めると、その場の空気がすぐに元通りになった。それに気づいたソフィアは、ようやく安堵のため息を零す。念のためエヴァンの様子を確認したが、彼は腕を組んだまま沈黙していた。

 そのまま視線をクライヴに動かす――先ほど俯いていた名残はどこにもなく、ソフィアと目が合うとにっこりと微笑んだ。


(……うん。ばれてる)


 他の候補に見つからないよう、こっそりとこちらに向けて手を振る様子に、ソフィアは激怒するエディの顔を思い描く。


(……終わった……)


 ソフィアは心の中だけで泣いた。






 波乱に満ちた会議が終わり、ようやくその場は解散となった。ソフィアの心は沈みに沈み切っていたが、仕事は容赦なく舞い込んで来る。

 そこに突然、最有力王太子候補であるジルが姿を見せた。


「失礼。赤い髪のレディ、今少しお時間よろしいですか?」

「わ、私ですか?」

「はい」


 突然指名されたソフィアは、おっかなびっくり先輩メイドの方を見た。先輩メイドもすぐに事態を察したのか、何も言わずこくこくと細かく頷く。ソフィアはそのままジルに連れられ、中庭の一角にあった東屋へと移動した。


「先ほどは、大変失礼をいたしました」

「い、いえ、ジル殿下が謝られることでは……」

「同じ王太子候補として、心からお詫び申し上げます」


 するとジルは、ソフィアに対し深々と頭を下げた。まさか王太子候補ともあろう相手から低頭されるとは思わず、ソフィアはうわああと声にならない悲鳴をあげる。


「あ、頭を上げてください! ほ、本当に大丈夫ですから!」

「許していただけますか?」

「ゆゆゆ、許します! というか私の方こそ、失礼なことを……」


 だがソフィアはすぐに言葉を止めた。

 確かにあの質問に対して、双方の矜持を綺麗に収める正解などなかった。王太子候補たちの喜ぶ回答をするか、もしくはクライヴを庇うか。事を荒立てまいとするならば、言葉を濁すなり、曖昧に微笑むなり逃げる方法はあったはずだ。


(でも私は……あれ以上、傷ついたクライヴ殿下を見たくなかった……)


 ソフィアが押し黙ってしまったのに気づいたのか、ジルは軽く首を傾げる。


「あの時の言葉……きっとクライヴには、女神からの託宣に聞こえたことでしょう」

「え?」

「ぼくにも伝わりました。あなたがあれを、本心で言って下さったこと。だから本当に、嬉しかったんです」


 ぽかんとするソフィアに向けて、ジルはその端正な顔を笑みに変えた。


「あの子は――クライヴは、本当に優しい良い子です。ぼくにとっても弟のような存在で……だから、本来であれば守ってあげなければならないのですが、やはり王太子候補という立場上、他の候補とのやりとりも難しいもので……」

「そうなんですね……」

「だからあなたのような方がいてくださって、本当に良かった。ふがいないぼくに変わってクライヴを守ってくれたこと、心より感謝いたします」


 まるで心の中を見透かすようなジルの言葉に、ソフィアは驚きとともにぞくりとした感覚が背に走ったのが分かった。


(この人は……他の王太子候補とは、全然違う……)


 クライヴの兄と人気を二分していただけあって、その穏やかな気質と度量に、ソフィアはただただ感心する。たしかに彼であれば、クライヴがすべてを託したくなる気持ちも分かる――と、最有力王太子候補の不思議な迫力に、ソフィアはこくりと息を吞んだ。






 そしてその日の夕方。

 王太子候補たちは晩餐を楽しんだ後、それぞれにあてがわれた客室へと戻っていく。ソフィアは配膳や料理の準備などでばたばたしていたが、それもようやく終わりそうだ。

 そのままゴミ出しに出た隙に、ソフィアはアイザックらと合流する――が会って早々、想像通りの顔でエディから怒られた。


「お前は馬鹿か」

「返す言葉もございません……」

「僕はあの時なんて言った? 姿を隠して待機って言ったよな」

「はい……」

「それが! どうやったら! 中庭で王太子に喧嘩を売ることになる⁉」


 幸いジルがとりなしてくれたのか、外交問題に発展しそうな様子はない。だが紅茶を投げつけて来た王太子候補はいまだ鼻持ちならないと思っているらしく、ソフィアの姿を見かけるたびに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 しっぽがあったらぶわりと毛を膨らませていそうなエディをよそに、アイザックが苦笑しながらまあまあと両手で制す。


「ソフィアも、逃げようがなかったみたいだし」

「まあ、結果として何も起きなかったらいいが……お前ああいう時は、嘘でもいいから周りと合わせることも考えろ。悪目立ちして、いらない恨みを買う必要はない」

「う、うん……そう……だよね」


 すると建物の方から、何やら足音が近づいて来た。ここで集まっていたことがばれるとまずい、と三人は目配せするとすぐさま自身の持ち場へと戻っていく。ソフィアも素早くゴミを捨てると、元来た道を急いだ。

 するとその途中で、ぜいはあと息をするリーフェに遭遇する。


「せ、せせ、先輩、どうしましたか?」

「こ、ここにいたのね……す、すぐに来なさい」

「え、ど、どこへ……」

「クライヴ様がお待ちよ!」



 

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