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第一章 6



(……んん?)


 気のせいか、とソフィアは少しだけ手を引いてみる。

 だがルイの手は離れないまま、ふにふにとソフィアの指先を握っていた。何かを確かめるように付け根から爪先まで、それが終わると折り返したようにまた根本まで。


「あ、あの、ルイ、さん……?」

「――え? ああ、悪い!」


 ようやく自分の行動が恥ずかしいものだと自覚したのか、ルイは慌てて手を離した。


「不思議だ、と思ってな。とてもアイザック一人を抱えて下りてきたとは思えない」

「は、はあ……」

「先ほどの走力テストも驚いた。だからてっきり君は、陸上でのスカウトだと思っていたんだが」

「え、ええと……」


 公正を期すためだろうか。試験官たちにも、誰が何の功績でスカウトされたかは伝えられていないようだ。

 つまりソフィアのスカウト理由も知らないわけで――とまで考えていたところで、核心を突く質問がルイの口から飛び出してきた。


「君は一体、何のスカウトを受けてここへ?」

「そ、それは……」


 ソフィアはぐ、と言葉に詰まった。

 このキラキラしい顔を前にして『ゴリラの加護者だからです』というのは正直、いやかなり恥ずかしい。だが真実を知らないルイは、なおも期待に満ちた眼差しで真っ直ぐにソフィアを見つめてくる。


(ど、どうしよう……)


 言うべきか、言わざるべきか。ソフィアは熱暴走を起こしそうなほど必死に思考を巡らせた。だが結論付けるよりも前に、ルイがはっと何かに気づいたように目を見開く。


「す、すまない。個人的な事情を聞くのは失礼だったな」

「あ、い、いえ」

「手に違和感はないか? なければ、試験会場に戻ろうと思うんだが」

「は、はい!」


 どうやらソフィアが困窮しているのを察したのだろう。

 ルイはそれ以上の質問をやめ、柔らかく微笑むと、包帯の巻かれたソフィアの手を取りそっと立たせた。







 二人が戻って来た頃には、試験は最後の種目にまで進んでいた。どうやら木剣での技を競っているらしく、二人一組になってカンカンと甲高い音を響かせている。

 中にはアイザックやエディの姿もあり、ソフィアはその勇ましい姿を前にぶるりと身震いした。


(い、医務室に行っていて良かった……こんな中に放り込まれたら大怪我していたわ……)


 と考えたところではたと瞬く。

 そういえば降下訓練以降の試験を受けていないが、もしかして棄権したことになっているのだろうか。


(さすがに試験を受けていなければ、合格にはならないのでは……⁉)


 ぱああ、と花咲くような喜びがソフィアの心を満たした。

 だが隣に立つルイの横顔を目にした瞬間、何故か少しだけ胸が痛む。


(そっか、不合格ってことは、もうルイさんとも会えないのか……)


 ほんのわずかに生まれた寂寥感に、ソフィアは違う違うと脳内で否定した。

 そもそもゴリラに選ばれなければ、こんな場所に来る機会すらなかったのだ。ルイと会えたこと自体が奇跡のようなもので、ソフィアとは住む世界の違う存在である、と改めて自身に言い聞かせる。


(これでようやく、元の平穏に戻れるのね……)


 やがて試験終了の合図がかかり、受験生は全員疲弊した様子で集合した。汗みずくになった彼らに向けて、ルイがにこやかに宣言する。


「これで本日の試験はすべて終了。結果は後日連絡する」


 やれやれと肩を落とす者や、知り合いと『どうだった?』と囁き合う者たちがいるなか、ルイはソフィアに向けても優しく声をかけた。


「君もだ。今日はお疲れ様」

「は、はい。ありがとう、ございました……」

「君のおかげで一人の命が救われた。感謝するよ」


 絶世の微笑みで告げられ、ソフィアは頬を染めたまま、あわあわと手の平を向ける。


「い、いえ、本当にただの偶然で――」

「ソフィアーー!」


 ぎくしゃくとした空気を打ち破るかのごとく、そこにアイザックが突進してきた。包帯の巻かれたソフィアの手をそっと握ると、大きな目をぶわりと潤ませる。


「良かった! 怪我は⁉」

「あ、うん、大したことないみたい」

「よかったぁ……」


 凛々しい眉をへにゃりと下げるアイザックに、ソフィアは思わず口元を緩めた。ルイも同様だったらしく、咎めるほどではないがアイザックにしっかりと釘を刺していく。


「アイザック・シーアン。彼女によく礼を言っておくんだぞ」

「はい!」

「君の足は実に素晴らしかった。一緒に働けるといいな」

「……は、はいッ!」


 それでは、とルイは軽く片手をあげて騎士団の建物へと戻っていった。

 それを見送った後、ソフィアたちも帰路につく。

 騎士団領内の道を歩きながら、アイザックが噛みしめるように自分の両手を握りしめた。


「ああー! ルイさん本当に格好良かったー!」

「ルイさんって、私たちの試験官だった人ですよね。有名な方なんですか?」

「えっ、知らないの?」


 するとアイザックは、うっとりと夢想するような表情で、つらつらとルイについてのあれそれを語り始めた。


「ルイさんは史上三人目の、十五歳で従騎士になった一人なんだ。神様の加護を得る前に合格しているから、本当に自分の実力だけで勝ち抜いたってこと」

「自分の実力……」


 う、と見えない槌で頭を叩かれたようだった。

 ゴリラの加護を得たという理由だけで従騎士試験を受けているソフィアとは、まさに真逆の立場にあるということだ。

 若干表情を曇らせたソフィアに気づかないまま、アイザックは我がことのようにルイのことを語り続ける。


「ルイさんは、騎士団長を何人も輩出している名門の跡継ぎでさ。それなのに全然気取ったとこがないし、おれみたいなのにもさっきみたいに話しかけてくれるし。でも剣技は騎士団の上層部と変わらないくらいの腕前らしくてさ、もー本当に憧れなんだよ~!」

「そ、そんなにすごい人だったんですね……」

「うん! おれもあんなすごい騎士になりたいんだ!」


 満面の笑みを浮かべるアイザックを見て、ソフィアは少しだけ『羨ましい』という気持ちを抱えていた。


(なんだかいいな、こうやって――なりたいものがちゃんとあるのって)


 今のソフィアには、はっきりとした夢や将来像がない。

 加護の力によって少しは道が定まるかと思っていたのに、よりにもよって一番望んでいない――戦いに特化した能力になってしまった。


(本当なら、こういう人たちに与えられる力だったんだろうな……)


 強くなりたい。国を守りたい。

 そうした純粋な願いを持つ人こそが、ゴリラの加護者であるべきだった。どうして自分が選ばれたのだろうか、とソフィアは再び陰鬱な気持ちになる。


 すると少し先の茂みで、数人の男性が固まっていた。

 うっすら顔に見覚えがあるということは、別のグループの受験生だろう。


(な、何かしら、一体……)



 

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